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外国人に「日本語はむずかしいですね」と言われたら、嬉しい?

ベトナムに来てから、日本語勉強中の外国人によく会うようになった。彼らに対して、日本人が「日本語難しいですか?」と話しかけるたびモヤモヤしていた。その理由は…… というお話。


ベトナムは、日本語を勉強中の人が驚くほど多い。
「昔勉強していた」という人を含めると、ものすごい割合になると思う。

バイクタクシーの運転手や、屋台の人に、つたないベトナム語で話しかけると「where are you from?」と聞かれ、ジャパンと言うと「私も昔日本語を勉強したことがある。でもあまりに難しくてやめちゃった笑」とはにかまれる。これがしょちゅうである。

だいたい、漢字の煩雑さのせいで挫折する人が多いようだ。

さて、あなたがたまたま、日本語を勉強中の外国人に出会ったとして、どんな会話をするだろうか。

「いつから勉強しているんですか?」「どうして勉強してるんですか?」などに並んで、
けっこうな割合の人が、こう聞くと思う。
「日本語は難しいですか?」

そうしたら相手の外国人は、おそらく100%の確率で「難しいです」と答える……。

(私はこういう会話がなされる場所に居合わせたことが何回もあるが、少なくとも私の経験では百発百中こうだった)

さて、外国人に「日本語は難しいですね」と言われた時、あなたはどんな反応をするだろうか。

多分、微妙に苦笑したり、はにかんだりするんだろうなと思う。したりと笑う人もいるかもしれない。

その反応の中にどんな気持ちが含まれているだろうか。

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逆に、もし相手が「日本語簡単デス!」と言ってきたら、どう思うだろうか。
ちょっと意外に思ったり、場合によってはムッとしてしまう人もいるかもしれない。

■外国人に「日本語むずかしいですね」と言われると喜ぶ日本人

わたしは、外国人に「日本語難しいですか?」と聞きまくり、「そうでしょうそうでしょう(苦笑&はにかみ)」としたり顔でうなづく態度は、日本人特有のものだろうと思っていた。

「自分は所詮、世界的に見てマイナーでマニアックな言語の使い手だ」という卑屈さと、「そんな言語を使える選ばれし民だ」という高慢さの同居、

つまり、悪しき島国根性の発露だと思っていた。

そもそも私は「日本語は難しいですか?」と聞くことすら、あんまり行儀がいいものじゃないと思っていた。

(私は絶対に自分からは聞かない。他人がトライしてること(で、自分がやすやす出来ること)に対して「難しい」なんてネガティブな言葉をかけたくないし、そもそも「どんな言語も質こそ違えど各々の難しさがあるだろう」という、ざっくりした文化相対主義的な考えを持っているから)。

日本人自身「日本語は難しい」とよく自嘲するけど、その言葉を聞くたび、
「ダセえな」
「使いにくい道具に振り回されながらそのことに誇りも持ってるなんて奴隷根性はなはだしいわ」
「そんなこと言うなら一刻も早く合理的言語に作り替えろや」
と思っていた。

のだが。

■みんな自分の言語を「難しい」と思いたがる

最近わたしがベトナム語を勉強し始め、たどたどしい発音を学生に直してもらうたび、学生たちも言うのだ、楽しそうに。

「ベトナムごは、むずかしいですね~」と。

なんだ! 自国の言語を難しいと思いたがるのは、日本人だけじゃなかったのか!

やっぱりどの国の人も、自国の言語が難しいと思ってるし、そのことにちょっとしたプライドも持ってるし、外国人が自国語習得に苦戦してるのを見るのは面白いものなのか。

それとも、ベトナムとか日本とか、比較的小国の人だけ??

