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歌のよさとは何だろう ーー古今東西/J-POPから洋楽、Vtuberまで歌の良さの要素を、思いつく限り分解してみた




先日、Vtuberの曲をカラオケで90点取るnoteを投稿した。
このnoteを投稿したのは、Vtuberの曲をとりあえず聞いてみることも目的のひとつでしたが、やはり新しいコンテンツということで、BPMや言葉数の多い曲に触れてみたいということが大きかった。
そして、神椿のようにVtuberでしかできない表現を極める人たち、甲斐田晴さん、夢追翔さんのようにシンガソングライターの道を究める人たち、全力ブーメランのようにアイドルを究めるひとたちなど様々な人がいた。


曲を多くDigっていく中で、問題となったのがVtuber楽曲の異常に高い難易度だった。
簡潔に書くと

・高い
・早い
・言葉数が多い
・展開がひねくれている(新しい展開をするCメロDメロが大量に存在)

この4つの要素のどれかは満たしている曲しかほぼ存在しなかったのだ。
これらの曲をカラオケの採点機能を使い「攻略」することは非常に楽しかった。最終的にMrs.GREEN APPLEの「僕のこと」で95点程度を取れ、カラオケで一応他の人に「歌うまいね」と言われるところまで来ることが出来た。
しかし、まだ人に息を呑ませたり、感動させるところまではいけていない。


カラオケの採点機能による訓練は、ボイストレーナーYouTuberのおしらさんも一定の評価をしていたものの、それでは測れない部分はまちがいなく存在する。例えばラッパーの晋平太さんがカラオケをした動画では、ラップは全く点がでていない。だからといって晋平太さんが歌が下手かと言われれば、そんなわけがない。

さらに、実際のJ-POPの歴史を見ると、確かにVtuberの曲のように「難しい曲を簡単そうに歌う」ことには間違いなく歌うまの一要因である一方、
簡単な歌を丁寧に情感を込めて歌う」こともまた、別の歌のうまさの一因であることは間違いがない。

玉置浩二さんの「メロディー」は、難解なコード進行や高い音は使われていないため、歌の初心者でも歌うことができる。しかし、玉置さんが歌うと、その深い声の中になつかしさを感じる情景が浮かび上がる。

今回は、「カラオケで表現できないうまさとは何か」を、素人が素人なりに考えてみた文字通りのエッセイ(試み)である。この記事で集めた要素は、私自身がカラオケのために作っている分類であり、簡潔さは目指さない。考える素材として、今回は10を超える項目をとりあえず作ってみた。

具体例として出すミュージシャンは、いろいろな界隈を見て回れるように(また個人的な備忘録として使えるように)なるべく様々な時代から連れてきている。



⓪ピッチがよい ーーカラオケで鍛えられるうたのよさ、そして歌の基礎


カラオケにおいて、もっとも鍛えられる能力は私見ではメロディーを読む能力である。採点のバーは要するに楽譜の役割を果たしており、それをなぞって歌うことは、基礎的なピッチ補強にもってこいである。

時々、「カラオケで歌っても歌はうまくならない」ということを言う人がいる。確かに後述するようなピッチを意図的に外したり、揺らすような逸脱を楽しみにしている人からすれば、確かに物足りなく感じるかもしれない。しかし、ポピュラーミュージックを考える場合、音程が安定していることは、発音が安定していることを意味していることが多い。
そしてメロディーを読むことは、リズム、ハーモニーと広がっていく音楽の何重にも重なった魅惑の世界へとたどり着く第一歩である。


90年代から不動の人気を誇るJ-POPの代表格、スピッツの草野さんは基本的にビブラートを使わず、こぶし、しゃくりなどの装飾をほとんどしない、かなりピッチに正確な歌唱をしている。しかし、草野さんの細いようにも聞こえるが、しかしまっすぐな歌唱が、『春の歌』や『スターゲイザー』といった曲になって数多くの人を支えてきたのは、言うまでもない。

まっすぐな歌が力強く人の背中を押すこともいくらでもあるのだ。
洋楽だとJourneyのSteve perryやColdplayのChris martinが、あまりこぶしや細かい技法を使わず、まっすぐな歌を歌いながら、ヒットを次々生んでいる。


⓪-1応用技 Riff & Runs ーー正確なピッチを知っているからこそフェイクを入れることができる


正確にピッチを取って歌えるようになれば、そこから外すことができるようになってくる。正しい音程に飽き足らない人々が手を出すのが「フェイク」である。これは、正しい音程からアドリブで音程を外し、自由自在に声を動かしてみるものである。
Riff & Runsを習得するためには、後述するリズム感、音程をどうずらせば気持ちよく歌えるかの事前準備が必要になる。カラオケ採点ではおなじみだが、半音少しだけずらして戻せばこぶし、音の始まりをずり上げるのがしゃくり(ずりあげ)である。これをさらに複合させていけば、メロディーを自分でつくることができる。そして、一流のレベルになると、楽譜のドレミファソラシドだけでは現わせない微妙な音の上下までよみとっていく。

日本のヒットシンガーで使っている人はR&Bに限定される感じがあるが、海外ではCeline Dionのようなディーヴァは、自然に使いこなしている。やりすぎると言葉が言葉として聞こえなくなる弱点もある。


①リズム・グルーヴ感 ーー曲の前ノリ、後ろノリなどを理解する、そして人を踊らせる


日本で最初期にR&Bを導入した久保田利伸は、よく「リズム感が天才的」という言葉で形容される。これについては私もまだはっきりとした答えはないが、いわゆる裏拍や1/16拍を読み切る、わざとリズムに走る、モタるを選択する能力が高いということか・・・?と考えている。

