思い出エッセイ集

高校まで何もない静かな田舎で過ごしました。ふとした時に思い出す、どこか寂しく懐かしい過…

思い出エッセイ集

高校まで何もない静かな田舎で過ごしました。ふとした時に思い出す、どこか寂しく懐かしい過去の思い出話を書き留めていきます。メインブログ⇨https://abireharu.com/  日記⇨https://harunagi.hatenablog.com

最近の記事

【思い出エッセイ】数学で仲良くなった友人

高校では一生懸命に友達を作ろうと思った記憶が無い。 たとえ一生懸命友達を作ろうと思っていたとしても、自分の性格上多くの友達はできなかっただろう。 実際、高校時代において友人と呼べる関係の者はほんの数人であった。 そのうちの1人とは、ある数学の授業を通して仲良くなった。 その数学の授業というきっかけが無ければ、私と彼は全く仲良くはならなかったのでは無いかと思う。 そう思えるほど私と彼は性格が全く異なっていたのだ。 彼は基本的に誰とでも仲良くでき、場の調和を重んじ、対

    • 【思い出エッセイ】居心地の良かったクラス

      私の高校時代の思い出の7~8割は高校1年生の時のものであると言える。 1年生が最も楽しく、2年生は1番つまらなく、3年生で若干マシになったが1年生の時に比べれば遥かにつまらなかった。 なぜ面白かったのかを考えてみると、やはりそれはクラス内に所謂カーストというものが存在しなかったからだと思う(女子は知らないが少なくとも男子では存在しなかった)。 カーストが存在しないということはクラスの中心的存在がいないということであり、それはクラス全体が動くような”ノリ”が無いということ

      • 【思い出エッセイ】夜の海で死のうとした自暴自棄期

        大抵の人は高校3年生の時期には真剣に将来のことを考えると思う。 高校3年次、私は取り敢えず大学進学の旨を担任に伝えていたが、大学進学希望は消去法の末の選択であった。 受験勉強でさえ苦痛を感じる自分が大学で学問なんて不可能であり、加えて自分なんかが大学に通えるわけがないとも思っていた。 履修登録などは明らかに面倒そうであるし、卒業のための単位のかき集めを頑張る自分を想像できなかった。 しかしながら時というものは勝手に流れ、私は大学生となった。 進学先が第一志望の大学で

        • 【思い出エッセイ】好きになれない新年

          新年のお決まりの挨拶に「あけましておめでとうございます。」がある。 私は小さい頃、この挨拶をするのが大変苦手であった。 なんなら今でも苦手である。 その理由として、少なくとも小さい頃はあけましておめでとうございますから始まる一連の会話に何の意味があるのか分からなかったから、ということが挙げられると思う。   例えばAさんがあけましておめでとうございますといった場合、その後の会話は大体決まりきったものになる。 A:あけましておめでとうございます~ B:おめでとうござい

        【思い出エッセイ】数学で仲良くなった友人

          【思い出エッセイ】死んでしまったカブトムシ

          初めてカブトムシを飼ったのは小学校2年か3年の夏休みだったはずである。 図鑑に載っていたカブトムシはたいそう魅力的に見え、どうしても飼いたくなった。 図鑑にはカブトムシを捕まえるための仕掛けも載っていたので、その通りの仕掛けを作り、自分の手で捕まえようと考えていた。 しかし、その旨を父親に話してみたところ、そんな大変なことをしなくても食べ終わったスイカの皮を庭に捨てておけばカブトムシはすぐに捕まるという。 半信半疑ではあったものの、たしかに仕掛けを作るのは面倒だし、幸

          【思い出エッセイ】死んでしまったカブトムシ

          【思い出エッセイ】一度も勝てなかった将棋

          小学校2年か3年の時に将棋にハマった。 家にあった将棋盤を目にした私が、あれは何に使うのかと親に問うたのがきっかけだったと思う。 父親から駒の動かし方を教わってからは、一気に将棋にのめり込んだ。 父親が仕事から帰ってきたら、毎回のように対局の相手を頼んでいた。 父親には歯が立たなかった。 それが悔しくて、いつかは勝ってやるという気持ちから毎日のように将棋を指すようになった。 学校に、将棋にハマっている友人などいなかったので、学校から帰ってきたら自分側と相手側に駒を並

          【思い出エッセイ】一度も勝てなかった将棋

          【思い出エッセイ】退学していったサボり仲間

          中学3年時点で目も当てられない成績だった私は、親に塾に入れられたのをきっかけに勉強を始め、なんとか第一志望の高校に入学した。 中学校までの義務教育は終了。 高校では自由度が上がるのだろうと期待に胸を膨らませて入学したが、入学後すぐにそのような希望は消え失せた。 結局、閉鎖的空間で教師が何歳も歳下の生徒相手に幅を利かせるだけという構図は小学校・中学校から何も変わらなかった。 ”自主性を重んずる”などと教師達は宣ってはいても、そんなものは見掛け倒しであると気づくのに時間は

          【思い出エッセイ】退学していったサボり仲間

          【思い出エッセイ】片想い

          小学校高学年くらいになると「女子と遊ぶのはダサい」といった空気が出てくる。 私自身、小学校高学年の時に女子と遊んだという記憶は殆どない。 小学校高学年の時に遊んだ女子と言えば1人しか思い浮かばない。 その女の子は当時自分よりも背が高かった。 女の子よりも背が小さいということを当時の私は相当気にしていたので、その女の子から身長のことをいじられた際は半ば本気で怒っていた覚えがある。 彼女と遊んだ思い出の中で印象深いのが、四葉のクローバーを一緒に探していた時。 私は数十分

