見出し画像

洪水の文学にはどのようなものがあるか

私の作品の中の引用文は、武力で攻撃してなまけ者の確信を奪う路傍の盗賊のようなものだ。

『ヴァルター・ベンヤミン著作集』第一巻、五七一頁

0.はじめに──真珠採りの思考

 いきなりの宣伝で恐縮だが、2023/5/21(日)開催の東京文フリでは論稿とか短篇小説とかをいっぱい寄稿している。すごく大変だった。なかでも『性愛ノート』では性愛をテーマにした小説を求められ、これがまたすごく大変だった。いろいろ考えた結果、テーマをもうひとつ置いたら書きやすくなるんじゃないかと思い至って選ばれたのが、「災害」だった。

 災害──そのなかでもあえて洪水を選び取ることになったのは、九歳のころにテレビ越しに目の当たりにした津波のイメージがまだ尾を引いていたからだと思う。それはまたおそらく、YouTube上にアップロードされている「ことばのポトラック」というイベントの模様が衝撃的だったというのもある(以下のサムネイルは吉増剛造氏の朗読)。以来、「水」のイメージが頭から離れなくなっている。

 わたしがおよそ半年前にはじめて書いた詩にも、「洪水」への執着が見られたから、それを書くしかないのだと、なかば運命として引き受けようとした。それでまずはじめたのが、文学における洪水の描写を収集してみようということだった。政治哲学者のハンナ・アーレントがヴァルター・ベンヤミンの思考について述べた美しい一節がある。

 こうした思考は現在に触発されながら、過去からひき離して、自分自身のまわりに集めることのできる「思想の断片」をもってはじめて機能する。海底に穴を掘りそこに光を当てるためにではなく、豊かなものや不思議なもの、すなわち海底深く横たわる真珠や珊瑚をてこでゆるめ、それらを海面にまでもたらすべく海の底へと降りて行く真珠採りのように、こうした思考も過去の深淵へと探究の手をのばす──しかしそれは過去をあるがままによみがえらせるためでも、また消え去った時代の再生に役立つためでもない。こうした思考を導くものは、たとえ生存は荒廃した時代の支配を受けるとしても、腐朽の過程は同時に結晶の過程であるとする信念、かつては生きていたものも沈み、溶け去っていく海の底深く、あるものは「海神の力によって」 自然の力にも犯されることなく新たな形に結晶して生き残るという信念である。こうして生き残ったものは、いつの日か海底に降りて来てあるものの世界へと運び上げてくれる真珠採りだけを待ち望むのであり、「思想の断片」も「豊かで不思議なもの」も、そしておそらくは不朽の根源現象でさえもその中に数えられるであろう。

ハンナ・アーレント『暗い時代の人々』阿部齊訳 ちくま学芸文庫 二〇〇五年 三一七頁
(強調引用者)

 水面には、嵐が吹き荒れているだろう。わたしたちが進歩と呼んでいる嵐が、楽園の方から吹き付け、「新しい天使」は翼を閉じることができない。過去の方へと顔を向けている彼は、瓦礫の山を、ただひとつの破局を見ることしかできない──ベンヤミンが『歴史哲学テーゼ』で喚起したのはこのような情景だった。しかし真珠採りは、嵐の中でも過去という水底に潜っていく。そこで新しい結晶体となって生き残っている「思想の断片」を拾い集め、それを生あるものの世界へと運び上げるために。
 ことばの洪水、情報の洪水から真珠を掬い上げるようにして読むこと、引用すること、また新たに可能的なものに帰すこと。ベンヤミンにとってそうだったように、これは並大抵の覚悟でできることではないだろうが、「災害を書く」ということは過去の災害と、それを引き受けたテクストに向き合うということだから、わたしはそれを少しでもやってみたいと思った。その過程が、以降の引用の数々になる。

1.神話と洪水

『創世記』

 ノアの生涯の六百年の二月、その月の十七日、丁度その日に原始の大海の水門は破れ、天の窓は開かれた。大雨は四十日四十夜地に降り注いだ。この日ノアとその子セム、ハム、ヤペテ、およびノアの妻、ノアの子らの三人の妻はノアと一緒に箱舟に入った。彼らとともにすべての種類の野獣、すべての種類の家畜、地の上に這うすべての種類の這うもの、すべての種類の鳥〔すべての翼ある鳥〕はみな箱舟のノアの所へ入った。それは生命の息のあるすべての肉なるものの中から二匹ずつで、入ったものはすべて肉なるものの中から雄と雌であり、神がノアに命ぜられた通りであった。ヤハウェはノアの入った後で箱舟の戸を閉めてしまわれた。
 こうして洪水は〔四十日〕地に臨み、水かさは増して箱舟を高く揚げ、箱舟は地から離れて高く浮かんだ。水は増して地にみなぎり、箱舟は水の上に浮かんだ。水はいよいよ地の上に増し加わり、天の下のすべての高い山々もみな蔽われてしまった。水は十五尺にもおよんだので山々も蔽われたのである。こうしてすべての肉なるもの、すなわち地の上に這うもの、鳥、家畜、野の獣、地上に群生するすべてのもの、すべての人などみな息絶えた。生命の息が鼻に吹きこまれて、乾いた地上に生きていたものはみな死んだ。こうして地上に生きとし生けるものは滅された。人を始め、家畜、這うもの、天の鳥に至るまでみなこの地から絶ち滅された。

『創世記』第六章一三節から第七章一節 関根正雄訳 岩波文庫 一九五六年 二四頁

 ちなみに、「大洪水後の朝」を描いたのが、ターナーのこの作品。ジョナサン・クレーリーがゲーテの網膜残像の理論などを敷衍しながら、近代的知覚をあらわす絵画として取り上げていたりもする。今年の7/12から六本木の国立新美術館で開催される「テート美術館展 光─ターナー、印象派から現代へ」でも観られるらしい。たのしみだ。