ロックにおいてもFranz Ferdinandの『Take Me Out』のように、音が早くなる/遅くなることで感情や歌詞の動きを表現することは多々ある。その中で先鋭的に一曲の微細な前ノリ/後ろノリを読む必要があるのがR&Bである。
R&Bは自由でふわふわした音感で聞こえる。それは確かにどの曲もある程度のリズムキープとピッチを保っているが、そのリズムとピッチをどのように揺らすかにうまみのある音楽だからであろう。
楽譜的な知識があってもいいが、ここで必要とされるのは一つの曲をどのようなノリで歌えばいいかを直感的に読み解く能力である。故にR&Bシンガーの歌は、現場で聞くとライブごとに歌い方ごと変わってしまうことが少なくない。



こうした後ノリ、前ノリを自由自在に使いこなせると、FunkやHip Hop、Soulなど人を踊らせるジャンルの音楽を歌えるようになっていく
ダンスは詳しい分野ではないが、ダンスミュージックの場合、一度音やリズムを外してしまうと一気にそれまでノリノリで聞いていた視聴者のノリを切ってしまうことになり、歌唱の難易度は高い。(ただし、前述のフェイクなどを入れて、ごまかしてしまうのも手である)

マイケルジャクソンやMrs.Green Apple『ダンスホール』のようなカッコいい曲の場合、ドラムなどのアタックが一番強いタイミングに合わせてビシッと強調したいポーズを決める。逆にバレエのように優雅な曲の場合、リズムをキメることよりもその合間の揺らぎを楽しむ。
ダンスミュージックでも基本は変わらず、その曲がそのリズムでどのような効果を人に与えるかを想像することが大事になる。



日本人はリズムが読めていないということを言われるときも時々ある。しかしこうした疑問は、ぜひ盆踊りや沖縄民謡など、その多様なリズムに触れてから考えてみてほしい。ここから挙げるように、リズムの世界はポピュラー音楽にとどまらない。


①-2 世界各国リズムの旅 ーーハネにもリズムにも種類がある



リズムと言われたとき、世界中のありとあらゆる場所に、違うリズムで作られた音楽が存在する。この項だけですべてを扱えないが、主に二点見てみよう。
ラテンアメリカやスペイン・ポルトガルはサンバ・サルサ・ボサノバ・バチャータ・フラメンコ・カリプソ・スカなど、情熱的な熱狂を生み出す/落ち着いたカフェの時間を作り出すリズムの宝庫である。
例えばレゲトンと呼ばれるジャンルならば、8拍を「3-3-2」で割る、ボサノバならば8分音符のシンコペーションやポリリズムを使うなど、おおまかな特徴をつかんだら、ぜひそれぞれのジャンルを聴いてトライしてほしい。

こうした地域性のある音楽を超えて、難しいのがテクノミュージックである。ボカロにも受け継がれたDTMによる研究精神は、様々な実験音楽を作り上げた。YMOは意図的にハネを抑えた機械的なサウンドをポップミュージックとして『RYDEEN』を作ったかと思えば、逆にラップ(『ラップ現象』)や中華風(『東風』『体操』)のように、ハネをこまやかに加えることで曲の情景を作り上げる。
さらにこれがBjorkやRadiohead、ゲーム音楽のレベルまでになると、2/2や13/8、17/8などかなり見慣れないレベルの変拍子が出現することがある。
こうした癖の強い聞きなれない音を使う曲を歌う場合は、まずは楽譜を見るのはもちろんだが、その曲がそのリズムで描きたい風景や、文化的にそのリズムを聴くと人がどのような景色が見えるかを想像しておく必要があるだろう。ケルト音楽やインド音楽などは、聴いた瞬間にイメージがつく。

音楽が簡単に収集できる時代だからこそ、人は多くのこだわりを曲に込めることができるようになった。その曲が伝えるものが熱情か、悲しみか喜びか怒りかを司るのは、リズムの大きな役割である。


私の推しの一人である、Juan Luis Guerraさんはバチャータ・サルサを積極的にポピュラー音楽として世に売り出し、世界的な人気を博した。こうしたリズムパターンは、特にドラムマガジンの特集などで気になったジャンルのパターンをよく聞きこんでおくと、対応できるようになっていく。


②低音の深み、広がるような声

ここから音域の話に入ってみよう。

50-60年以上前の古い音楽を聴いていると、特にジャズ分野において、Nina simoneやLuis Armstrong、Chet Bakerのように、今のポップスでは考えられないほど低く、しかしその分、人の耳にじっとり残る声をしている。
低音は、基本的には人に威厳を感じさせ、力強さや安心感を与える。一方で、低音を基調とする歌は張り上げるような声にもなりにくく、どちらかというとある程度スローテンポになりがちである。そこにがなりや豊かな表情を付け加えることで、悲しみを表現するのが「ブルース」である。

これがオペラの世界になると、ベルカント唱法と呼ばれるのどぼとけを下げる歌唱により、とてつもない音響的な広がりを手に入れることができる。そしてこのプロフェッショナルであるPavaorottiの歌唱を聴くと、低音から中音までの滑らかでコントロールされた声音の変化を聴くことができる。


日本で低音の歌がうまいということで思い出されるのは、まず寺尾聡さん、福山雅治さん、星野源さんである。このお三方の曲は、メロディのひねりも少なく、最初に歌を歌う人におすすめできる。
また、女性歌手の場合、高音より低音の方が出す難易度が高いともいわれる。中森明菜さん、松任谷由実さん、AIさんの曲はそうした低音を練習するのにぴったりである。


