見出し画像

子供のころの話 その1

閲覧いただきありがとうございます、本日は子供のころの話です。

それは小学生、高学年くらいの時でした。
家庭は大荒れ、怒号が飛び交い、物が宙を舞う毎日。

祖父は何か納得がいかないことがあると、口も手も出る人で。
それに対し父が反抗、母は止めようと必死に声を荒げます。

私は弟を引き連れ2階へ逃走し、布団で耳を塞ぎました。
息を潜め、体を縮こまらせて、震えながら静かになるのを待つばかり。

両親に余裕がなかったのも今なら理解できるけれど、
守ってくれる人がいないという状況は私にとっては過酷でした。

それに加え母は「自分の理想の娘」を求め、
私にあらゆるストレスをぶつけるかの如くネガティブな言葉を浴びせ、
「長女だから」と否定的な意見ばかり言われ続けました。

「アンタの髪が長いから落ちてるとすぐ分かる。私が毎日掃除しないといけないのに、分かる?自分の家なんだから掃除くらいしてよ」

「アンタが文句言える立場にあると思ってるの?自分のこと良く見て反省しなさいよ。そんなこと言ってるから何も出来ないんじゃない」

「私はパパのことが嫌いなの、一緒にいたくないし話もしたくないの。でもアンタたちがいるから離婚しないでいるの」

「どうして周りと同じにできないのよ。女の子なんだから女の子らしくしてよ。アンタの為を思って言ってるのよ」

「あの子の家、良くないらしいじゃない。友達やめなさいよ」

あまりにも多すぎて覚えていませんが、こんな感じで10年以上。

過干渉で、私への当たりが強い母。
こちらの話を聞くことはなく、褒められることもない。
父は何も言わない人だったので、味方だと思えませんでした。

そんなこんなで私は立派な人間不信になり、
会話・目線・話すこと自体がとてつもない恐怖を生成してくるので、
中学生になると教室に居るのも、学校へ行くのも、かなり辛かったです。

「このまま失踪しよう」と家出を考えたこともありましたが、
準備していたものが母に見つかると掴みかかられ、
「あぁ、私はこの人から逃げられずに一生を過ごすんだ」と絶望しました。

しかしそれでも自分を産んでくれた人。
どうにか好かれようと、ご機嫌であってほしいと、必死に生きました。

でも、母のできること=私のできること、ではないのです。
いつの間にか「できないこと=悪いこと=必要とされなくなる恐怖」が完成

「この人に捨てられたら一体どうすれば良いのか」
「いらない存在になったとき、誰が私を欲してくれるのか」
「誰かの迷惑になるくらいなら、何も言わない方がいい」

恐怖で支配された頭で考えて、考えて、考えた結果
「生きる希望」も「未来」も「自分を大切にすること」も全て捨て、
「感情」「空腹」「痛覚」を完全に失い、
「誰から見ても正しいことをしている人間」を目指しました。

楽しいことも、嬉しいことも分からない。
お腹が減っているけど食べたくない、味がしない。
ケガをしても痛くない、気がつかない。

笑えないし、目線も合わないし、声も小さいけど、
「正しいこと」をしていれば、きっと誰かの役に立っている筈。
そうであるなら、私はどうなっても構わない。

そんな感じで闇まっしぐらだった私はとうとう耐えきれなくなり、
自分で自分を傷つけ、赤色を見て生きていることを実感しました。

「生命確認」だった行為は、いつの間にか「許しを請う」行為に。

出来なかったことがある度に自己嫌悪のループ開始。
止まらなくて、止めたくて、感じない痛覚を求めて線を切る。

涙と小さな嗚咽と喰いしばりがだけが、私の痛みを知っているのです。

この時についた癖が今も残っていて、
涙が出ると声が出ないよう歯を食いしばり、息を止めて過呼吸になります。
だいぶ改善されましたが、まだ先は長そうです。

そして高校生になる前に、一度だけ勇気を出したことがありました。

母に病院へ行く許可を下さいと、震える声でお願いしたのを覚えています。
返答は勿論NO
ぶたれた衝撃が大きく何を言われたのかハッキリ覚えてはいませんが、
まぁ本人もショックだったのだと思います。

「私の娘はそんなモノになるはずがない!いい加減にして!冗談でも言っていいことがあるの分からないの!?ふざけないでよ!」

床に額をつけている私を見ながら、泣きながら叫ぶのです。
「この人には、もう何も言わない」そう誓った瞬間でした。

それから数年間、会話は無し。
「どうしてこの人が母親で、私はこんなに苦しまないといけないのか」
そう思い続けていたので、1人暮らしで入院にまで追い込まれても、
頼ったところで…と相談したことがありません。

私は、私を傷つけてきた母を許すことはできませんでした。
それを許せない私を、許すことができませんでした。

許す必要がないということも、いつか許せる時が来ることも、
当時は理解できませんでした。

DNAアクティベーションを受けた今では、
その事実があるのは変わらないけれど、過去は変えられない。
気持ちの整理をつけるには時間が必要だけど、未来は変えられる。
ということを学び、少しずつ母との関係を改善できています。

このセッションを受けると、変化があるのは自分だけではありません。

効果を実感するのに継続する必要があり、時間を要しますが、
自分が気がつかないうちに良い方向へと進んでいきます。

それは他者から気づかされるかもしれません。
体験された方々の大半は、第三者から言われて気がつく事が多いようです。

「時間が解決してくれる」とはよく言いますが、
果たして「何も行動していない状態で問題が解決できる」でしょうか?

「行動を起こした後だからこそ、時間が必要」だと、私は思います。

家族との関係に悩まれている方、過去に辛い思いをされた方へ、
DNAアクティベーションを、どうか受け取ってください。

私たちは解決の手助けをすることはできますが、
それを選択するのも、行動を起こすのも全てあなた次第です。

見えない不安に怯えないで、小さくも大きな一歩を踏み出してみて下さい。


ここまで御覧いただき、ありがとうございました。

画像はこちらからお借りしました。
著作者:<a href="https://jp.freepik.com/free-photoview-of-kid-practicing-health-and-wellness-activity_171502885.htm#query=子供一人&position=16&from_view=keyword&track=ais_hybrid&uuid=a4cb8ef5-2c3f-4afb-afea-ecfa5431db5e">Freepik</a>


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?