見出し画像

#43 SNSに地位はない

フォロワーが多い。
スキ(いいね)が多い。

SNSで数字を獲得している人に対して、僕はどこか畏怖のようなものを感じてしまうことがある。

特にその人へコメントを送ろうとするとき——
自分のような人間が、数字を獲得している人と接していいのだろうか。
自分のような人間が、数字を獲得している人に相手にしてもらえるはずがない。
そんなひねくれマインドが発動してしまう。

いったいなぜ?
そう考えたときに、行き着いた一つの答えは、
数字=地位だと思っているからかも……と思ったのだ。

学生時代に育てた人気者への恐怖心

数字を獲得している人たちに対する畏怖。
これは何かに似ている……とデジャヴを感じていた。

あ、スクールカーストだ……!

いつかの記事で、僕はスクールカーストについて述べた。
僕はカースト最下層の人間で、上位の人たちに恐怖心を覚えていた。

これは、SNSで数字を獲得している人に抱く畏怖と似ている。

スクールカースト上位の人たちは、青春を謳歌しているだけではない。
クラスの中心を担っており、言い換えれば人気者だと言える。
すなわち、僕は人気者に対して恐怖心を覚えていたのである。

学生時代、なぜ人気者に対して恐怖心を抱いていたのか。
なぜだか人気者の発言権が強かったから(周りに賛同者が多いともいえる)。
そして、人気者たちに嫌われてしまったとき、学校に居辛くなるから。
そんなまだ存在しない未来に怯えていたのだ。

その経験があるから、僕は学校から離れた今であっても、人気者に対して恐怖心を抱いてしまっているのかもしれない。

地位は周りが勝手に作り出しているもの

しかしスクールカーストって、実際に存在するものなのだろうか。
人気者になり、その人の態度が大きくなった結果、できたケースもあるかもしれない。
しかし、同時に周りの人間たちが勝手に作り上げていったものともいえる。

あの子は人気者だから、自分もあの子の意見に賛同しなくちゃ。
皆があの子を慕っているから、自分も慕った方がいい。
人気者に支持をすれば、何かしらの恩恵をもらえるかもしれない。
そういった考えが作り上げていくものでもあるような気がする。

SNSにおいて数字=地位であるならば、
恐怖心を抱くのは学生時代のそれと一緒だ。
多くの人にフォローされている人と意見が違ったら、自分が異端なのではないかと思ってしまう。
多くの人にフォローされている人を支持しなかったら、周りの人から敬遠されるかもしれない。
というのが、数字を獲得している人に対する畏怖の正体なのかもしれない。

だが、そもそも多くの人から支持されている=偉い、なのだろうか?

数字=地位ではない

ごく当たり前の結論であるが、数字=地位ではない。
noteで言うのであれば、数字の多さは、
その人の記事に共感する人や面白いと思った人が多い。
その結果、色々な人に知ってもらえている。
ということを意味している。
その人の努力、その人の執筆能力の賜物である。

だからといって、それは地位が高い、というわけではない。
支持されるのは素晴らしいし、尊敬に値することではあるが、それが偉いというわけではない。

そもそも偉い人に畏怖を覚えることも間違っているのかもしれない。
敬意を持つあまり緊張することはあるが、怖がる必要はない。

それにnoteという媒体で、何かしら自分の気持ちや経験を書こう……
そう思っている時点で全員偉い。自分自身も含めて。

学生時代に、どこか間違った観念を持ってしまったなと今では思っている。
相手が人気者であろうがなんだろうが、怖気づく必要はない。
フォロワーの数、スキの数……
そんなことなど気にせず、多くの人と積極的に交流していきたいものだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?