②と③の間 中音域の魅力 ーー一番親しみ深い音域だからこそ個性で勝負

男性でいえばhiA、女性でいえばhiC-hiDと呼ばれる音域は、中音域と呼ばれ、もっともポップスの曲で最高音として使われることが多い音域であった。
最も使われることが多いということは、この高さの音域はそれだけ一般の人に聞きなじみがあり、また比較的喉を壊す危険も低いため、それだけその人の個性がでる音域である。
男性ならレミオロメンの『粉雪』やコブクロの『桜』、女性ならあいみょんの『マリーゴールド』やaikoの『カブトムシ』あたりの最高音域であり、カラオケの定番曲でもおなじみ深いだろう。

一番皆が歌える音域であるということは、それだけ色が出る。
例えば尾崎紀世彦さん、コブクロの黒田さん、村下孝蔵さん、CHAGE & ASKAのASKAさん、布施明さんは、それぞれこの音域が最高音の曲をよく歌った人たちだが、同じ曲を歌っていてもこぶしの入れ方、メロディーの外し方、声の太さそのすべてがそれぞれに光るスタイルを持っている。

この音域を
・ウイスパーで歌う
・がなりで歌う
・のびやかにまっすぐうたう
・悲しそうにこぶしをいれてうたう
・叫びながら歌う
・地声/裏声/ミックスボイス/がなり/デスボイスで歌う
というだけで、かなりの選択肢があり、この選択によって歌の色は変わっていく。そこで自分だけの声を見つけた人が、個性的と呼ばれていくのだろう。
最終的には複数の出し方ができるようになっておくのがよいが、まだレミオロメンの『粉雪』を喉を枯らさずに歌えない場合、緊張をほぐしたり、キーを下げるなどして、低い音域から徐々にならすことを心掛けたい。基本的に高音域が出る人は、低音域でも太い声を出すことができる(のどぼとけを下げて歌うことができる)ため、低音を太く出す練習はすべての基礎であることは強調しておきたい。

中音域が出るようになった時に、高音域をすぐに攻めるのもありだが、個人的には、中音域をいろんなBPMとジャンルで歌えるようになっておくこと、そして自分の好きなジャンルをよく聞いておくことをおすすめしたい。
高音域の世界は確かに輝かしいが、ポピュラー音楽の世界だと意外とジャンルが狭まり、また到達する前にあきらめてしまうことも多い。

そうしたときに立ち返るのは、音楽としての歌、ひとそれぞれが持つ表情の方である。


③超高音の世界 ーー歌姫とロックスターたちの憧れ


Mariah Careyが1991年に発表した楽曲『Emotions』は、ディスコミュージックにのせて軽やかに、hihiA以上の音域をホイッスルボイスと呼ばれる、のどの形を笛状に変化させて歌う歌唱を見せ、世界中に衝撃を与えた。

ホイッスルボイスは、この時からMariah Careyだけではなく、Whitney HoustonやMISIAのような90年代以降に活躍した歌姫が使う強力な得意技として、一躍憧れの声となった。ホイッスルボイスの元祖としては、鳥のさえずりを再現しようとした名曲Minnie Ripertonの『Lovin' You』があげられるだろう。

歌の世界にとってカラオケの登場は、一方で歌いやすいJ-POPが売れるという効果があった一方で、木村ワイP『高音厨音域テスト』に代表されるように、「高音をどれだけ出せるか」の競争を促進する意味合いがあったようだ。2020年代以降になると、例えばCDTVを見てみると一曲の最高音は4~5音分は上がってしまったように聞こえる。
Mrs.GreenApple、Official髭男ism、King Gnu、Adoと並べてみると、近年のカラオケ事情がどれだけ恐ろしいことになっているか・・・・・・。

海外では、VITASやDimash Qudaibergenら東欧・西アジア出身のアーティストがマライアキャリーをも上回る超高音を美しいファルセットで出し、人気を博している。


こうしたきれいなファルセットやヘッドボイスで歌う高音がある一方で、B'zやAerosmithのようにしゃがれた声で出す高音が存在している。これらは、初心者が真似しようとすると、のどを壊す怖さのある歌唱法である一方、ハマれば、しゃがれ声の形は人によって変わるため、強力な個性になる。


THE FIRST TAKEにて、そのhihiAを誇る超高音からしゃがれた低音の落差、青で埋め尽くした強烈な音像で話題をさらった女王蜂。インターネット上の歌い手として、高音を出すために一音一音にまで磨きをかけたウォルピスカーターさん。
ウォルピスカーターさんの著書『自分の声をチカラにする』は、自らの高音へのこだわり、トレーニング法から、動画制作のポリシー、流行との触れ方など、今の時代に歌を歌うことの意味を問われる名著。

高音を出したい人は、なるべく先人がどのようにして健康的に高音を出しているかを、専門家の意見を参考に知っておいたほうがよい。私のお勧めは、YouTuberとしても発信されている九州大学の耳鼻咽喉科医師である李先生の情報である。


④-1演技力・感情表現


ミュージカルの世界をはじめ、演劇は歌と密接な関係を持つジャンルである。
ミュージカルでいえば古くはFrank Sinatoraの『New York, New York』や映画『雨に歌えば』『サウンドオブミュージック』『La La Land』『The Greatest Show Man』『ライオンキング』、宝塚歌劇団の曲たちなど多くの例がある。