《光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ》

『アトラ・ハシース叙事詩(Atra-hasis)』

 人間の創造物語と洪水物語を主要テーマとし、エヌマ・エリシュ(宇宙開闢神話)やギルガメシュ叙事詩とならぶメソポタミアの長篇物語である『アトラ・ハシース叙事詩』は、以下で復元されたテクストのすべてが読める。(1)/(2)/(3)/(4)/
 『アトラ・ハシース叙事詩』のおよそ500年後に成立したのが『ギルガメッシュ叙事詩』で、洪水物語も受け継いでいる。ただ、登場人物の一人であるアトラ・ハシースはウトゥナピシュティムとして登場している。

戦[士エンリルは]船を見て、/イギギに対する怒りでいっぱいだった。/「わたしたち、大いなるアヌンナキ、は皆/ともどもに誓って一致した/どこに命は行ってしまったのか。/どうして人間は絶滅から生き残ったのだろうか。」/アヌは口を開いて、/戦士エンリルに言った。/「誰がこのことを /エンキ以外にするだろうか。/[   ]わたしは命令を明かしはしなかった。」/エンキは口を開き、/大いなる神々に言った。/「[まことに]あなた方の前で、わたしがそれをしたのです/わたしは確かに命を守らせました。[    ]
[…]
わたしたちは[洪水]をもたらしたが、/人間は絶滅から生き残った。/あなたは[大いなる神]々の顧問官だ/あなたのご命令で/わたしは戦闘を惹き起した/[あなた]を讃えるために /この歌を/イギギに聞かせよう。/彼らにあなたの偉大さを褒めたたえさせよう。/全ての人々に洪水について/わたしは歌いましょう。/お聴きなさい!

「アトラ・ハシース叙事詩⑷」第6欄5-19行および第8欄9-19行
桑原俊一訳 北海学園大学人文論集(46): 41-71 二〇一〇年

ホメーロス『イーリアス』

トロイエ勢の残りの半ばは、銀の渦を巻き深く流れる河へ追い詰められ、凄まじい音を立てて水中へ落ちると、激流は吼え、両側の堤も大きくこだまする。河中の者たちは渦に振り廻されながら、叫びつつここへかしこへと泳いでいる。それはあたかもいなごの群が、激しい火勢に圧され、河へ逃れようと飛び立つ時のよう、突如起った疲れを知らぬ火はいなごに燃えつき、群は脅えて水中に落ちるそのさまにも似て、追いすがるアキレウスの前に、深く渦巻き音を立てて流れるクサントス河は、入り混じる人馬に埋まった。

「第二一歌 河畔の戦い(六一一行)」『イリアス(下)』松平千秋訳 岩波文庫 一九九二年 二七七頁

 物語も終盤に差しかかるあたり、アキレウスはトロイア勢の多くを討ち倒し、スカマンドロス河は屍に埋まる。それに怒った河神が激流でアキレウスを苦しめる場面。

槍にその名も高きアキレウスは、切岸から身を躍らして河の真ん中へ飛び込んだ。河は波を膨らませて激しく彼に迫り、すべての流れをかきまぜて盛り上がらせる。アキレウスに討たれて河中に沈む夥しい数の屍を押し流し、牡牛の如く吼えつつそれを陸地に向かって抛り出す。[…]アキレウスのまわりには、大波が凄まじく湧き立ち、流れは楯に撃ち当って押し流そうとし、しっかりと踏み留まることもできぬ。すくすくと伸びた樅の大木を掴んだが、木は根元から倒れて辺りの岸をみな切り崩し、茂った枝で美しい流れを覆い、そっくり河中に落ちて河そのものを堰き止めてしまう。恐怖を覚えたアキレウスは、渦の中から飛び出し駿足を利して平野を駆けようとあせったが、偉大なる河神は追及の手をゆるめず、黒々とした波頭を立てて襲いかかり、あくまで勇将アキレウスが戦うのを妨げ、トロイエ勢を危機から護ってやろうとする。[…] こちらは襲いかかる河を避けて逃れようとするが、河は後から轟々たる音を立てて追ってくる。それはあたかも水面暗き泉から水を引く男が、木々や菜園に水を導く時のよう、手に持った鍬で流れを障る邪魔な物を取り払うと、流れる水の勢いに底の小石はことごとく流され、水は音を立てて急坂を勢いよく流れ落ち、水を引く男を追い越してしまう。

同書 二八七-二八八頁

2.クライマックスとしての洪水

 この章では時代が飛んで、19-20世紀にかけての英米文学における洪水の描写を見てみる。一つ特徴的なのは、洪水が家制度やそれにまつわるしがらみを洗い流すものとしてクライマックスに用意されているということだ。また、以下の論文を参考にした。「「水に流」されるのは何か―エリオット『フロス河の水車場』から谷崎『細雪』まで、小説の中の洪水風景点描―」

ジョージ・エリオット『フロス河の水車場』(1860)

