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#4 「活かしたい」シンドローム

noteの書き始めにいつも困る。
数行で書き終わる小ネタって
意外と見つからない。
けど、いきなり本題に入るのもなあ…

と、まあそんなことを考えつつ
今回もキーボードをぽちぽち叩いてます。

今はバイトもないし、大学も週1しか授業がないので、ほぼ毎日家にいます。たまにふらっと散歩に出たりもするけど、基本ニート。
もともと音楽聴いたりドラマ見たり漫画読んだり、インドアなことが好きな人間なので、時間を潰すのに苦労はしていません。昨日も録り溜めて放置してたアニメを見ながら、オタク気質な自分を思い出していたところ。

いい加減卒論の本読まなきゃなんだけどな……

大学時代に学んだこと

いつぞやのnoteで「もっと他に書きたいコンテンツはあったんですけど~」みたいなことを書きました。今回のはそのうちの1つです。
※結構長いので、読まれる方は適度に飛ばしつつお読み下さい。

一番最初の自己紹介でも書いたのですが、私は大学では、文学部系の学部で翻訳を専攻しています。
わざわざ文学部“系”と言っているのは、所属が文学部ではないからです。ややこしいのですが、文学部は文学部でちゃんと存在していて、私の所属しているところはそこから派生して出来た、比較的歴史の浅い学部になります。

違いを簡単に説明すると、文学部は狭く深く、私の学部は広く浅く学問する、みたいな感じですかね。
“広く浅く”というと語弊があるのでもう少し突っ込みますが、いわゆる「人文学」「文系分野」と呼ばれる学問を横断領域的に学んで、複合的かつ多角的に世界を捉える視野を養いましょう、というのが、うちの学部の売りです。
例えば映画の分析(表象/構造/物語含む)をするとき、歴史×文学×異文化×ジェンダーといった観点から、その深層構造に迫る……的な。堅い言い方をするとそんなイメージ。(実際そんなにかっこいいものじゃないですが…!)

そういう訳なので、学部の授業だけでも恐ろしいほど様々な授業があり、とにかく色々な授業をとりました。
文学、音楽文化、美術、サブカルチャー、社会学、ジェンダー、福祉etc……成績表を見ると、今まで何を勉強していたのか自分でも分からなくなるくらい、それはもう色々と(笑)
でもだからこそ、二外(中国語)と翻訳という2つの軸はぶらさずに、1~2年の頃から今まで、コンスタントに勉強し続けてきました。これだけは触れるだけで終わらず、少しは専門性をもって勉強できた分野かな、と思っています。…というか、そうであってほしい。

翻訳家を目指さない私

そんなふうに大学時代を過ごしてきた私。
何かを学んだようで学んでいないようで、学んだような。
自分が得たものを端的に言葉で表現するのは難しい。
でも確実に、“何か”を得たという実感は、
胸の中にちゃんとあった――

そんな中始めた就職活動。
面接でとても困った質問がありました。

「なぜ翻訳家にならないの?」
「なぜ出版社を受けてないの?」

頭が真っ白になりました。
初めて聞かれた時、ひどく動揺したのを覚えています。今まで考えたことすらなかったので、当然答えられるわけもなく。
とりあえず薄っぺらい回答をしてその場は凌いだものの、面接官は明らかに納得していない様子。言わずもがなその会社は落ちました。

その後オフィスを出て、家への帰り道、ずっとこの質問のことを考えました。
翌日も、翌々日も、この質問のことだけを考えました。

なんでって聞かれても……
翻訳家なんて簡単になれるものじゃない。食べていけるのはほんの一握り。
自分にはそれほどの語学力も、日本語の表現力もない。
もちろん大学で頑張ってはきた。でも実際「プロ」として仕事にできるレベルには到底及ばない。
出版社だって、私は紙の本も、本を読むのも好きだけど、「本を作ること/広めること」にはこれっぽっちも興味がない。
競争率も他業界の比じゃないし。「なんで」なんて簡単に言ってくれるな。

――ここまで考えたところで、ふと立ち止まりました。
あれ? 言い訳ばっかり探してる……
そもそも私、どんな仕事をしたいんだっけ?