Whitney Houstonの映画主題歌など極端な例を除き、ミュージカルの曲それ自体が極端に難易度が上がることはない。
むしろ問題は、ブロードウェイの曲がある映画作品の文脈の中で、どのように機能するか(主人公たちを鼓舞したり、内面を説明する歌なのか、観客を楽しませる歌なのか)、そして舞台を見ている人々がどう感じるかを意識することであろう。

またロックンロールの世界では、David Bowieといった1970年代のグラムロックを率いた人々が、Bob Dylanから学んだ抒情的な作詞術の上に、自らがZiggy Stardust、Thin White Duke、Aldaddin Saneといったペルソナをその歌詞に沿って次々演じ分けるようなことも行った。
時代によって作られる音楽も変わっていく。特にDavid Bowieの場合、薬物の問題、自己意識の問題、東西冷戦の問題といったことを曲に取り入れていくときに、一人の人の人格だけではそれを語りつくせなかったのだろうと思われる

演劇の舞台の上は、単にほかの人の真似をするだけではなく、新しい自分の感情や空気を作り出していく場所でもある。その時、もちろんお歌も重要なのだが、その歌がどのように機能しているか、周りの聞き手や社会とコミュニケーションを持つような意識があるとよいだろう。


演劇の入門書としては、鴻上 尚史さんの新書がおすすめである


④-1(発展) ボーカロイド、Vtuber、そしてアイドル --演じながら歌うこと、そして歌がキャラになること



ここから描くのは、演じることの2010年以降の現代系のお話である。

いわゆる声優やVtuberの歌の本領の面白さをどのように考えるかは、いまだに参考文献も多くなく、私もわかっていない。
YOASOBIの『アイドル』のように「愛を演じる」曲が流行し、バーチャルユーチューバーのように、自由自在に見た目を変えることができる存在がインターネットで人気を博す時代になった。そうした時代に起こるのは、一人の人が歌う歌のジャンルのインフレなのかもしれない。

たとえば月ノ美兎『月の兎はヴァーチュアルの夢をみる』は、ササキトモコ、大槻ケンヂ、広川恵一、IOSYS・・・とアイドルソング、ロック、HIP HOP、90年代J-POPとサブカルチャーのあらゆるジャンルをあらゆるタイプの曲を渡り歩きながら、それぞれの曲の持つ可愛さ、電波さ、カッコよさ、浮遊感を歌で掬い取ることに成功している。人からもらった曲だから、どっちかというと曲を台本みたいに扱ったのかもしれない。

ボーカロイドやアニメソングの流行は、たとえばEveのように曲自体の見せる情景をアニメPVにするアーティストのように、次々と映像と結びついていく。


アイドル以外だと、80年代以降David Bowieの影響を受けたBOOWYやX Japanといったヴィジュアル系や、次々とコスプレのように衣装と曲調をアルバムごとに変えていった椎名林檎の存在が、現代のアーティストに大きな影響を与えている。

ここできちんと述べておきたいことが一つある。この後、ペルソナや演じることをしないタイプのアーティストのことを描くが、もうこの時代に演じる/演じないに良し悪しの差はないということである
演じる人は、何か隠し事をしているように見える。しかし、演じることでしか伝えることのできない感情もある。人の思いを歌にするボーカロイドが人の心を動かす時代になっている。



④-2実直な感情表現・叫び ーー言葉をまっすぐ伝えることができる力、生身の人間をさらけ出せる力

4-①の「逆」で、演じることなくストレートに人の心をつかむ歌を歌えることも、一つの才能である。いや、曲によっては、人の価値観さえも変えてしまうほど強い力があるのが歌である。

Mr.Childrenの桜井和寿さんは、「言葉」をストレートに伝えることができるアーティストとして吉田拓郎さんと中島みゆきさんの名前を挙げた。この両名は、ともにシンガーソングライターの先駆けであり、1960-70年代から長い間、社会情勢や人の不安と対峙して曲を作り続けてきた。
人間とは何か、生きるとは何かを最も掘り下げ、人々を導いた歌手である。

吉田拓郎は、1975年につま恋村にて開催された第三回全日本フォークジャンボリーにて、「人間なんて」という曲を歌い始めた。
彼は、その後二時間以上連続で同じ曲を延々と歌い続けた。この曲は本来10行にも満たない叫びのような曲である。拓郎は喉が潰れんばかりの怒号でこの曲を歌い、観衆は一種のトリップ状態に入っているように、ビデオを見た私の目には見えた。
虚飾も何もかなぐり捨てた歌唱は、当時の社会情勢を受けて言葉にならないものを言葉にしようとした、その声に人間の底力のようなものを感じる。

中島みゆきの「ファイト!」は、音楽としてはシンプルな繰り返しで出来ている曲である。しかし、その歌は、中卒で仕事をもらえない女の子や、親や子供にひっぱたかれて育った子どもたちの無念へ寄り添うような、か細い声から始まる。
しかし、「ファイト!」の掛け声が入れば入るほど、少しずつ歌詞と中島さんの声は、盛り上がっておき、その無念を闘うための力に変えるように、少しずつ少しずつ、諦めや自責の言葉を断ち切るように、ひとつひとつ言葉を紡いでいく。