 水車場にいるひとはどうなっているだろう? あの水車場は、昔洪水のためほとんどこわされてしまったことがあったのだ。みんなは危いかもしれない──とほうにくれているかもしれない、あそこには母と兄が二人きりだ、助けを求める術もなく。今や彼女の全霊はこの思いにみたされた。そして、幼い日からのなつかしい顔顔が、暗闇のなかに眼をこらして救いを求めながら、見出せずにいるのを、まのあたりに見た。
 いま、彼女は滑らかな水の上にうかんでいる。たぶん水の氾濫した畑のうえに遠く流されているのであろう。眼のまえの危険については何も感じていないので、なつかしい家へと心が走るのを、ひきとめるものはなかった。彼女は闇のとばりに向って眼を凝して、とりあえず、自分がどの辺にいるか見当をつけたいと思った──彼女がなによりも心配している地点をさし示すかすかなしるしでも捕えたいと思った。ああ、よかった! この満々と湛えた暗い水のひろがり垂れこめた大空がおもむろに明けてゆく黒い鏡のような水の上にためらいがちに輪廓をあらわしてゆく黒い物体。そうだ、彼女は畑のうえにいるにちがいない、あれは生垣の木々のてっぺんだ。フロスの流れはどの方角なのかしら? ふりかえってみると、黒い樹樹が列をなして並んでいる、前方にはなにも見えない、では、河は行く手にあたっているのだ。彼女は櫂を握ると、新たな希望に力づけられて、ボートを前方へと漕ぎはじめた。彼女が舟をすすめるにつれて、夜明けはいっそう速く近づくかと思われた。そして、まもなく、小高い丘に 避難していた、あわれなもの言わぬ獣たちがかわいそうな姿で群っているのが見えた。明けかけた薄明りの中を彼女は水を掻いたり漕いだりして進んだ。濡れた着物はぴったりからだにくっつき、長い髪の毛は風にあおられて乱れた、が、肉体にはほとんどなんの感覚もなかった、強烈な情緒にかきたてられた自分の力強さを感じただけであった。なつかしい家にいる忘れがたいひとびとの危険を、そして、多分救えるだろうと思うと同時に、兄との和解を漠然と考えていた。非常な災難に直面して、われわれの生活にある人為的な衣のすべてをかなぐりすて、人間としての原始的な要求に各自が一体となる時にも、なお居残ろうとする不和が、冷淡が、不信があるだろうか? ぼんやりとマギーはこういったことを感じた、兄への強い愛情が甦った、無慈悲な怒りや誤解からうけた最近の印象のすべてを一掃して、幼い昔に結ばれた、深い、根本的な、揺ぎない追憶のみを残して。
 しかし、今、はるかかなたに、大きな黒い塊が見える、そして、すぐ近くに、マギーは河の本流を見分けることができた。あの黒い塊は聖オッグの町にちがいない、そうだ、聖オッグだ。

「フロス河の水車場」『ジョージ・エリオット著作集2』工藤好美/淀川郁子訳 文泉堂出版 一九九四年 三四三頁

D. H. ロレンス『処女とジプシー』(1911)

 まるで無数のライオンが突進してくるかのように、川の曲り目のあたりに獅子毛のような黄褐色の波頭が速やかに押し寄せるのを、イヴェットは見て、恐れおののいた。その轟音は何もかもすべてを一掃した。彼女は事態を知ろうとしたが、あまりの驚きに呆気に取られ、手も足も出なかった。
 唸り狂う水の懸崖は瞬く間に近くに迫ってきた。彼女は恐怖でほとんど気絶しそうになった。彼女はジプシーの叫び声を聞いた。彼女は見上げると、黒い眼が顔から飛び出るほどに、自分のほうに向かってジプシーが疾走してくるのを見た。
「走れ!」とジプシーは叫んで、イヴェットの腕をとらえた。
 だが、瞬く間に、最初の波が恐ろしい音を立てて渦巻きながら、イヴェットの足を洗っていた。突然、どうしたわけか、急に静かになったように思われたが、そのまま庭を呑み込みながら流れていった。まさに水による恐ろしい掃討だった!
 さらにジプシーはよろめいたり、跳び上がったりしながら、脚だけは水に浚われないようにして、牧師館のほうヘイヴェットを重々しそうに引きずっていった。まるで洪水が自分の心のなかで起きているかのように、彼女はほとんど意識を失っていた。
 牧師館の周囲の小道に沿って、草堤の壇が作られていた。ジプシーは壇を越えて、ようやく乾いた平坦な小道にまでイヴェットを引きずっていき、一緒に近くの窓から入り込み、玄関の階段へと跳んでいった。しかし、二人がそこへ着かないうちに、新たな大波が樹を薙ぎ倒しながら襲ってきた。そして二人とも倒された。イヴェットは渦巻く冷水と苦闘しながら、ジプシーの手が自分の手首を必死に握っているのを感じていた。二人は倒されて、外へ押し流された。彼女は打撲による気の遠くなるような鈍い痛みをどこかに感じていた。

「処女とジプシー」『D. H. ロレンス短篇全集5』木村公一訳 大阪教育図書 二〇〇六年 一〇〇-一〇一頁

スタインベック『怒りの葡萄』(1939)

 労働者を組織しようと活動をはじめたケイシーは、地主に雇われた警備員に撲殺される。その場に居合わせたトムは、ケイシーを殺した警備員を殺害し、家族と別れて地下に潜る。家族を次々と失ってゆくジョード一家のキャンプ地に、豪雨と洪水がやってくる。有名なシーンだ。

高い海岸沿いの山々と谷の上に、灰色の雲が海のほうから進んでくる。風が空のはるか上を、はげしく、音もなく吹く。それは茂みをひゆうひゆう唸らせ、森林のなかで吠えたける。雲は、きれぎれに、またはかたまつて、あるいは幾重にも重なったり灰色の岩の形をしたりして、やつてくる。そして、それらの雲は、みな一緒に積み重なり、西のほうを蔽って低く垂れこめる。やがて風はやみ、雲だけを深く厚く空に残したまま行ってしまう。雨は急激な瞬雨となり、またしばらくやみ、それから豪雨となる。ついで次第に單調なテンポに落ちつき、小粒の雨となつて小やみなく降りつづけ、はるかのかなたまで灰色にして、日の光を夕方まで通さないようにしてしまう。まずはじめに、乾いた大地が水分を吸いつくして黒くなる。二日間雨を飲みこむと大地はあふれてしまう。つぎに水溜りができ、低地の畑には、ところどころ小さな湖水ができる。この泥んこ湖水は、次第に水面が高くなり、降りしきる雨が光る水をはねかえす。最後に山々にも水があふれ、丘の傾斜面には、いくつもの小さな流れが走る。その流れは一つに集つて洪水となり、峡谷から盆地へ轟然とそそぎこむ。雨は小やみなく降りつづける。小川も河も、水が堤防の端にすれすれになり、柳やそのほかの樹の根にしみ入り、棚を流れのなか深くに傾かせ、綿の根をほじくり、樹々を倒す。泥んこの水は堤防の両側にそって走り、やがて堤防に這い上つて、ついにそれを越してしまう。そして野原に、果樹園に、黒いの立っている綿花畑にあふれ出る。川と同じ高さの畑は、幅のい灰色の湖水となり、雨がその表面を叩く。やがて雨は自動車道路にも降りそそぎ、自動車は行手の雨を切り、背後に煮えたつような泥のわだちを残して、のろのろと進むようになる。大地は、うち叩く雨の下に息をひそめ、小さな流れは泡立つ洪水となってとどろく。

