【思い出エッセイ】退学していったサボり仲間
中学3年時点で目も当てられない成績だった私は、親に塾に入れられたのをきっかけに勉強を始め、なんとか第一志望の高校に入学した。
中学校までの義務教育は終了。
高校では自由度が上がるのだろうと期待に胸を膨らませて入学したが、入学後すぐにそのような希望は消え失せた。
結局、閉鎖的空間で教師が何歳も歳下の生徒相手に幅を利かせるだけという構図は小学校・中学校から何も変わらなかった。
”自主性を重んずる”などと教師達は宣ってはいても、そんなものは見掛け倒しであると気づくのに時間はかからなかった。
私は学校に通う意味も大して無いと感じるようになり、適当に学校をサボりたいという欲に駆られるようになった。
そんなことを考えていた時期に、同じような考えを持った1人のクラスメイトと仲良くなった。類は友を呼ぶとはこのことである。
高校時代、最も賢い人物は誰かと問われれば、間違いなく私は彼を第一にあげる。
おしゃべりでホラ吹きな一面がある一方で、何事も深く考え、その思考過程を言語化する能力に非常に長けていた。
彼は勉強も非常によくできていたので、最初は勉強の話をしたりすることで仲が深まっていったような気がする。
ある日、彼から「明日午前サボって午後から学校行かない?」と提案を受けた。
学校に飽き飽きしていた私は当然二つ返事で承諾した。
私の親は(というかほとんどの親がそうだと思うが)学校をズル休みするということに何故か厳しかったので、”初サボり”の当日、私はいつもどおり制服に着替えていつもどおりの時間に、学校に行くフリをして家をでた。
私の通っていた高校では、学校を休む時には事務に電話をかけて事務員に休む旨を伝える必要があった。
これがなかなかに緊張するもので、結局この電話は最後まで慣れなかった。
通話時には声を低くし、保護者のフリをして自分の子供が休む理由を伝える。
休む理由を考えるのも面倒で、微熱・腹痛を頻繁に使用し、時々親戚にお亡くなりなっていただいていた。
初サボり日の初電話を済ませた私は家を出た後、事前に集合場所として決めていた市立図書館で彼と合流した。
その日はその図書館で軽く勉強したり、読書をしたりした後でしっかりお昼から登校したと思う。
しかし、人間一度サボるとサボりがエスカレートするものである。
その後何度も彼と学校をサボるようになり、ゲームセンターやカラオケ、本屋や図書館で時間を潰し、時には夕方頃に登校したこともあった(その時は流石に担任に怒られた)。
昼間からゲームセンターで制服姿で遊んでると、見回りの職員(?)に声をかけられることもあの時学んだ。
学校をサボっている時間での彼との会話は純粋に楽しかった。
彼は、高校ではこれがしたい、大学に入ったらこれがしたいということを明言するタイプの人間で、そういうのが特に無かった私にとっては非常に刺激的な話であった。
実際、彼は口だけでなく高校では自分で同好会を立ち上げたり、学校外の活動に参加したりと非常に活動的だった。
高校一年生はそのような感じで学校を適度にサボりつつ終了することになる。
高校二年生の時には彼とはクラスが分かれた。
私は相変わらず昼からの登校が多かったが、彼の方は登校すらしない日が少しずつ増えていった。
元から学校をサボるタイプだったため、誰もそんなに気にしていなかったが、時間が経つにつれ彼が学校に姿を現す頻度は減っていき、最終的にはほぼ不登校状態になった。
担任教師との不和が原因だったらしい。
その頃には彼と話すことも以前よりは減っていて、彼がどのような状況なのかの詳細は私には分からなかった。
そして2年生の終わりの時期のある日、別の友人から「そういえばあいつ学校辞めたらしいよ」という知らせを聞いた。
不登校になっているだけと思っていたが、学校自体割と前に辞めていたらしかった。
まさか彼が学校を退学するほど追い詰められていたとは私含め誰も思っていなかっただろう。
彼と仲の良かった友達同士の間では「結局あいつ高校やめたのかよ笑」と笑い話になっていたが、内心では皆彼の退学を残念がっていたと思う。
私も残念に思っていた。
その後、彼とは一時音信不通になるが高校3年生の後半、大学受験期にまた彼と連絡を取るようになった。
お互い難関大を志望していたこともあり、その方面の話が合ったのだ。
勉強の進度がどうとか、模試の結果がどうとかといった、いかにも受験生といった話をしていたと思う。
受験の結果を言えば、私も彼も第一志望には届かなかったものの、一応難関大学と言われるところには合格し、お互い進路を決めた。
お互い進学先の大学は東京だったので、東京でもしばしば会って遊んだ。
高校の時と変わらず、次々と新しいことにチャレンジしている彼には会うたびに私は驚かされていた。
結局彼は大学も退学してしまったが、そのことについては私も高校同期もさほど驚かなかった。
自分の目的のために、前向きにそのような選択をしたのだと思う。
そのうちまた何かしでかして色んな人を驚かせてくれるのではないか。
そのような期待をかつての”サボり仲間”に寄せてしまうのである。
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