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身体の形、文章の形

「要は頭に気が行ってるんですよ」
おじさんは私のコリの原因をそう断定し、私の頭ばかりを揉んでいる。

そうだ、このマッサージ屋は、「頭ばかり揉む」変な店なんだった。多分施術時間の半分くらいは頭揉んでる。正直、あんまり気持ち良くない。が、効果は確実にある。

毎回、ベッドから降りて肩をまわした瞬間に「なんで肩を全然触らないのに肩コリがとれるんだ?!」と驚愕するのだが、おじさんいわく、

「ヨガしても運動してもこの手のコリはとれないですよ。頭の方にコリが溜まっちゃってるから。これは心理的なもの、精神的なもの」

「頭のコリをとるには、頭で頭の中のことばかり考えるのをやめること」

らしい。そして仰向けになった私の頭をひとさし指の腹で揉むというか、撫でるというか、頭を地球だとすると経線に沿って調査するように、指を滑らせていく。



最近の私は、小説を書くことに悩んでおり、「小説は、何を書いても良く、一番自由な聖域であるはずの場所なのに、なんでこんなにがんじがらめになっているんだろう」と苦しく思いつつも悩むのをやめられず、頭を固くし、そして身体も硬くしていた。

「こう書くべき」「こういうものが求められている」に縛られて、外側から固められ、まるで外骨格がバキバキの昆虫みたくなっていた。でもだからと言って内側はふつうの人間で、ふにゃふにゃなのだ、カニみたいに。



自分はどういう形をしているんだろう? と思う。

自分の形を知りたい、しかし自分の形を知るのには、自分ひとりじゃ限界がある、他人に教えてもらいたい! と強く思う。



おじさんは割とマイペースに、好き勝手なタイミングでぽつぽつと喋る。

ヨガも意味ないですよ、ヨガのインストラクターもうちに来たけど頭はバキバキに凝ってたよ、僕はマインドフルネスを毎晩寝床で一時間やってるけどこれが一番いいんですよ。

ヨガを気に入って毎日やっている私はびっくりして、普段は話しかけないおじさんに積極的に話しかけて仔細を聞き出してみたけど、どうやらおじさんも元々ヨガをやっていたそうで、そこで「『身体に意識を向けること』が大事で、それができれば何でも良い。ヨガである必然性は無い」と気付いて、マインドフルネスに移行したらしい。
ヨガも本質はポーズをとることにあるわけじゃなくて、「身体に意識を向けること」にあるのだから、と。

なんだ、だったらヨガでもいいじゃん、「頭で頭の中のことばかり考えること」をやめられたら、身体に意識が向けられたら、なんでもいいんじゃん? とかなんとか、頭を揉まれながら理屈をめぐらせて会話をしている今の私がまさに「頭で頭の中のことばかり考える」状態なんじゃ? これ、あんまり良くないんじゃ? せっかく揉まれに来てるのに、頭休まらないのでは? ひとまず頭を休めよう、黙ろう。でもなー私、黙ると寝ちゃうんだよな、マインドフルネスも家でやると一瞬で寝ちゃって10分と持たないし。とりあえず、まあ、ひとまず、頭を巡るおじさんの指の繊細さに意識を向けることにしよう。繊細さのセンサー、センスないなー、君は天才さ、千差万別、先天性の先見性の中で見て、見て、きて見て触って、微細な仔細を触って、逆らって、流れにならうと差がなくなるよ、差がなくていいの? さがっちゃうの? 逆上がりできなかった。サレンダーできあがった。スレンダーはジレンマ、滑んな、素敵な無個性、スペルマはスプラッタ。私は繊細のなせる技。ほら君、君、君の形は? ひっきりなしに仕切り、ぎしぎし、焦り、歯ぎしり、ギリ、義理、きりきり舞いの、ギリッギリの君の形がキリが悪いよ四捨五入しよ死者の支配者、君は死体か? それじゃしがない。しかたない? とか言って語らない君の、しかし、君、君、君の中にさ言葉の川が、ガワ取ったら中にはお前の、具が、具体が、具合悪くなっちゃった? 食らいなよ臭い中身を。お前の、俺の、およその、おおよその、そこここに、散らばる、ようこそ。おにぎりの本質は海苔か? 米か? 具か? 天むすとか具が外に出てるおにぎりあるじゃないですか。エビの尻尾とか。あと最近「ほとんど具だけおにぎり」っていうの見たんですよ、駅ナカのお店で。から揚げに米とか海苔が申し訳程度にまとわりついておにぎりのぎりぎり体裁を保ってる、って感じで、でもまあ、から揚げがほぼ丸出しなんですよ。見た目的に結構ヤバいんですよ。具が、身体の中にあるものが、頭の中にあるものが、バーンと丸出しになったら死ぬけど、書いて出したら死なない。あーそう言えば背骨のここの骨がすごい飛び出してて痛いんですよ。あーそれは猫背なせいでしょ。頭のコリがとれたらその痛みも収まりますよ。

寝て起きたら身体がすっきりと軽くなっていた。



おじさんはいわゆる整体師ぽい見た目でない。一応それっぽい白衣は着てるけど、「整体師でーす」っていうハツラツさ、とか、なんか、「シャキッ!」として、「清潔感!」みたいなものが、全然無い。喋り方もモソモソしてるし、覇気も無い。

やっぱり整体師的には、「シャキッ!」「ハツラツ!」な姿の方が説得力がある。私がこの効果てきめんのマッサージ屋に真面目に通うに至らず、他所の店にちょいちょい浮気してたのも、おじさんの外面の説得力の無さが遠因だったように思う。

しかし、今は、そのふにゃふにゃな姿がおじさんの形だし、それがおじさんの健康なのだろう、と思う。
だって、「僕、余計なこと考えないですもん。考えてもどうにもならないことは考えないですもん」って言ってたもん。


おじさんのことはさっぱり分からない。喋っても、言葉を交換しても、近づいたのか遠ざかったのか一体わからない。

しかし私がこの店に通い始めた5年前、3度目ほどの施術が終わったおじさんがふう、といった感じで呟いたのは、「やっと人間になってきた」という言葉だった。

それ以前の私の身体は「ロボットみたいだった」そうだ。


私も少しは本来の形を取り戻しつつあるんだろうか。



渋澤怜(@Rayshibusawa

(『繊細なセンサー ~凄いマッサージ屋の話~』 改)


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