『現代世界文學全集21 怒りの葡萄』大久保康雄訳 新潮社 五〇一-五〇二頁(第二九章)

3.新聞/絵はがきと洪水

エミール・ゾラ「大洪水」(1880)

 永井荷風訳(明治36年)はこちらから読める。

 私は娘どもが楽しげに騒いでいる室の中に立ち戻って、微笑みながら一同の冗談話に聞き取れたが、そのときしも俄然として平和な黄昏の中から物恐ろしい叫び声が起った。
「洪水だァーー。」これ恐怖と死の叫び声である。
私達は庭へ駆け出した。
[…]
 低い地平線は依然として物静かに横たわっていたが、私がかく話し出した前に、ある鋭い物の響きがわきの方から聞こえ出した、かと思うと、かの逃げていった人達の後ろから、あるいは白楊樹の並んだ幹の間から、あるいは丈の高い草の上から、等しく灰色して黄色の斑点ある怪物が、私達の方へ目掛けて押し寄せてきた。みるみるうち、この怪物は四方四面に現れたのである──波は波の上を渡って、濁水の大量は白き泡を吹きつつ、連なる波のうねりを飛び越え、どっとばかり泡沫と崩れて大地を揺り動かした。
[…]
 さっきの男と女はなお路の上を駆けていたけれど、とうとう押しかけてくる恐ろしい水の中に包まれてしまった。今や波は簡単な一列をなして、軍隊の押し寄せるような怖ろしい響きを立てながら、高く乗し上がるかと思うと、どっと崩れ掛かるのである。ほんのひとゆすりで三本の白楊樹はわけなくうち折られ、その高い枝は揉まれながらどこへか見えなくなってしまうと、今度は一棟の小屋が打ち壊され、土塀が崩れて、馬具を付けない荷車がまるで藁の束のように流されていった。水は今逃げる人々をば追いきわめようとするらしく、急な坂をなした路の曲がり角のところで、大量の水は一時に落ち掛かってきて、人々の逃げ道をふさいでいる。私達はなお逃げ走ろうとする人々が水をバチャバチャ跳ね飛ばして騒いでいるのを見たが、たちまちしんとしてしまったかと思うと、水ははやこの膝の上へ押し寄せていて、一つ大きな波が子どもを抱いている女を突き転がした。あらゆるものはみな水の中に沈んでしまったのである。

「大洪水」『女優ナナ』永井荷風訳 新声社 一九〇三年 一一四-一一七頁
旧字、旧仮名遣いともに改め、適宜漢字を開いた。

 トゥールーズ大学(l'Université de Toulouse)のウェブサイトにIMAGES À DÉCOUVRIR : LES INONDATIONS DE LA GARONNE EN JUIN 1875 と題された、1875年6月のガロンヌ河の洪水に関する記事があった。ゾラが題材にしていた1858年のガロンヌ川の洪水ではないとしても、いくらかは参考になると思う。

クレールドン広場
ピンサゲル橋
フヌイエ市庁舎

 また話はそれるが、以前に読んだ毛利郁子「漱石はスコットランドへ行ったのか──エミール・ゾラの死と関連して──」が面白かった。ロンドンへの留学で心を病んだ漱石が帰国後に小説を志したのは、スコットランドへの旅行が影響していると多く言われている。この論文は、漱石のフランスへの執着から、じつはエミール・ゾラの死に際してパリへと飛んでいたのではないかと主張している。ゾラの死というセンセーショナルな事件は新聞を通してあっという間にヨーロッパ中へと伝わったのだ。

夏目漱石『思ひ出すことなど』(1910)

東京から来る郵便も新聞もことごとく後れ出した。たまたま着くものは墨がにじむほどびしょびしょに濡れていた。湿った頁を破けない様に開けて見て、始めて都には今洪水が出盛つてゐるという報道を、鮮やかな活字の上にまのあたり見たのは、何日の事であったか、今慥かには覚ていないけれども、不安な未来を眼先に控て、其日其日の出来栄を案じながら病む身には、決して嬉しい便りではなかつた。夜中に 胃の痛みで自然と眼が覚めて、身体の置所がない程苦い時には、東京と自分とを繋ぐ交通の縁が当分切れた其頃の状体を、多少心細いものに観じない訳に行かなかった。余の病気は帰るには余り離し過た。さうして東京の方から余の居る所迄来るには、道路が余り打壊れ過ぎた。のみならず東京其物が既に水に浸つてゐた。余は殆ど崖と共に崩れる吾家の光景と、茅が崎で海に押し流されつ、ある吾子供等を、夢に見やうとした。

