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【思い出エッセイ】一度も勝てなかった将棋

小学校2年か3年の時に将棋にハマった。

家にあった将棋盤を目にした私が、あれは何に使うのかと親に問うたのがきっかけだったと思う。


父親から駒の動かし方を教わってからは、一気に将棋にのめり込んだ。

父親が仕事から帰ってきたら、毎回のように対局の相手を頼んでいた。


父親には歯が立たなかった。
それが悔しくて、いつかは勝ってやるという気持ちから毎日のように将棋を指すようになった。


学校に、将棋にハマっている友人などいなかったので、学校から帰ってきたら自分側と相手側に駒を並べ、一人二役で対局をしていた。

やったことのある人なら分かる話だが、対戦ゲームでの一人二役はかなり難しい。
必ずどちらかに有利になるように勝負を進めてしまいがちなのだ。


一人二役の対局以外にも、PCの将棋ソフトを使っての対局もしていた。

そんな私の熱中ぶりを見たからであろう、私の誕生日に親は詰将棋の本と将棋の戦法本(?)を買い与えてくれた。


私はすぐさま詰将棋の本に取り掛かった。

11手詰めあたりから私の頭では解くのがかなり厳しくなっていたが、それでもなんとか解けたときの快感にハマり、ひたすら将棋盤とにらめっこする日々が続いた。


この頃になってくると、父親相手に勝利とまではいかずともそこそこいい勝負ができるようになっていた。

父親が「負けるのも時間の問題かもな」と笑いながら漏らしていたことを覚えている。


そこからも何度も父親と対局を繰り返し、そしてついに明らかにこちら側が優勢という局面を作り出せた日が訪れた。


父親はいつも同じ戦法(調べてみたらどうやら棒銀というらしい)だったが、私は本で学んだ戦法を色々試していた。

その時の私の戦法がうまくハマったのだろう。


私は「これは絶対勝った!!」と自信に満ちあふれていた。
嬉しさのあまり饒舌になっていたかもしれない。

とにかく早く詰ませて勝利したかった。


ところが、詰ませられそうな局面で詰ませることができず、そこからだんだんと雲行きが怪しくなっていき、気づけば防戦一方になっていた。

私はひどく戸惑った。

明らかに勝てると思っていた状況から負けが見えてきていたのだ。


「もしかしたら負けるかもしれない」


そう思って指していたらなんと本当に詰ませられてしまい、結局負けてしまったのだった。


そしてその瞬間、自分でも驚いたことに私は大泣きしてしまった。

負けず嫌いな性格もあるだろうが、絶対に勝てると思っていた状況からの逆転負けが悔しくて悔しくてしょうがなかったのだ。

父親はそんな私を見て気まずくなったのか部屋を出ていったが、その後も私は数十分泣き続けた。


結局その日以来私は父親と対局しなくなった。

負けてまた泣いてしまったら恥ずかしいし、父親もそんな私相手ではやりづらいだろうと思ったのだ。


父親と対局しなくなって以降、次第に将棋自体とも距離を置くようになっていった。

使われなくなった将棋盤はいつの間にかどこかにしまわれてしまい、必死になって解いた詰将棋の本もどこかへ行ってしまった。


結局私は父親に一度も勝利することができずに将棋を終えてしまった。


あれから相当月日が流れたのにも関わらず、将棋界のニュースが流れるたびに、かつて将棋にハマっていた日々を思い出してしまい、なんとも言えない苦々しい気持ちになってしまうのである。

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