イイネ通知に振り回されない。書くための静かな「心の部屋」が欲しい
「小説が書けない」「書くことを仕事にしたいけど、仕事にしたらPVやバズを気にしすぎて」「書くことを仕事にすることは私の幸せじゃないのかもしれない……」と考える中でたどり着いたのは、「心の部屋」というキーワードだった。書いて、精神の安寧を得ること。精神の安寧を得るために、書くこと。書くことと幸せになることは、私の中で直結している……という気付きに至るプロセスを書いた文章です。
そうか、自分は連絡が嫌いなんだな、と気付いた。
いくら嬉しい知らせ、わくわくする打ち合わせだとしても、自分のコンフォートゾーンが破られ、せわしなく、あせあせした気持ちになってしまう。連絡を受けるのも送るのもすごく時間をとられる気がして苛ついてしまう。https://twitter.com/RayShibusawa/status/972123051813777408
これに対して、なんと3人の人がリアクションしてくれた。1人は「話を聞くプロ」を紹介してくれ、2人はコーチングやインタビューを練習中だから相手になってくれ、と言ってくれた。
なんて恵まれてるんだ……と思いつつも、頭の中の頭蓋骨と脳の間をたわしが駆け回るような、ウワーーーッていう焦燥感みたいな悪い興奮みたいなものがあって。結局今日はこの3件の連絡で1,2時間はかかってしまったし、軽く疲れてしまった。
でも暇な時はTwitter見てはエゴサしてファボチェックして「あーあ、誰かかまってくれないかなー」って思ってるのに、変だよね。
そういえば先日、私の小説にめちゃめちゃクオリティの高いレビューを寄せてくれた人がいたのに、読んで→お礼して→自分のアカウントでも紹介して……等してたらふつうに40分くらいかかってしまってやりたいことができなくなってウワーーーッてなってた。本人は全然悪くないし私がお礼メッセージの句読点の位置まで無駄にこだわるからいかんのだが。
やたら予定を完璧に組みたがる癖があり、「前後の予定と鮮やかにつなげたい!」とか、「忙しい時が偏らないようにしたい!」とか調整しまくってしまう。暇だからこそ逆に無限に調整できてしまう。
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先日コーチングをうけた際、私の描いた理想の姿(渋澤怜業でお金を稼ぎ、書く場も与えられ、仲間もいる状態)が実現したとして、「その時のれいさんはどんな気持ち?」と聞かれた時、
「あれ……!? あんまり幸せそうじゃない……落ち着かなそう……エゴサとかめっちゃして集中出来なさそう……やたら調子乗って、ネットでつまんないケンカふっかけたりクソリプ返したりしてそう……」
というイメージが一瞬で浮かんだのだった。(これは大変大きな気付きだった。詳しくはこちらの記事で)
だとしたら、私の描いた理想の姿(渋澤怜業でお金を稼ぎ、書く場も与えられ、仲間もいる)は、厳密な意味での私の理想ではないのかもしれない。
だって私、幸せになりたいもん。あせあせしたくないもん。
じゃあ、どうなったら、わたしは幸せなんだろう?
と考えたところ、
キーワードとして浮かんだのは「心の部屋」だった。
おそらく、この「心の部屋」は、小説を書くことと直結している。
小説を書くためには心の部屋が必要だし、心の部屋を得るためには小説を書く必要がある。
その心の部屋にいつでも住めるようになれば、私はどんなに連絡が来てもあせあせしないと思う。フォロワー3万人になってもリプライが100個たまっても、心を穏やかに保っていられると思う。
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心の部屋に辿り着いていないまま、小説を書こうとしていたから、この二か月はキツかったんだな。と気付けた。
小説は、というか、すくなくとも純文学の新人賞をとるためには、「自分側」と「社会側」の2側面から必然性のあるものを書く必要があるんだけど、
「社会」にかまけすぎて「自分」をおろそかにしていた。
社会側の要請にフィットした小説をかいたるぜ、と、高らかに宣言したこの文章が、おすすめnoteにも選ばれ、自分史上最大スキも獲得したんだけど。
でも、私うすうす気付いてるんだけど、自分で自分をアオると萎えちゃうんだよね笑 割とウケ狙いに走りやすい自分の気質を自分で加速させても、ろくなことにならないんだよね。
社会側の需要も勿論大事だけど、自分側の必然性はもっと大事だ。書くガソリン。これ書かないと死ぬ、っていう、内発から燃え上がる必然性。
そこを見つけたい。だからもっと自分を掘りたい。でも一人じゃ最近どん詰まってる。だから人に話を聞いてもらいたい。と思って冒頭のツイートをしたのだった。
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小野美由紀さんのオンラインサロンに入った。正式名称は「”書く私”を育てるクリエイティブ・ライティングスクール」だ。
ぽちぽちと出始めた課題作品をぼんやり眺めながら、『あー、文章書く時に大事なのは、「いかに『書くこと』と仲良くなるか」なんだなー』と思った。
文章には、上手い下手とかは勿論あるけど、「上手いけど借り物ぽい(書くことが身体にぴたりとついていない)文章」ってすごくあるし、逆に「下手だけど滲み出るのものがものすごい文章」もある。私は後者を「切ったら血の出る文章」「『書かないと死ぬ』っていう文章」「書く必然性のある文章」って呼んでて、自分が書きたい文章の指針のひとつとしている。(くわしくはこの記事に書いた)
もうなんか、「書くことが身体にぴたりとついているか否か」のみが大事で、その身体のスタイルが良いとか悪いとかはマジでどうでもいい。
そういえば小野美由紀さんの一日講座は、「身体を使って書くクリエイティブライティング講座」っていう名前なんだよな。で、初めの2時間くらいは全くペンを持たずにずーっと走ったり身体動かして遊ぶんだよな。
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私は最近、ダテにnoteスレして、前者の文章——輪郭ばかり整えて中身がガソガソの、身体に寄り添っていない文章——に偏りがちだった。具体的に言うと、身体的な比喩が減っていた。匂いや触覚への言及が減っていた。
皆さんの課題作品に触れて、身体の変なコリがとれた気持ちだ。
てかまだ全然本格スタートしてないのに、既にこんなに得るものがあるなんてすごい。
自己紹介と事務連絡くらいしかしてないのに。小野さんの文体からにじみ出るものが、場づくりにこんなに影響与えてるんだなあ。文体に性格が現れる、なんて言いたくないけど(現れるものを後付けで性格と言ってるにすぎない)、パソコン上で事務連絡するだけでこんなに滋味栄養が出てるの、すごい。
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