『思ひ出すことなど』「十」

そのほか市中たいていの平地は水害を受けて、現に江戸川通などは矢来の交番の少し下まで浸かったため、舟に乗って往来をしているという報知も書き込んであった。しかしその頃は後れながらも新聞が着いたから、一般の模様は妻の便りがなくてもほぼ分っていた。余の心を動かすべき現象は漠然たる大社会の雨や水やと戦う有様にあると云うよりも、むしろ己だけに密接の関係ある個人の消息にあった。そうしてその個人の二人までに、この雨と水が命の間際まで祟った顛末を、余はこの書面の中に見出したのである。
 一つは横浜に嫁いだ妻の妹の運命に関した報知であった。手紙にはこう書いてある。
「……梅子事末の弟を伴れて塔の沢の福住へ参り居り候処、水害のため福住は浪に押し流され、浴客六十名のうち十五名行方不明との事にて、生死の程も分らず、如何とも致し方なく、横浜へは汽車不通にて参る事叶わず、電話は申込者多数にて一日を待たねば通じ不申……」

『思ひ出すことなど』「十一」

 明治43年8月6日のことだが、俗に「修善寺の大患」と言われるように、漱石は療養のため修善寺に発っていた。東京で大洪水が起こったのはその6日後のことである。漱石は手紙や新聞などでその様子を知っている。
 細馬宏通の『絵はがきの時代』を読んで知ったことだが、明治期には写真絵はがきが新聞や雑誌と同等のメディアとして流通していたのだという。細間はその理由として、当時の新聞に高解像度の写真印刷がなかったことを挙げている。このことから、「災害絵はがき」という災害を写した写真が速報性をもったメディアとして一般的になっていた。漱石もこうした絵はがきを手にしていたかもしれない。
 なお、当時の災害絵はがきはその多くを以下のサイトで閲覧・購入することができる。絵葉書資料館 東京大洪水 明治43年8月12日

浅草公園池畔非難の混雑 明治四拾三年八月東京大洪水
浅草千束芸者避難の光景 明治四十三年八月十二日 稀有の大洪水
勅使日野西侍従の慰問 明治四拾三年八月東京大洪水

谷崎潤一郎『細雪』(1944-1948)

 阪神大水害を描いたものとして有名なのが、谷崎潤一郎の『細雪』だ。

 水は黄色く濁った全くの泥水で、揚子江のそれによく似てゐる。黄色い水の中に折々餡のやうな色をした黒いどろのものも交つてゐる。いつか貞之助はその水の中を歩いてゐるので、おや、と思つて心づくと、散歩の時に覚えのある田中の小川が氾濫してゐて、それに架した鉄橋の上にさしかつてゐた。鉄橋を渡って少し行くと、線路の上は又水がなくなったが、両側の水面は大分高くなつてゐる。貞之助はそこで立ち止まって前方を眺めた時、さつき甲南学校の生徒が「海のやうだ」と云つたのは、今自分の眼前にある此の景観のことなのだなと合点が行つた。雄大とか豪壮とか云ふ言葉を使ふのは此の場合に不似合のやうだけれども、事実、最初に来た感じは、物凄いと云ふよりはさう云ふ方に近く、驚くよりは茫然と見惚れてしまつた。いつたい此の辺は、六甲山の裾が大阪湾の方へゆるやかな勾配を以て降りつゝある南向きの斜面に、田園があり、松林があり、小川があり、その間に古風な農家や赤い屋根の洋館が点綴してゐると云つた風な所で、彼の持論に従へば、阪神間でも高燥な、景色の明るい、散歩に快適な地域なのであるが、それがちやうど揚子江や黄河の大洪水を想像させる風貌に変ってしまつてゐる。そして普通の洪水と違ふのは、六甲の山奥から溢れ出した山津浪なので、真っ白な波頭を立てた怒濤が飛沫を上げながら後から後からと押し寄せて来つゝあつて、恰も全体が沸々と煮えくり返る湯のやうに見える。たしかに此の波の立つたところは川でなくて海、──どす黒く濁った、土用波が寄せる時の泥海である。

『細雪』中巻第五章『現代日本文學体系31 谷崎潤一郎集(2)』筑摩書房 一九七〇年 一一七頁 

 生徒たちが真っ先に跳び出すと、大部分の人が鞄を提げたり風呂敷包を背負ったりして後に続いた。貞之助もその中の一人であつたが、彼が夢中で土手の下へ駆け降りたのと同時に、非常な大波が北側から列車の方へ襲ひかゝつた。水が凄じい音を立て滝のやうに頭上へ崩れて来、材木が一本にゆつと横あひから突き出た。彼は辛うじて濁流から逃れて、水の干上った所へ来たが、いきなり脚が砂の中へずぶずぶと膝の上まで漬かった。ずぼツと脚を抜いた途端に片一方の靴が脱げた。ずぼずぼツ、と脚を抜きながら五六歩行くと、再び幅一間ばかりの激流があつた。前を行く人が何度も流されさうになりつ渡つて行く。その流れの強いことは、さつき悦子を背負ひながら渡った時の比ではない。中途で彼は、もう流される、もう駄目だと二三度観念した。漸く向う側へ着いたら、又砂の中へずぽツと腰の上まで漬かつた。慌てゝ、電信柱に抱き着いて這ひ上った。甲南女学校の裏門がつい鼻の先五六間の所にあるので、そこへ駆け込むより外はないのだが、その五六間の間に又一条の流れがあつて、見えてゐながら容易に向うへ行き着けなかつた。と、門の扉が開いて熊手のやうなものをさし出してくれた人があつた。貞之助はそれに掴まってどうにか門の内へ引きずり込んで貰った。

同書同巻同章 一一九-一二〇頁 

 これも以下のサイトで当時の災害絵はがきを閲覧することができる。絵葉書資料館 阪神大水害 S13年7月

阪神大水害 神戸三越前水害の跡 1938年S13年
阪神地方水害 上 西宮東口付近 下 宝塚迎賓橋
神戸大水害特報 阪神そごう前の濁流 地下鉄のりばを塞ぐ 1938年S13年
阪神地方水害 水禍後の福原花街 1938年S13年

4.土地と洪水

フォークナー『野生の棕櫚しゅろ』(1939)