そして思い出しました。
社会に出て仕事をして「人から信頼され、必要としてもらえる人間」になりたいという想いをもっていたこと。
だからこそ、モノではなく、人との繋がり・信頼関係を基盤にビジネスをする業界に行きたいということ。その中で、誰かの人生や企業の成長・挑戦にコミットできる仕事がしたいと願っていること。
同時に気付いたのです。
翻訳は基本的に、どこまでいっても孤独な行為であること。自分自身の実体験として、その感覚をもっていること。
出版社は、本という「モノ」があるビジネスであること。

ああ、なるほど。
だから私は、翻訳家も出版社も目指さないんだ。

知識やスキルに付随する未来指向

考えて考えて、あの時の質問の答えをようやく見つけました。
これでもう、今後同じ質問をされても大丈夫!
そう思っていた矢先です。

面「翻訳家は目指さないの?どうして?」
私「(おっ!来た来たこの質問!) それはこれこれこういう理由で云々…」
面「なるほどね。でもさ、大学で一生懸命勉強したんだよね。そのスキルをどうして仕事に活かしたいと思わないの?
私「   」

はい?今、なんて?
どうして活かしたいと思わないのか?
随分難しいことを聞いてくれますよね、本当に。今でこそ笑えますけど、あの時は1ミリも笑えませんでした。頭の中は軽くパニックです(当然)
で、まあこの企業も上手いこと返せなくて落ちたわけですが……(もちろんこれだけが原因ではないだろうけど相当な痛手ではあったと思う)
さて、皆さんだったらこの質問、どう返すでしょうか?

身に付けた知識やスキルを活かす。
言葉は簡単ですが、“なぜ”というのは実に難解です。
しかし「難解」ということは、そこにはきっと無意識的何か=先入観のようなものがあるんだと思います。要するに、当たり前すぎるがゆえに普段は考えるに及ばない何かがある、ということです。

私が思うに、「知識/スキルを活かす」と言う時、その根底にあるのは「未来指向」なのだと思います。
未来指向――確固たる過去や現在を基に、未来へ向かうこと/将来を考えること――は、人間が成長の過程で刷り込まれてきているものでもあります。

一部某大学の授業の受け売りを含みますが、例えば、小さい子を思い浮かべてみて下さい。
「この前こんなことがあった」「今日はこんなことをした」「誰誰がこんなことをしてた、自分もやりたい」など、幼い子供は比較的過去・現在指向であることが多いです。
そうした子供に対して、大人は彼/彼女らが幼い頃から「将来何になりたいの?」と問います。
するとどうでしょう。ウルトラマン(最近の子は言わないかな笑)、お花屋さん、ケーキ屋さんetc…幼稚園くらいの子供であれば、身近で知っている職業が返ってくるでしょう。この時どんな職業かは問題ではありません。大事なのは、未来を指向し、憧れの何かを思い浮かべる行為そのものです。
その後も大人は断続的に、「将来何になりたいの?」と子供に問いかけます。
そうすることで、子供は成長するにつれ、不確定な時間軸を指向し、不確定な自らの姿を想像する力を身に付けてゆくのです。
ゆえに身近な職業は次第に、消防士、警察官、弁護士etc…少し離れた具体的な職業に変化していき、就職活動を始める頃には多くの人が、〇〇業界、△△ができる仕事etc…より抽象的な未来も想像できるようになる、という仕組み。

大袈裟かも知れませんが、この「未来指向」というのは、不確定な事象に備える(一種のリスク管理)ために組み込まれたある種の思考プログラムだと思うんですよね。
動物も過去の失敗をもとに別のやり方を考えたりするし、冬眠に向けて準備したりするじゃないですか。根本はそれと同じで、人間を取り巻く社会がもっと複雑だから、より思考頻度や抽象度が高まるんじゃないかな、っていう。

で、本題に戻りますが!
こう考えると、「知識/スキル(=過去・現在の事実)」に対して「将来に活かす(=未来指向)」という思考がはたらくのは、なるほどとても自然なことじゃないか!と思うわけです。
それゆえに、私の「翻訳にまつわる知識/スキルを活かさない」という選択が、面接官には“自然ではない”ように映ったのでしょう。それを“なぜ?”と問いたくなる気持ちは、今思えば、分からなくもありません。

知識やスキルを「貯金する」

根本の意図を解明できたところで、いよいよ質問への具体的な回答を考えなければなりません。
私は例によって毎日考えました。しかしこればっかりは本当に難しかった。数日程度で簡単に答えは出ず、答えらしい答えに気付いたのは、それから数週間経った頃。