こうした歌い方は技法以前に、ひとつひとつの言葉が扱っている話題が重く、そしてその言葉に自らも飲み込まれながらでなければ、なかなか歌いきることは難しい。


そして、ほかならぬこの対談をしているMr.Childrenの桜井さんこそ、こうした不安で苦しい世の中に生きる人たちを90年代に代弁してきた人のひとりだろう。

Mr.Childrenは1996年に『深海』という、人気絶頂期とは思えない、心の暗闇の中を掘り進むようなアルバムを発表した。「名もなき詩」以外、ヒットシングルを入れずに作られたこのアルバムは、日本で最も重要なコンセプトアルバムであるという人も多い。
そのアルバムは、ニュースや戦争や平和といった社会情勢と、その中で何もできない自分に向かい合い深く心の中に沈みこむひとりの青年の様子を、物語のように曲をつないで伝えるものだった。その後、ミスチルは明るい歌もありながらも「フェイク」「ニシエヒガシエ」「光の射す方へ」のように、常に、人が抱えてしまう虚無感や投げやりな部分を歌い続けた。

そして、アルバム『Q』は後期のMr.Childrenを予告し、深海から地上に出てきたかのように晴れやかなアルバムになっている。



ストレートに自分の内面をさらけ出すタイプは、強い誘因力があり、人を導くカリスマ性で、同時代の人を導くことも多い。そしてシンガーソングライターのように、自らの言葉を強く信じる人たちなら、その力もひとしおである。

The Beatlesをやめた直後のジョンレノンは、1970年に「GOD」という曲で世界中の神様(キリスト、王、ヨガ……)、エルヴィスプレスリー、ボブディランを信じないと叫び、彼自身がいたビートルズをも否定した。当時のファンの反応も、相当にセンセーショナルだったと伝記などを見ても出てくる。


時は2010年代に入り、世代を超えても、こうした屈折した思いを描こうとするアーティストはやってくる。

バーチャルシンガーソングライター・夢追翔さんの曲「音楽なんざクソくらえ」「命に価値などないのだから」や大森靖子さんの「死神」「マジックミラー」のように、現実の地獄を直視して、そのドロドロを不器用なまでに突き出してくる曲は、時に人々の価値観を揺さぶる。そして我々がのうのうと生きている現実が、実は根拠もないハリボテの上に成り立っていることをも示してくる。
「命に価値はない」と思えてしまう自分のようにならないでほしいと、ほかの人に生きてほしいことを祈る歌。
男や女という体裁にこだわって目の前の人間に向かい合わない奴に対して、殺意を込めて反抗を宣言する歌。

あくまでこのnoteは歌唱技法のnoteである。しかし、言葉をストレートに伝えることができる才能がある人たちならば、自分たちの言葉を何度も吟味して、咀嚼しているはずである。
時に、ふつうは正しいと思われている価値観を打ち破らなくては言えないことがある。カラオケであれ、そうした言葉に触れることは、歌い手の覚悟を試されることである。


⑤-1早口(HIP HOPのようにメロディーを気にしないもの)


1979年にThe Sugarhill Gangが「Rapper's Delight」という曲を生み出し、日本ではいとうせいこうが「噂だけの世紀末」「東京ブロンクス」といった曲で日本に持ってきたHIP HOPは、2000年代のRHYMESTERやKREVA、キングギドラやDragon Ashたちの時代を超え、2010年代以降はフリースタイルダンジョンの隆盛と、Creepy NutsやAwich、BAD HOPの登場により、ますます存在感を増している。

HIP HOPで重要視されるのは、歌いまわしや音ののせ方を意味する「フロー」、そして自分自身のスタイルを貫くストロングスタイルである。特にどこまで早口で言葉を紡ぎながら、ビートを刻むことができるかは、HIP HOPの醍醐味である。
カラオケ民的に難しいのは、このジャンルではサンプリングや言葉の本歌取りのように、ほかのジャンルから言葉をお借りする場合はあっても、「曲をカバーする」ことに対する文化が強くないことだ。さらに、メロディのようなはっきりとわかりやすい指標がないことも、初見では難しさを感じさせるだろう。

ただ、基本的に①のリズム・グルーヴ感を強調した歌唱法を意識して、かつ言葉の末尾の韻を意識してみること、そして、あえてメロディーを外してもよい状態で、とりあえず駄洒落のつもりで遊んでみるのがよいだろう。


次の章でもそうだが、要注目する記事の一つがこのSoundQuestさんの記事「ラップのピッチとキーの関係」である。ここでは、一般的にはメロディがないと思われがちなラップが、意外とメロディと複雑な関係を結んでいることを表している


⑤-2新世代の早口ーーメロディーとラップの境目のない曲、まるでしゃべるようにうたうこと


最近、私がカラオケをするときに一番自分がすきなのに、歌えずに悩んでいるのがここに当てはまる歌手の人たちである。
前述のはっきりとHIP HOPとわかるアーティストたちの場合、最悪メロディーとして外れていても、リズムとして聞き心地がよければなんとかなる。問題は、「ある部分ではリズムに乗り」「ある部分ではメロディーにのる」ような、いったりきたりを繰り返すほとんど直感で歌っているアーティストたちの存在である。
People 1、菅原圭さん、DUSTCELL、Adoさんの『踊』など、こうした曲は、カラオケでいくら音程があっていても、「歌っている」感じにならない。

例えばPeople 1の『銃の部品』や『Ratpark feat.菅原圭』といった楽曲は、メロディとしてみると音の粒一つ一つが細かく、しかし一つの音にがなりやビートを刻む感覚がある。口数が多い分、まるで喋っているように歌う効果が強く出ている。
ほかにも『DOGLAND』ではヒップホップ的な早口で始まったかと思えば、サビで一気にメロディアスな縦ノリ(PVではバンドメンバーもジャンプしている)にいきなりリズムチェンジする。
この暴れまわる犬のごときパワーに、歌う人はついていかなくてはいかない。この繰り返しがほとんどない混沌としたメロディでありながら、ポップソングに聞こえるのだから、すさまじい作曲センスである。