 水面にはまったく動きがなく、とことん平らだった。無垢というよりはむしろ愚鈍に見えた。あるいは無表情を装っているのか。その上を歩いて行けそうだった。あまりに静かなので最初の橋に行き着いてようやく動きがあることに彼らは気づいた。かつては橋の下には排水路があって少しの水が流れていた。今はそのありかを示す糸杉と木苺の列が見えるばかりで排水路も水も見えなかった。そこで囚人たちは水の動きを見たし、また音にも聞いた。水は表面では一枚の板のように見えながら深いところではゆっくりと東へ、つまり上流へ流れていた (「逆流してる」と一人の囚人が小さな声で言った)。 流れの下から路面のずっと下の方を秘密裏に高速で走る地下鉄の音のような響きが(という喩えはトラックに乗っている連中には思いつきようがなかったのだが)聞こえた。水そのものが三つの層にはっきり分かれて、表層は 泡まみれのゴミや小枝の類がおっとりと悠然と流れ、まるで厳格な計算によるかのようにその下に性急に乱暴に流れる洪水の本体を隠し、更にその下には何かつぶやくようにのんびりと逆の方向に向かう本来の穏やかな流れが、上の洪水を気にせず気づきもせずに指定されたコースを辿って、自らの成すべき些末な仕事を淡々とこなしていた。それは二本のレールの間を行く蟻の行列と同じで、上を急行列車が通ったところでその馬力や憤怒に、土星の表面を過ぎる嵐も同様、まるで気づかないのだった。
 今や道路は両側ともに水面になり、水が欺瞞と隠蔽の奥に秘めていた動きに彼らが気づいた今はそれが土手の横腹をじりじりと上ってゆくのが見えるような気がしたし、何キロか後ろでは水の上に太い幹を高々と見せていた木々がこのあたりになるとまるできれいに刈った芝生に装飾的に配置された茂みそっくりに低い枝から上だけを水面に爆ぜたように見せていた。トラックはニグロの小屋の前を通過した。水は窓枠のところまで達していた。子供を二人かかえた女が棟木の上に坐り込んでいた。男と半分まで大人になった少年の二人が腰まで水に浸かってキーキー騒ぐ豚を納屋の傾斜した屋根に押し上げようとしており、その屋根の棟木にはすでに鶏たちと一羽の七面鳥がずらりと並んでいた。納屋の近くに干し草の山があって、真ん中に立てた棒に綱で繋がれた一頭の雌牛が間断なく鳴いており、鞍を着けていない驟馬に跨がって両腿でその胴を挟んだニグロの少年が大声を上げながまたら驟馬を鞭打って前へ進めようとしながらもう一頭の驟馬に繋いだ手綱を引っ張り、水を跳ね上げながらもがいていた。家の屋根にいた女がトラックが通るのを見て叫び始めた。その声は茶色い水の上を渡って弱いながらもどこか音楽的だったのだが、トラックがそこを通り過ぎ遠ざかるにつれて次第に微かになり、ついには聞こえなくなった。それが距離のせいか女が叫ぶのを止めたためか、トラックの者にはわからなかった。

「オールド・マン」『ポータブル・フォークナー』池澤夏樹訳 五四一-五四二頁

 色の褪せた熱のない、丸いウエハースに似た太陽がふたたびきめの細かい中綿のような雲に包まれて舟を見下した時(舟が動いているのかいないのか囚人にはわからなかったのだが)、囚人はかつて二度聞いてもう決して忘れないという音をまた聞いた。はっきり意図を感じさせる、抵抗しがたい、おぞましく攪乱された水の轟音。しかし今回はそれがどちらの方角から来るかわからなかった。周囲の至るところに充満して大きくなったり小さくなったり、まるで霧の中の幽霊のようで、時には何キロも先の方と思われたのにすぐ後には舟にのしかかろうとするかのように迫って、ある瞬間に彼は突然 (困憊し身体は跳ね上がって叫び出しそうだった)今から自分は煤にまみれた煉瓦の色と手触りの、形からすれば古い煙突の一部をビーヴァーが噛みちぎったという風な重さ十キロほどの未完成の櫂を奮って水の只中に飛び込んでいくのだと信じた。舟を狂おしく旋回させたら、きっとまた轟音が真正面から聞こえてくるのだ、と。すると上の方で何かがとんでもない音で吠え、人間たちの声が聞こえ、がらんがらんという鐘の音がして、轟音はふっと消え、霜のついたガラスを手で拭うような具合に霧が晴れて、舟は日に照らされた茶色の木の上にいて、三十メートルほど離れてこの舟と並んで浮かぶ蒸気船の姿があった。

同書 五八二頁

 一九二七年のミシシッピ川大氾濫を扱っている。小学生のころに読んだ『ハックルベリー・フィンの冒険』を思い出した。『ポータブル・フォークナー』に池澤夏樹訳の「オールド・マン」の部分だけある。翻訳にまつわる池澤夏樹×柴田元幸×小野正嗣×桐山大介の対談が面白かった。
 また、国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館 (National Museum of African American History and Culture)の資料によれば、家を失った人々のうち、 50万人以上が黒人だったと推定されている。何十万人ものアフリカ系アメリカ人が地域社会や職場から追われた、そうした南部の様子を書いたのがフォークナーだった。

Y. & M. V. R. R. Station Egremont, Miss., 5-2-27
1927 年のミシシッピ川洪水の地図、国立公文書記録管理局 (海岸測地測量局の記録、RG 23)。

 さらに、このサイトの参考資料に挙げられている Footage of 1927 flooding. “Flood Film clip.” PBS. からは実際の洪水の動画を閲覧することもできる。

阿部和重『シンセミア』(1999-2003)