中国語話者や英語話者にも聞いてみたい。

(特に英語圏の人。ユニバーサル言語として広く母語が普及しているのはどんな気持ちなんだろうか)

☟☟関連 「英語圏の人は、外国人のたどたどしい英語に萌えるのか」

■言語は、複雑で、だからこそ良い

さて、言語とは文化である。
そして、文化とは「余剰」だ、と、私は思っている。
つまり、「なくてもいいけど、あった方がなんかいい感じなもの」が文化だと思っている。
逆に、生存と密着しているものは「文明」と呼ばれるのだと思う。

生存のためには火を起こして肉をあぶることが出来れば十分なんだけど、そこに調味料を足したり、ソースを加えたり、花を添えたり、皿に凝ったり、ありあまる余剰をほどこしちゃうのが「文化」だと思っている。

(つまり「文明=火」、「調味料・ソース・皿・花…=文化」)

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言語もそれと同じだ。
生存に必要な意思伝達だけだったら、語彙も文法も今の10分の1も必要じゃなかったはず、いや動物の鳴き声やダンスなどでも十分だったかもしれない。
でも、我々はあまりに複雑で煩雑な「言語」というものを編み出してしまった。
そしてその複雑さ煩雑さこそが、その言語ごとの「文化」であり、アイデンティティなのだから、
そこに愛着を持つのは当然といえば当然である。

「(うちの言語は)難しい、でもそこがいい」と。

(ちなみに、その言語の複雑さ煩雑さへの愛の極みが言語芸術だと思ってる。「言語芸術」というと大げさかもしれないが、今あなたが読んでいる、生存になんの足しにもならない、この文章のことだ)。

■じゃあ、日本語は「どう」難しいの??

さて、私は先ほど
「『どんな言語も質こそ違えど各々の難しさがあるものだろう』という、ざっくりした文化相対主義的な考えを持っている」
と書いたが、じゃあ言語ごとの難しさの質とはどんなものだろうか。

先日「ベトナムごは、むずかしいですね~」を微分する機会が訪れた。

つまり、「ベトナム語はどう難しい(とベトナム人は思っている)か」を知ることが出来た。

それは、日本語の授業中だった。
自動詞、他動詞の別について私が解説している際、ベトナム人学生が
「ベトナムごは、にほんごにくらべて、文法がすくないです」と言ったのだ。

え、自国民みずから認めるほど、文法が少ないの?

奇しくもその数日前、私はベトナム語から日本語への通訳について、ネット記事で「もし、日本語からベトナム語に訳す時、通訳者がたくさん喋ったとしても、それは通訳者が無能だからじゃなくて、ベトナム語は文法が少ないからなんだよ」と読んで、「そんなわけあるかーい」と思ったところだった。

うーん、どうやらベトナム人は、「ベトナム語は発音がめちゃめちゃ難しいけど、文法は簡単」と思っているようだ。

(例えばベトナム語には自動詞、他動詞の区別は無いし、動詞活用も無いし、過去形の作り方もめちゃめちゃ簡単)

逆に、日本人は、「日本語は文法がめちゃめちゃ難しいけど、発音はめちゃめちゃ簡単」という自覚があると思う。

つまり、やっぱり、どの国の言語も、質こそ違えど各々の難しさがあるんだろうな。

そしてその難しさの質こそが、その言語の個性なんだろう。

だからやっぱり「日本語は難しい」なんて言って学習者の出鼻をくじく日本人は鼻もちならないし、それを言うなら「日本語は文法は難しい(だけど発音は簡単)」であるべきだし、「日本語も難しい、そしてあなたの言語も同様に難しい」であるべきだと思う。

しかし!!!!

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ここまで書いておいて、思い切り卓袱台をひっくり返すが。

実は私は「日本語は難しい」と思っている。

いや、「難しい」のではなく、「煩雑だ」「ややこしい」と思っている。

私たちの先祖は、いかに「外国人に母国語をマスターさせないか」のために苦心して日本語を編み上げたとしか思えない。

もはや日本語のことは「島国のジャーゴン」だと思ってる。

いうてしまえば忍者言語。日本語話者全員忍者説あり得ると思っている


この話は長くなるので、次回に続く……

渋澤怜(@RayShibusawa

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ここからは完全にオマケトークなので有料とさせていただきます。「小説を書くことと、日本語教師の仕事は真逆」であることと、「小説を書きたい私」。

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