結論から言うと、
翻訳に係る知識もスキルも
「今すぐに」活かせなくていい

というのが、私の答えでした。

どういうことか。
もし私が、今ここで翻訳家を目指したとすると、私の知る世界は翻訳とか出版とか、そういうものに限定されます。
でも翻訳とは全く関係ない仕事――例えば金融・IT・人材など――を目指したら、私は翻訳以外の、全く異なる世界を知り、全く異なる知識やスキルを1から学び、身に付けることになります。
要するに後者の方が、知識・スキルの手札が増え、視野も広がるということ。

世間ではよく言われることですが、欧米の就活と違って、日本の新卒採用ってほぼポテンシャル採用なんですよね。
今その人にどんな能力があって何ができるかじゃなくて、その人がどんな人間で、今まで何を経験してきたか、これから会社でどんな行動をしてくれそうか、それを重視してる。

だとすれば、大学での学びも、今あるスキルも、「今すぐ」活かせなくたって(活かさなくたって)いいんじゃないか
未来が、過去や現在と必ずしも地続きである必要はないんじゃないか。

何より、私はまだまだ社会を知らない。
だから若いうちに色んな経験をして、まずは「知っていること」を増やしたい。そしていつかどこかで、過去の経験や知識・スキルを活かせる場面に出会った時、必要に応じて自分の持っているものを自由に活用できる人間でありたい。
知識もスキルも、足し算じゃなくて掛け算だ。複合的に活用した方が、得られる効果はきっと大きい。まずは掛け算できる手札を増やしたい

あまりまとまっていませんが、
これが私の出した結論でした。
つまりですね、
知識もスキルもひとまず貯金しておきます!
と宣言したんです。

「教養」という言葉はご存知でしょうか。
教養とは、個人に身についた知識やおこない、そこから生まれる心の豊かさを指します。“心の豊かさ”を生むためには、あらゆる知識・思考・文化活動etcが、その人の内側にしっかりと蓄えられている必要があるはずです。

仕事における知識やスキルも同じだと思うんです。
もちろん、1つのことを極めているプロフェッショナルも一定数必要です。けれども現実を見ると、社会が求めているのはジェネラリストなんですよね。だったら、あらゆる知識・スキル・経験が内側にしっかりと蓄えられていて、それらを自在に操れる人の方が、いわゆる“仕事のできる人”という人物像には近いのではないでしょうか。
私が“今”望むのは、そうした人物像に近づくための初期段階に立つこと、「人としての豊かさを養うための貯金」を始めること、というわけです。

「活かす」以外の選択肢を

その後の面接でも、「なぜ活かさないのか」という問いをかけられることは何度かありました。
元来話が長い質なので(私の短所の1つです…)、面接でも上記のようなことを長々と、しかししっかりとした熱量を以って伝えました。するとどの面接官も「ほう、なるほどね」と納得してくれました。
あ~~!ちゃんと伝えられて、よかった!(ブ〇ゾンち〇み風)

そんなこんなで、どうにか就活を乗り越えたわけですが、
「〇〇をどう活かしたいか」という問いは、多くの就活生が――いや、社会人になっても、異動の面談やら転職のタイミングやらで、他者から投げかけられるものなのではないかと思います。
そして問いかけられた人の多くは、何の疑いもなく「△△の分野で××を活かして、こういうことをやりたい」と答えようとします。

こういうやり取りの中に身を置いてみて実感しましたが、もうね、
本当にみんな頭おかしいと思うよ(笑)

特に経済学部・法学部のような実学系学部出身の学生、「大学で〇〇を勉強してたので、それを××で活かしたいです」ってすぐ言いますからね。
そう言うからにはさぞ成績いいんだろうなあ~~身になってるんだろうなあ~~さあGPAを見してごらん???


と、まあ冗談はさておき。
個人的には、
「活かす」という未来指向が
強迫観念になってほしくないなあ
と思うのです。

たとえ“今”活かすことができなくても、
貯金として未来に持っていくことも
できるのですから。


お金と同じ。
もちろん蓄えっぱなしじゃ意味ないけど。

「活かしたい」症候群に侵されて、
あまり人生生き急がないでほしいなあと
心から思います。

ゆとりをもって生きていきたいものです。

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