          【思い出エッセイ】片想い

          【思い出エッセイ】夏休みの女の子

          小学二年か三年の頃だったか、夏休みに同じクラスのとある1人の女の子と遊んでいた記憶がある。 暇な夏休みだなぁと思いながら家でゴロゴロしていたところ、彼女は私の家に突然やってきたのだ。 誰かと遊ぶ約束もしていない日だったのでまさか自分目的の来客だとは思わなかった。それも相手が女子だとは。 当時彼女が家に来たときに、とても戸惑った記憶があるので、恐らくそこまで仲の良い間柄ではなかったのだろうと思う。 しかし、その時私は暇で暇でしょうがなかったので取り敢えず嬉しい来客だと思

          【思い出エッセイ】夏休みの女の子

          【思い出エッセイ】学校からの電話

          小学校低学年の時、私は自他ともに認める(自は現在の自であるが)問題児であった。 カッとなるとすぐに手が出てしまう性格で、言い合いになるとクラスメイトを殴ったり蹴ったりしてしまっていた記憶がある。 今思うと当時なぜあんなにも暴力的だったのか分からない。 (何かしらの大きな不満が日常的にあったわけでもないと思うが......) クラスメイトとの喧嘩の原因や、相手の怪我の具合などは(相手には申し訳ないが)全く覚えていない。 ただその問題児に関することで未だによく覚えているの

          【思い出エッセイ】学校からの電話

          【思い出エッセイ】父親と通った名も知らぬ温泉

          休みの日に私をどこかへ連れて行くのは父親の任務の1つであった。 母親と父親と私の3人でどこかに出かけた、ということはほんの数回しかなかったはずである。 私が休みに家族で遊んだと言えば、その家族とは父親のことであった。 車を走らせて海釣りに出かけたり、川に泳ぎに行ったりしていたが、中でも記憶に強く残っているのがどこかの山の温泉に通ったこと。 その温泉の名前はわからない。それどころかどの山の近くなのかもどこ方面なのかも全くわからない。 車に1時間弱揺られてやっと着くくら

          【思い出エッセイ】父親と通った名も知らぬ温泉

          【思い出エッセイ】田舎で出会った野生のウサギ

          小学校でウサギを二兎ほど飼育していた記憶がある。 彼らは俊敏のかけらも無く、狭い飼育小屋の中で我々小学生に捕まえられては抱っこされていた。 図鑑でウサギは走るのが早いというのを見た時、その記載を私は信じることができなかった。ケージの中でもそもそと餌を食べている姿ばかりが目に焼き付いていたのだ。 ところがその認識は後に改まることになる。 あれは小学生高学年の時だったか、近所の子供と3人で外で遊んでいた時、すぐ近くの畑で真っ白に動く動物を発見した。 近づいてみてみればそ

          【思い出エッセイ】田舎で出会った野生のウサギ

          【思い出エッセイ】中学時代の釣り仲間

          中学時代、同じ中学に釣り仲間が2人いた。 彼らと私を合わせた3人でよく海釣りに出かけていた。 昼間よりも早朝の方がよく釣れるので、午前3時くらいに待ち合わせして、そこから数時間自転車をこいで海まで行っていた。 よく親が許してくれたものだと今では思う。 当時はスマホなど持っていなかったため、Google Mapなどの地図アプリを使いながら目的地までいくことはできない。 事前に地図を印刷し、その地図に赤ペンでルートを書き込み、それを持参して時節地図を確認しながら自転車をこ

          【思い出エッセイ】中学時代の釣り仲間

          【思い出エッセイ】十月 鴨川の中へ

          東京から京都に移り住み、一年半以上経った十月のある日のこと、東京から友人が遊びに来てくれた。 その友人は女性であるが、同性の友人と同じように気兼ねなく付き合える人で、異性が苦手な私でも彼女と一緒にいる時間は心から楽しめていたと思う。 午前から彼女と会って適当に話をしながら散歩していた。 彼女はどちらかというと(失礼な話であるが)雰囲気は暗く、どこか儚げで口数も少ない人であるが、何でもよく考える人で、私は彼女の考えていることを聞くことに夢中になっていたと思う。 雰囲気が

          【思い出エッセイ】十月 鴨川の中へ

          【思い出エッセイ】田舎での雉(キジ)の声

          昔住んでいた家のすぐ隣が竹藪だった。 学校のない日曜日など、寝起きの半開きの眼で寝室の天井を見上げている時、「ケーンケーン」と雉の鳴き声が聞こえてきたのをよく覚えている。 小学校に登校する朝もよく見たものだ。 メスの雉は色が地味だが、オスの雉は色がとても綺麗。 雉は体長も大きく堂々と歩くので当時小さかった私にはたいそう優雅な姿に見えた。 当時の私にとって雉など全く珍しい鳥ではなかったのだ。 姿を見るのは頻繁ではないにしろ、あのどこか寂しい鳴き声は聞き飽きた声と言っ

          【思い出エッセイ】田舎での雉(キジ)の声