DUSTCELLも、AメロBメロが本格的なヒップホップ(トラップ系)にもかかわらず、メロディーがサビで一気に王道のメロディーが全面化してくる(『CULT』『命の行方』)
この楽曲のこまやかな展開の切り替えは、ほとんど直感的なほど歌を歌いこんだからこそできるものである。菅原圭さんはインタビューで、自分の曲を作るときは理論とかというよりは直感やニュアンスで作っているという。
そうした曲を歌うときは、理論ではなくて何回も曲を聴いて、その曲の持っているニュアンスを覚えていくような、そんな作業をしていくしかないのかもしれない。
菅原さんの曲であれば、最新曲の『シャワールームランデブー』は、聴いているだけで浮遊している気持ちを感じる、不思議な曲である。例えばこの曲を歌いたければ、タ行やガ行のようなごりっとした子音を少し息っぽく歌う必要があるだろう。


KAMITSUBAKI STUDIOのアーティストたちの楽曲も、インターネットカルチャーやポエトリーリーディングの影響を受けており、彼女たちの歌もAメロBメロサビと非常に言葉数が多い。しかし、その曲たちが決してメロディアスな部分を無くしていないのは、その微妙なバランス感を彼女たちがよく聞いてバランスを取っているからだろう。
この文脈ではMAISONdes feat. 花譜, ツミキ『トウキョウ・シャンディ・ランデヴ』、花譜『花になる』『私論理』、理芽『さみしい人』あたりのリズム感を聴いてみてほしい。かなりメロディとしては声が震えているのだが、それが曲自体のリズムとしてぴしっと決まっている。

こうしたリズムとメロディの関係が大きく変わったのは、個人的にはEd Sheeranの『Shape Of You』が世界的ヒットになったことに起因しているのではないかと考えている。
Ed SheeranはもともとEminemや一緒に曲も作ったPharrel Williamsのような、HIP HOP、ファンクから影響を受けつつも、それを独自の解釈で曲に落とし込み続けていた。『Shape Of You』は従来のヒットソングとは違い、サビの盛り上がりも大きくなく、言葉をリズムに乗せていくことで、男女の妖しい関係性を浮かび上がらせている。
日本だとBUMP OF CHICKENが、喋っているようで一方でメロディーを見るときれいな8分音符で作られた歌(『涙のふるさと』『車輪の唄』)がある。こうした「しゃべるように歌う」ことは、新しい世代の音楽の良さを示しているように思える。


⑥オケやコーラスとうまく融和している(ハーモニーがある)


1966年にリリースされたThe Beach Boysの『Pet Sounds』やQueenの曲の一部は、音楽的な完成度が高すぎるが故、逆にいくら聞いても「わからない」と言われることが多い。これまで、数多くのコード進行の分析が行われているが、私が個人的に感じたのは複数人で歌う曲の場合、声と声が混ざり合い主旋律がうまく見えないのではないかということだった。
歌謡曲や現代のJ-POPの場合、主役は明確に歌い手である。しかし、音楽は音楽である以上、「音」や曲が作り出す「情景」が主役であり得ていい。
例えば90年代に活躍したワールドミュージックのグループZABADAKは、星や海のきらびやかな情景をどのように曲に落とし込むかを考えて曲を作っている。この時確かに歌い手はいるのだが、大事とされるのは「音楽全体としての調和」である

ここまで完成された音楽の場合、やはり音楽理論を学んでおいて、大まかでもいいのでその曲の目指す方向性をつかんでおくのが望ましい。



二人以上のボーカルでハーモニーを作る曲やharuka nakamuraのような現代音楽家の曲は、一人では描けない情景を声のぶつかり合いと調和で描くことができる。ハーモニーの解説は簡単にできるものではないが、どうかカラオケのように一人で歌うだけではない音楽の世界を見てみてほしい。


⑦Messa di voce(音の大小表現・繊細なコントロール)


Messa di voceは、主にクラシック音楽で使われる用語で、同じ高さの高音を維持しながら、徐々に声を強くしていく歌唱法である。オペラなどでは劇的なシーンに使われることが多く、「神の声」と呼ぶ人もいる。

森山直太朗の『夏の終わり』の冒頭は、非常に小さな裏声から大きくのびやかな裏声に遷移していく。この強弱のつけ方は、自分の声をどのように意識すれば強弱がつくかを意識したうえで、ほかの音楽隊のリズムを読み切らなくてはできない、繊細な技である。
たとえ、全体的にみれば声が大きくなくても、音の高低や細かい大小だけでも、ニュアンスを伝えることができる。これは、マイクや録音技術が一般化したからこそ聞くことのできる声だろう。


⑧語感が良い・母国語の語感を捉えている


Billy JoelやThe Carpentersの曲は、母国語を知らない私たちにとっても、非常に甘い声に聞こえる。The Carpenters『I Need To Be In Love/青春の輝き』は、Aメロでこれまでの人生の中で散っていった恋について、しみじみと内省するような形で始まる。
しかし、サビに入ると、その内省は一気に「I know I need to be in love」、つまり別れることが怖かった自分からの脱皮と共に、曲全体の盛り上がりとともに、ボーカルのカレンの声も一気にボリュームが大きくなる。
ボリュームの大小がはっきりついているにもかかわらず、その歌詞はハッキリと聞き取れる。そして、その曲の物語に寄り添って聞く時も、ぼんやりと聞いた時も、その美しさに惹かれる。