 八月一日午後零時──神町上空は未だ分厚い雨雲に覆い尽くされており、陽射しの抜ける隙間さえ見当たらない。小康状態に近付いてるとはいえ、依然として雨は降り続いており、風も強い。そして町の中心部は、足元が水浸しになっており、昼だというのに人の姿はまるでない。雨音以外は、置き去りにされた犬たちの鳴き声ばかりが辺りに響いている。[…]この洪水は、神町にとって未曾有の出来事となった──少なくとも地元住民の間においてはここ数年間、避難勧告が発令されるほどの大水が出るといった危機意識は共有されていなかった。町を南北で挟む乱川と野川が警戒水位を大幅に超える出水となり、下水道の排水能力を遙かに上回る量の雨水が側溝に流れ込んだ結果、県道120号線の路上に大量の水が溢れ出した。深い砂礫層の上にある土地ゆえ透水性は本来高いはずだが、建築物の増加と舗装整備が進んだことにより、アスファルトやコンクリートが雨水の地下への浸透を妨げていた。排水路のゴミ詰まりも、溢水の要因となっていた。こうして内水氾濫が起こり、県道120号線の大規模冠水に及んだ末に、神町中央地区の商店街は、 大人の股間の高さまで水没したのだ。

阿部和重『シンセミア 下』 朝日新聞社 二〇〇三年 八〇-八二頁

 笠谷保宏は、まじまじと星谷影生の顔を覗き込みながら老人の実情をこのように検分した。「ははあ、さでは毒茸でも食ってやがるんだな。 誰がら引いだ? 和哉が? 駄目だわこりゃ、瞳孔が開ぎっぱなしだ、完璧にラリってやがる。 天国だが地獄だが、どっちがさ行っちまってるわ。台風やら洪水やらで、みんな家さ居らんねぐなって小学校さ避難してるっちゅうどぎに、いい気なもんですね、クソジジイめ!」
 これが返事だとでもいうように、星谷影生はでかい屈を放いた──一瞬静まってから、その場で一斉に爆笑が起こった──若造らの哄笑など意に介さず、星谷影生は腹に溜まった呪詛の文句を吐き出した。「神の町さ喧嘩売りやがるならず者めらが! 地震兵器だの気象兵器だの、何でもかんでも使 いやがって、こっだなちっぽげな町相手によ、なりふり構わずやりたい放題しくさって、無様なもんだな全ぐ! 次は何だ? 何でもいい! さっさど俺ば泣がしてみろ! こごいら一帯ば派手に焼ぎ払え! 一人残らず役立たずどもばぶち殺せ! 情け容赦せず、ミナゴロシにしてしまえ…………」
 星谷影生は、気が狂ったみたいに笑い続けた。
 ビデオ撮影サークルの四人が立ち去っても、星谷影生はそこに留まり、木片やプラスチック製品の 浮かぶ薄汚い濁水に覆われた情景を眺めて、自身の股間を揉みながら古い物語の一部を思い浮かべてそれを淡々と暗唱した。
「その四人のながのひとりが例の白牛のどごろへ行って、こっそりど何が教えを授げだが、彼はがだがだふるえでいだ。彼は牛に生まれだのだが、のちに人間になり、大きな箱舟を造り、それに住んだが、ほがに三匹の牛がいっしょに住み、彼らの上にはふたがかぶさった。ふたたび目を天にあげるど、 屋根が高ぐひぎあげられ、その上に七づの門があり、この水門が多量の水をひとつの囲いに注ぎ込んでいるのが見えだ。 わだしがまだ見るど、地上のあの大きな囲いの所に泉が口を開げ、その水はこんこんど湧ぎ出し、地上に、嵩を増し、あの囲いは地上がら見えなぐなり、やがで全地が水におおわれだ。その上に水ど暗闇ど霧が増し加わり、水嵩はど見でみだどごろ、水はあの囲いの高さを越えでおり、囲いがらあふれだし、地上にたまっていだ。その囲いに集められでいだ牛は全部その水におぼれ、のまれで滅びでいぐのをわだしは見だ。箱舟は水の上に浮がんだが、牛も象もらぐだもろばも他のすべでの地上の獣どともに全部おぼれ、もはやわだしの目にははいらながった。彼らは水中がら出でくるごどができず、淵にはまって滅びだ。 わだしはまだ別な幻で、例の水門が高い屋根がら取りはらわれ、地の泉が干あがり、他の淵が開ぐのを見だ。水がその中に流れこみはじめ、やがて大地が姿を現わし、箱舟は地上にとまり、闇は退いで、光が現われだ」

同上 八八-九〇頁

フィリップ・フォレスト『洪水』(2016)

大気そのものがもはや水でしかなく、都市全体が水浸しになっていた。まるで天空にある大洋から漏れ出した水が、世界のうえにとめどもなく撒き散らされたかのようだった。どこから来て、いつ干上がるのかは、誰にも想像できなかった。街の上空では雲が灰色の稠密な塊を作り上げ、そこから流れ出て降り止むことのない驟雨には、夏山で遭遇する嵐の揺るぎない力が感じられた。雲のひとつが壊れると、よそからやってきた別な雲がすぐさまそれに取って代わり、空にできかけた穴はすぐに塞がれてしまう。

フィリップ・フォレスト『洪水』澤田直 小黒昌文訳 河出書房新社 二〇二〇年 二〇二頁

ニュース専門チャンネルで繰り返し流される報道特集を見ていたとき、テレビの画面が突然消えた。ブレーカーが落ちるときのあのブチッという特徴的な音が聞こえた。この地区全体が暗闇のなかに沈み込んでいる。電気の供給が止まったのだ。ノートパソコンと携帯電話のバッテリー、 ラジオの電池が持ちこたえ、回線が機能し続けているあいだ、つまり二、三日のあいだは、現状に関する情報はおおむね入手できた。その後は、世界から完全に切断された状態になった。それでも、すでに知っていることだけで十分だった。知らないことについては、想像できるだけの材料を持ち合わせていた。

