見出し画像

言葉の花

ーー僕は「言葉の花」を贈る人でありたいと思っています。それは作家としても、人としても。


人生は物語。
どうも横山黎です。

大学生作家として、本を書いたり、本を届けたり、本を届けるためにイベントを開催したりしています。

今回は「言葉の花」というテーマで話していこうと思います。


📚『花束みたいな恋をした』

昨日、久しぶりに『花束みたいな恋をした』を観たんです。映画館で観た以来、アマプラで観ました。

映画館で観た当時のことを思い出すと、予告を観て、いつもだったらどこにでもあるような映画だなあという感想を抱いたんですが、脚本家の名前を見て、「あ、見よう」と思うようになりました。坂本裕二さんが書いていたんです。僕の大好きな脚本家さんのひとりで、言葉選びと物語の構成が僕好みなんです。

坂本さんの書く脚本の映画ならば、ただの恋愛映画には収まらないはず。そう思い、映画館で観ることにしたんです。

結果、最高でした。笑えたし、ときめいたし、泣けた。最高の映画体験でした。なかでも押しボタン式信号のくだりがツボで、過不足ない言葉で紡がれた笑えてときめけるステキなシーンでしたね。

時を超えて、最近アマプラで公開されたので、「また観たいなぁ」と思いつつ年末も正月も観れていなかったんですが、昨日、急遽。やっぱり変わらず面白かったし、変わらず泣けました。

以前何かで読んだんですけど、いわゆる「えもい」は固有名詞の数の多さに依存するので、サブカル好きの若者の恋愛を描いたことによって、本や音楽、映画の名前がたくさん登場するんですよね。それが物語の鍵だったり、ふたりの変化を表す象徴だったりするので、なおさらえもいんですよね。

あの頃からいくつか恋をして、少しは大人になった今だからこそ、そして、大学4年生という、彼らの始まりの年に近いからこそ、響くものがあって、このタイミングで観てよかったなぁとしみじみ思いました。


📚言葉の選択

話が重なりますが、僕が坂本裕二さんの脚本が好きなのは、言葉の選択が僕好みだからでもあります。坂本裕二さんの選んだ言葉からこそ伝わる時間、季節、関係性、愛がある。

主人公たちの感情が初めて重なったのは、終電を逃した後の店で映画監督の押井守を見かけたときでした。「押井守に偶然出会うことができた」という事実にふたりは興奮して、意気投合することになるんです。

大事なのはこれが「押井守」ってことで、サブカル人のなかでは語る必要のない伝説の存在だからこそふたりは心通えたわけです。これが「宮崎駿」じゃいけないんです。もちろん伝説の存在に違いないし偶然出会えたらそれはそれは胸踊るけれど、マスすぎる。誰でも知ってる著名人を見かけてもこのシーンは成り立たない。ふたりのようなサブカル人なら誰でも知ってる著名人でなければならないんです。

意気投合したふたりは語り合うことになり、お互いの趣味を共有するんですが、好きな作家も好きな漫画と好きな漫才師も、「今村夏子」じゃないといけないし、「宝石の国」じゃないといけないし、「天竺鼠」じゃないといけないんです。だからこそ、ふたりの心が通うことに筋が通るし、ふたりだけの世界が生まれるし、物語が続いていくんですよね。


📚言葉の花

僕は「言葉の花」を贈る人でありたいと思っています。それは作家としても、人としても。

「言葉の花」とは、綺麗な言葉、美しく華やかに飾った言葉という意味です。この言葉を見つけたとき、なんてステキな言葉だろうと思いました。意味も響きも見てくれも、僕好みでした。

「美しい」という定義は難しいものですが、僕個人としては、「伝えたいことが伝わっている状態」を指します。

『花束みたいな恋をした』でいえば、「押井守」や「今村夏子」や「宝石の国」や「天竺鼠」がそうであるし、「『わたし山根さんの絵好きです』って言われた」というセリフを3回繰り返したり、「お店の人に感じいいなぁとか、歩幅合わせてくれるなぁとか。ポイントカードだったらもうとっくにたまってて。」というセリフがあったり、単語にしても文章にしても、そして構成にしても、「花束みたいな恋をした」と伝えるために選ばれた言葉たちです。それぞれが響き合い、ひとつの音楽を奏でているかのようです。

「言葉の花」を束ねればメッセージという名の花束になります。誰かに贈るための花束。贈るからには、ちゃんと伝えたいし、心を動かしたいじゃないですか。だからこそ、ひとひらの言葉でさえこだわらなければいけない。小さくたって、薄くたって、異色の花びらは綻びになる。それがアクセントとして受け入れられればいいのだけれど、受け手によっては違和感になってしまうんですよね。

ちょっと浮遊した言葉ばかりになってしまいましたが、そんな言葉たちを選んでしまったのは、僕が伝えたいことを伝えきろうとしているから。そのために言葉を選んでいるから。

日々試行錯誤しながら、自分の感情をどうにか言葉なんてもので表現しようとしています。しかし、言葉の有限性が良い意味で制限になって、無限の美しさを生む可能性を秘めているのだから、言葉の花を贈ることはやめられません。今日もあなたに贈ることができました。喜んでくれるかな。だといいな。

これからも、noteや作品を通して、言葉の花を贈り続けます。最後まで読んでくださりありがとうございました。

20240113  横山黎



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?