シンガーソングライターとして、一時代の社会を切り取る鏡として活躍したBilly Joelもまた、歌っていることがはっきり聞き取れるタイプの歌い手である。『Piano Man』『Honesty』といった、ピアノバラードは夢を追うまっすぐな人々の悲しみを音楽にして切り取る。
特にサビの入りはかなり力の入るがなり気味の声にもかかわらず、こちらもまた、言葉自体はハッキリ聞こえる。怒りや不安を音として伝えながら、言葉もはっきり伝えられれば、その曲の持つ魅力は倍増していく。
さらに、『Just the Way You Are』のような女性を口説く曲の時は、気持ちがなり声を抑え静かに語りかけるように、逆に『We Didn't Start the Fire』や『Uptown Girl』のように、時代に対する風刺や上流階級の女性をナンパしに行く曲では、言葉のリズムもハネ気味に、どこか元気溌剌な感じで歌っている。
だが、繰り返しになるが、これだけの曲の幅があってもどれも聞き取れる上に、感情がのっているのだ。言葉の聞こえ方をどれだけ確認したか、聴いてみたい。


ボイストレーナーのMAHONEさんと九州大学の李先生は、Mrs.GREEN APPLEの大森さんの凄さの一つに、「日本語の語感を大事にしていること」を上げた。日本語は、母音の数がそもそも少なく、歌をうまく歌うのに必要な母音への意識をうまく作れない。
ただ、ミセスの場合は、特に「僕のこと」に代表されるような「オペラ的な歌い方」がその声の安定性の軸になっている。これは、ベルカントでよく言われる「喉を下げる」歌い方ができる(ローラリンクス)ことの証拠である。
さらに、ミセスの曲は「僕のこと」「青と夏」「インフェルノ」などヒット曲どれもが、実はサビで「あ行」が一番強調が入っている。このあ行を大森さんは「お」に近い喉の形で歌うことで、高音でものびやかに響く声を作っている。
曲を作る時点で、自分の曲の母音の配置を把握しており、その言葉が発しやすい発声を事前に熟知しているからできるあの高音であるように聞こえる。

おなじようにバーチャルユーチューバーの緑仙がカバーした『トウキョウ・シャンディ・ランデヴ』は、元の花譜さんがあえて言葉をつぶし気味にうたって、曲に寄せているのに対して、緑仙は実際にあえて音だけ聞いてほしいのだが、全部の発音がはっきり聞こえる。
ここまで細切れの音符でも言葉を当てはめることができるのは、100曲カラオケとか、おそらく日本で1日に最も曲を歌いまくっているYouTuberだからこそできる所業だろう。

⑨がなり声とデスボイス


がなり声は、ハードロックからメタルまで、ロックミュージックの原動力としてこれまで使われてきた。しかしado『うっせぇわ』や優里『ドライフラワー』の登場とともに、2020年代からはポップソングでも強いキャラ付けのために使われることが多くなってきた。
まず、がなり・デスボイスは大前提として、のどが痛くなったら速攻でやめるべき歌唱法である。

がなりとデスボイスの特徴として、ある程度照準は定められるものの、ピッチは部分的に不安的にどうしてもなることだ。さらに言葉を言葉として聞かせるデスボイスは難易度が高いため、まずは「あ"」や「お"」といった、点々がついた単音を出すことを目指してみる。

ここからは「私の体感」だが、まずは咳払いをしてみて、その咳払いが喉がいたくならない範囲で普通の唄声にのせてみることから始まるのがよいだろう。デスボイス講師のMAHONEさんの動画をぜひ参考にされてほしい。

歌唱技法として考えた時、デスボイスが表現するものは基本的には「怒り」や「熱情」である。さらに極めるとピッグスクイールなど他の動物を真似したような声や、人が吐く直前のような汚い音も生成することができる。ただ、MAHONEさんの動画によれば、その多くが基本的にクリーンな声が出るからこそ歌えるものであることは確認したい。



知り合いの洋楽ファンの人に、最近のロックの話を聞くと、必ず話題に上がるのがBring Me The Horizonである。初期はほとんど轟音にも等しい、ハードなメタルだった時期から、「Can You Feel My Heart」「Throne」といった曲で少しずつクリーンな声も取り入れ、世界的なヒットを出している。
以前、私はにじさんじの加賀美ハヤト社長がメタルバンドの話を良くされているのを見て、そちらをまとめている。彼の好きなバンドを追うことは、2000年代以降のNu-Metalの歴史ごと知ることができ、非常にお勧めである。


⑩伸びやかな声であること・ロングトーンが綺麗であること


早口があれば、逆にロングトーンもあるはずである。
Whitney Houstonは1991年のスーパーボウルで「Star Spangled-Banner」、つまりアメリカの国歌斉唱を担当した。この時に、どこまでも天の果てまで届きそうなその歌声は人々の魂をゆさぶった。ビブラートも強力にかかっているが、10秒以上続くロングトーンこそが彼女の歌の魅力のひとつであり、「I Will Always Love You」のような壮大なバラードで、彼女ののびやかな声を聴くとあっという間に心を持っていかれてしまう。

少し前に母国語のところで書いていた、ミセスの大森さんの「あをおと発音する」話のように、曲の歌いやすい発音を知っていること、また裏声でどれだけバランスよく声を震わせて歌えるかが勝負である。声は基本的に振動であるため、原理的に「震えている」。
そのため、無理やり音程をまっすぐにするのではなくて、震えを許しながら、それがどれだけあるピッチにたいしてまっすぐにのびやかに聞こえるかが勝負になる。


Whitney Houstonはかなり声もふるわせる時があるが、日本の村下孝蔵さん、平井堅さんは裏声でかなりまっすぐに聞こえる声の出し方をしている。ただ、聞こえ方がまっすぐであってもそれは裏声/ミックスボイスの調整をうまく行った結果、そう聞こえるものである。


