見出し画像

【思い出エッセイ】十月 鴨川の中へ

東京から京都に移り住み、一年半以上経った十月のある日のこと、東京から友人が遊びに来てくれた。


その友人は女性であるが、同性の友人と同じように気兼ねなく付き合える人で、異性が苦手な私でも彼女と一緒にいる時間は心から楽しめていたと思う。


午前から彼女と会って適当に話をしながら散歩していた。


彼女はどちらかというと(失礼な話であるが)雰囲気は暗く、どこか儚げで口数も少ない人であるが、何でもよく考える人で、私は彼女の考えていることを聞くことに夢中になっていたと思う。


雰囲気が暗いせいで目立たないが、彼女の顔立ちそのものは整っており、かつ非常に理知的な印象を受けるものである。

そのギャップが彼女の儚げさをより色濃くしていたと思う。


話をしながら電車に乗ったり散歩をしたりしつつ時間を過ごし、午後三時を回ったあたりで私が他に行きたいところはないかと尋ねたところ、彼女は鴨川に入りたいと言った。

私自身、夏の暑い日には鴨川に入って涼を享受したものだが、十月に入ったことはなかった。

流石に寒いのではないかと思ったものの、彼女の意見を尊重し鴨川へと向かうことにした。


鴨川到着後、靴を脱いで裸足になり、彼女と川に入る。

川の水は少し冷たいくらいで、むしろ心地良さを覚えるものであった。

ところが彼女はそれでは満足できなかったようで、川に入ってすぐに「川に浸かりたい」と宣った。


どうやら「鴨川に入りたい」というのは足だけ浸かってパシャパシャすることではなく、身を川の中に沈めたいということらしい。

勿論お互い水着など持っていない。着替えも持っていない。
たとえ準備があったとしても、夏でもないのにそんなことをしたら流石に風邪を引くだろう。


そのように逡巡していた私を横目に、彼女は服を着たまま「私は入るね」と言って川底に座ってしまった。


下半身は完全に水中で、上半身もお腹のあたりまで水位が到達していた。


寒くないかと聞けば「寒くない、気持ち良いよ。」とたいそう満足げな様子。


その楽しそうな彼女の姿をどこか羨ましく思ってしまった私は完全に乗せられてしまい、私も服を着たまま川底に座ってしまった。


下半身全体を水中に沈めたあたりで強い寒さが体を襲う。

水が冷たい。体が震えてくる。


数分間はそんな調子だったのだが、体が水の冷たさに慣れてくると、川の流れを感じる余裕が多少でき、確かに気持ち良いなと思ってしまった。


そうは言っても何十分も川に浸れるほど寒さへの耐久があるわけでもない。


流石の彼女も10分ほど経ったら寒くなってきたようで川岸に上がろうということになった。


服が乾くのを待ちながら川岸で適当に話していたが、結局川から上がって数時間経ち、日没して夜になっても服は完全には乾かなかった。


特に彼女の上着は乾きが悪く、絞ったら水がでてくる程度に濡れたまま。

彼女はその日に帰る予定であったが、そのような状態の服で帰るのは流石に不憫だと私は思い、家から適当な服を持ってきて彼女に貸した。


実際にその服を着た彼女の姿を見てみると、服のサイズが大きすぎると思ったが、彼女はそんなことを気にする様子はなく、喜んで颯爽と帰っていった。


私はそんな彼女に対して憧憬や羨望のような眼差しを向けていたはずだ。

恋慕の情を抱くという意味とは違う意味で、彼女は私にとって特別な存在として映っていた。


彼女と鴨川の冷たさを楽しんだ秋の記憶の風化を私は恐れている。
どうしてか私にとってあの記憶は、決して忘れたくないと思える大切な記憶の1つなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?