同上 二〇九頁

 前回の大水を記録したアーカイヴがしばしば放映された。それは悪趣味自慢のように見えた。白黒の写真や記録映画には、前世紀の人びとが逆境にくじけることなく、禁欲的に試練を乗り越える様子が映っていた。当時の服を着た男女がカメラに向かって陽気に微笑んではいたが、長靴を履いて小舟に乗り込み、日々の営みに励み、買い物をするために外出し、仕事にも出かけていたのだ。要するに、こうした映像が示唆していたのは、耐えがたい時間もやがては消え去るし、終わってみれば、画趣に富んだエピソードとして、楽しみや郷愁さえも伴って思い出されるだろうということだった。目下の不幸をじっと耐え忍ぶだけでいい、というわけだ。ただし──あらゆる気休めの言葉にもかかわらず、誰もが意識していたように、当時とは状況がすっかり変わっていた。原因はほぼ同じだったとしても、この一〇〇年で街が並外れた発展を遂げたために、 結果のほうはすっかり違っていたのだ。

同上 二一〇頁

 それに対して、都市を舞台に生じた大混乱についてはあまり触れられることがない。商店荒らし、あらゆる願いの略奪、破壊行為、残忍な暴力行為が起こった。まるで社会の周辺へと追いやられた者たちが、野蛮で、無償で、手当たり次第の復讐の機会を見出したかのようだった。戒厳令が敷かれ、武装したパトロール隊が巡回した。いくつもの地区で、衝突は暴動へと転じた。それまで築き上げられ、公権力が遵守させてきた文明の防波堤は、この異例な状況下で、決壊したのだった。堰は切られ、最悪なものも最良のものも流れ出したのだ。

 映像は世界を駆け巡った。みなと同様に、わたしもそれらの映像を記憶している。有名な建物が水に浸かり、多くの建物がなかば水に飲み込まれ、大急ぎで救出できる限りの過去の傑作群を運び出したあとの美術館や図書館はプールに変わり果てていた。動物園ではサルや野生動物が木々のもっとも高い枝によじ登って洪水から身を守ろうとしていた。世界でもっとも大きく、も っとも美しい都市のひとつが、哀れな湖上都市に変貌したのだ。

 こういったことは、誰もがわたしと同じように知っている。

同上 二一二-二一三頁

 洪水と感染症に冒された街を静謐な文体で描くフィリップ・フォレストの『洪水』を読んで、同じく感染症をモチーフの一つとして扱っている村上春樹『街とその不確かな壁』を思い出した。

番外編

三浦綾子『泥流地帯』(1976)

 1926年5月24日の十勝岳噴火とそれに伴う火山泥流(ラハール)にまつわる物語を描く。

 大音響を山にこだましながら、見る間に山津波は眼下に押し迫り、三人の姿を呑みこんだ。拓一と耕作は呆然と突っ立った。丈余の泥流が、釜の湯の中のように沸り、踊り、狂い、山裾の木を根こそぎ抉る。バリバリと音を立てて、木々が次々に濁流の中に落ち込んでいく。樹皮も枝も剥がし取られた何百何千本の木が、とんぼ返りを打って上から流されてくる。と瞬時に泥流は二丈三丈とせり上がって山合を埋め尽くす。家が流れる。馬が流れる。鶏が流れる。人が浮き沈む。

トリュフォー/ゴダール「水の話」(1961)

批評的気候変動(Critical Climate Change)について

 Tom Cohenなどが主張している批評的気候変動(Critical Climate Change)という概念がある。脱構築はテクストの多義性と流動性を暴くものであるから、気候変動をテクストとして見たとき、これに脱構築をすることも可能だと主張するコーエンは、気候変動という非人間的でかぎりなく物質的な現象が、エクリチュールの扱い方をも変えてしまうのではないかと主張している。つまり、21世紀的地平──「人新世」──を考えるとき、「他者」や「セクシュアリティ」、「階級」などの「他者の他者性」を偏愛していたカルチュラルスタディーズよりずっと外部の、物質的なものの影響、すなわち気候変動を考慮すべきであると言うのだ。これは隠喩の後退と字義的解釈主義の進行を招いている。
 コーエンの論文はその多くがJSTORやAcademia.eduに落ちていたからゆっくりと読んでいきたい。以下を参考。

Sellars, Roy. "Waste and Welter: Derrida’s Environment." Oxford Literary Review 32, no. 1 (2010): 37–49. http://jstor.org/stable/44030821.

Cohen, Tom. "The Geomorphic Fold: Anapocalyptics, Changing Climes and ‘Late’ Deconstruction." Oxford Literary Review 32, no. 1 (2010): 71-89.

Cohen, Tom. "Climate Change," Deconstruction, and the Rupture of Cultural Critique: A Proleptic Preamble." In Enduring Resistance / La Résistance persévère, edited by Brian J. McVeigh, 165-90. Leiden, The Netherlands: Brill, 2010. doi: https://doi.org/10.1163/9789042030312_011.

Cohen, Tom. "De Man vs. 'Deconstruction': Or, Who, Today, Speaks for the Anthropocene?" In The Political Archive of Paul de Man: Property, Sovereignty and the Theotropic, edited by Martin McQuillan, 211-35. Edinburgh, UK: Edinburgh University Press, 2012. Online edition, Edinburgh Scholarship Online, 24 Jan. 2013. https://doi.org/10.3366/edinburgh/9780748665617.003.0011.

Cohen, Tom. "Polemos: 'I Am at War with Myself' or, DeconstructionTM in the Anthropocene?" Oxford Literary Review 34, no. 2 (2012): 239-57. http://www.jstor.org/stable/44030885.

Cohen, Tom. "The Angel and the Storm: 'Material Spirit' in the Era of Climate Change." In Material Spirit: Religion and Literature Intranscendent, edited by Gregory C. Stallings, 129-53. New York, NY: Fordham University Press, 2013. https://doi.org/10.1515/9780823255436-009.

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?