⑪しゃがれた声であること・ビブラートが常にかかっていること


「のびやかな声」があれば、対照的に「しゃがれた声」であることも、人の心をゆさぶる要因になる。特にインターネットから活動の幅を広げた優里さんは、しゃがれ声が癖になっており意識すればしゃがれを外すことができるようだが、歌っている本人でも違和感満載らしい。

しゃがれ声、ダミ声は意識して出すがなり声と同じく、のどが痛くなったら避けた方がいい。B'zの稲葉さんやミスターチルドレンの櫻井さんの歌唱法を真似したい場合は、のどを痛めたらやめるを鉄則に私はしている。自分にバランスのよい声の張り上げ方を見つけたら、それをどんどん突き詰める。


海外であれば、AerosmithのタイラーやAlanis Morissetteらが、下手をするとピッチが外れているようにも感じかねないギリギリの声をしゃがれで出している。



⑫唯一無二であること/言葉では表せないオリジナリティがあること


ここまで書いてきた歌に関する言葉は、あくまで一般的に言われてきたことを並べたものである。人によっては、「その人にしか出せない」と思われる声を作ってしまうことがある。
フォークミュージシャンの祖であるBob Dylanの曲は、ギター一本でも歌えるほどシンプルなものにもかかわらず、繰り返しの多い歌の中で聞いているとだんだん酔った気持ちになるしゃがれ声をしている。

平沢進の声も、基本は裏声なのでが、極端に口をハッキリあけて発音する歌い方が、雅楽やタイから学んだクライマックスのない常に高揚したような曲調に合う、妙な感覚がする。



⑬歌う曲の音楽的知識と背景を知っており、その曲に新しい解釈を与えることができること(柔軟な対応力があること)


前章の「独特な声」はその代償として、人の曲をカバーする時にすべて自分の曲のように歌ってしまう弱点がある。Sex pistolsのSid Viciousが歌った「My Way」などは、パンクミュージシャンが歌ったピッチの危ういMy Wayであり、いい意味で彼の色に染まっている。

一方でスキマスイッチがライブでカバーしている曲たちがそうであるように、もらった曲にたいして音楽的に理解し、ある程度寄り添った形を保ちながら歌えるのも歌のうまさの一つである。Official髭男ismの「ホワイトノイズ」は、入りのギターの入り方がSleyerというメタルバンドのオマージュに聞こえるそうで、メタル界隈が盛り上がっていた。特に、この曲は90年代の車をPVに出すなど、東京リベンジャーズの文脈を知っていると、なぜ彼らがこうしたチョイスをしたのかは、理屈が通っている。

自分の個性を通すこともある一方で、相手の曲を大事に扱うことで生まれ出る個性がある。



スキマスイッチとOfficial髭男ism、ともに音楽理論を深く知らないと作れない曲を作っている。今回のnoteはおおざっぱな印象論となったが、いつか音楽理論を踏まえて曲を聞いたら、どのように感性が変わるのかを知ってみたい。


⑭歌が好きであること、あるいは歌や音楽に憑りつかれていること


ミュージシャンの中の迷信として、才能あるミュージシャンが27歳で亡くなるというものがある。Amy Winehouse、The DoorsのJim Morrison、Nirvanaのkurt cobainなどがあげられる。彼らの音楽を聴いていると、あまり迷信を信じるようなことはしたくない私でも、音楽のために死んでいったのかと感じるような、鬼気迫るものを感じる。

知り合いのアーティストの方に話を聞く機会があって、その時にその人が言っていたのはいくら技術があろうとも、その人のその時の精神状態は作品に「出てしまう」ものだということだ。
一曲の中に閉じ込められている思いは、その人の生きた証が意識的であれ、無意識であれ刻み込まれている。歌を歌うことは、その感情に内的に触ってみること、ある人が思った感情のタイムカプセルを開くような体験である。


Joni MitchellのBoth Side Nowは、空に浮かぶ雲がアイスクリームのように見えた思春期の時代を超え、様々な角度から愛を見たことを歌った曲。愛は雲のように、思い出の中にある幻だった。
だとすれば、この曲が何度も思い出の中の美しいものを思いだそうとしているのは、実はこの曲自体がいとおしい過去の思い出を蘇らせるひとりごとのような曲である。



⓯(おまけ)YouTubeで見ることができる最高のボイストレーナーの動画たち


デスボイス講師のMAHONEさんは、九州大学の李教授と共に、健康的な声の出し方を教えている。おそらく、(科学も間違いがあるとはいえ)科学的に正しい発声法を学会発表のレベルを含めて啓蒙している方々である。まずはこのお二方の動画からボイトレを始めることを私はお勧めする。

しらスタさんは、一曲一曲の歌詞を詳細に調べ、さらにはアーティストご本人にインタビューまでして歌唱の魅力を伝えるチャンネル。おしらさんが作られている曲の節回しノートは、曲を深く知るために素晴らしい試みである。

車田和寿さんはオペラ歌手の目線から、クラシック音楽の古典とその現代的変化を伝える。わたしはあくまでポピュラー音楽を歌おうとしているが、車田さんの「のどを開く」「顎を開ける」ことへの指導を見たおかげでミセスの曲が歌えるようになった(本当にありがとうございます)。

New York Vocal Coachingは、New Yorkのブロードウェイで活躍するプロ歌手たちをはじめ、多くのプロを輩出した学校の先生たちによるチャンネル。音楽学と発声をつなげて、深堀している。


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