読書日記〜リスを実装する〜
朝のアラームが鳴り無の中から無理やり目をこじ開け、働かない頭でスマホを手にとりSNSを眺めることが日課。顔認証でスマホを立ち上げ、指が自動的にSNSアイコンを探り文字を追う。自分の眠った間に交わされた面白いお喋りを見逃さないよう投稿をじっとりと遡る。知り合い達の会話の応酬に参戦したい気持ちもあれど時間が経ったやり取りを無理やり蒸し返すのも野暮。じっとりとした気持ちを残しつつ止めどなく続きゆく文字列を眺める。
SNSは高齢男性がスーパーの惣菜売り場で母親に「ポテトサラダ位作ったら」と声をかけたことが話題。リプに並ぶのは母子をかばった投稿者への賛同の声。中には老害、芋が喉に詰まれなどと男性への心ない言葉も散見。投稿者の女性に共感するが故の言動。実の所、私も余計なお世話と苛立ちを感じる。言うべき?
ふと思う。私たちは更新された最新の価値観という正しさを盾にまだ更新されていない価値観を徹底的に叩く。責任もなく相手を考えない言葉を吐いて。
思い出す『リスを実装する/円城塔作』小説。ロボ工業が進み、掃除、運転、受付業務などの仕事が全自動化された未来。主人公は高卒で清掃員として働くが数年で自動掃除機に替わられる。次の職、また次の職も就いて数年後にはロボ、機械によって奪われてしまい自動化の波に追われるよう職を転々。遂にはやっと手にした長距離運転手の仕事も手放す。「機械より自分の方が上手く運転可能と考えるなんて傲慢。手動運転は不道徳」
何気ない主人公の回想の台詞が頭に蘇り考える。私達の持つ正しい価値観はその時に生きる社会の状況により作られる。技術の革新に伴う生活様式により社会の価値観が目まぐるしく更新されてしまう。本作のように。私達が持ち合わせてきた価値観も社会の変動と共に変わる。価値観の更新頻度、角度が激しくなればなる程、みんながみんなついていける訳じゃない。
以前、大学講義にて話を聞く。「人は先験的想像力を持つ」と。簡単に言えば、過去・現在の事柄〜未来や手に届かない世界を、〜かもと想像する力。自分、家族の生存に関することしか考えることが不可能な獣に対し、人は自分の日常から離れたことまで想像可能。自分と関係のない報道を見て涙、地球の未来を思い暖房の設定温度を変えることも可能。
SNSでのコメは最新の価値観という正義の大義名分を振りかざし、〜かもしれない想像を諦めたように見える。例えば、高齢男性は女は家を守る者のような社会の古い価値観を引きずり昨今の急速な価値観の更新に追いつけていない。私達もたった数年で背負ってきた価値観を更新可能。
どう足掻いても1つの人生しか生きられない私達はせめてもっと物語に触れられないだろうか。物語には色んな、〜かもが散りばめられている。主婦・学生・富豪・社会的弱者・権力者。様々な登場人物の視点に触れることで自分の経験しない人生と見方に出会える。物語の登場人物の言葉、態度の後ろ側に苦悩、葛藤が見える。物語中で色んな人に出会いどんな人にも背負ってきたものがあると分かった時、私は責任の取れない強い言葉を誰かに向けられない。
ネットの力で距離の制限を超え高速で出会える私達。広がりの可能性を楽しみつつも画面の向こうを、〜かもと想像。互いにもっと優しく語り合える。自戒を込めて。
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