
【思い出エッセイ】居心地の良かったクラス
私の高校時代の思い出の7~8割は高校1年生の時のものであると言える。
1年生が最も楽しく、2年生は1番つまらなく、3年生で若干マシになったが1年生の時に比べれば遥かにつまらなかった。
なぜ面白かったのかを考えてみると、やはりそれはクラス内に所謂カーストというものが存在しなかったからだと思う(女子は知らないが少なくとも男子では存在しなかった)。
カーストが存在しないということはクラスの中心的存在がいないということであり、それはクラス全体が動くような”ノリ”が無いということである。
テンプレが無いのは面白い。
生徒の多くが自分の好きなようにし、それを誰も咎めなかった。
みんな仲が良いわけでも、悪いわけでも無かった。
小中高と振り返ってみると、あの高校1年時のクラスが私にとって最も居心地の良いものであったと感じる。
私の高校は絵に描いたような自称進学校であり、教師は生徒に、自宅学習時間記録用紙の提出、長期休暇での講習(強制ではないが圧力はかかる)、毎日の朝テスト実施、大量の課題提出などを強いていた。
さらに、それらを怠った生徒は放課後に教務室に呼び出されるという非常に厄介な管理システムがあった。
中高生の段階では大人、特に教育者というのは強大な権力者に見えるもので、ほとんどの生徒は教師に無条件に従うか従うフリをするものである。
しかし、我々のクラスはどこか冷めていたのか、「まぁ各自適当にやればいいんじゃない?」という空気が流れており、教師の言うことも話半分という感じであった。
授業面・生活面で自由な生徒が何人かいたのも大きかったと思う。
何度注意されようとも、殆どの授業において意地でも数学をやり続ける者、何度怒られようと授業中に寝る者、午後からの登校がデフォルトの者など様々で、かつそれを教師以外は誰も何も咎めなかった。
それに加え、誇張抜きに発達障害的特徴を持つものが3,4人いたのも良いスパイスであった(事実、クラスのある生徒は後に発達障害であることが判明した(ついでに自分も……))。
荒れている高校からしたら教師への反抗とも言えないような可愛いものであるが、それでも教師陣は本気で怒っていた。
自由人が何人かいると、周りもだんだん適当になってくる。
特に、自称進学校の要である課題提出率は日に日に下がっていった。
ある日の終会、我々のクラスの課題提出率が全クラス中最下位ということを担任から知らされた。
クラスの誰もが「どうでもいい」という感想を持ったと思うが、驚くべきことにその終会で担任は怒鳴り散らかした。
終会後、友人間での反応は当然「なんであんなに怒ってるの笑」というもの。
その後、我々のクラスの課題提出率が上がることは無かったが、模試の成績は上がり続けていった。
学年成績上位10名のうちの半分は我々のクラスの者であったと予想される。
課題を取捨選択し、自分に必要な勉強をやっていく者が他のクラスより多かったのだろうし、それが功を奏したのかもしれない。
加えて、そもそも我々のクラスの勉強意識が低くは無かったことも関係していたであろう。
放課後には自主的に数学の問題を何人かで解いたりもしていた。
あのレベルの高校にしては意識が高すぎるかもしれないが、しかし振り返ってみればあの放課後は勉強をしていたという感覚が無い。
完全に遊びの延長線上であった。
数学の得意なものが数学を他の生徒に教えたり、一緒に問題を解いたりしていた。
日時を決めてそれらを行っていたわけではない。
放課後、教室に残っている者達による自然発生的なものであり、当然ながらいつも数学をしていたわけではなく、雑談をして駄弁ったり、スマホのゲームで遊んだりもしていた。
それと同じ感覚で数学もしていた。
私自身、自称進学校の思想の影響を多少なりとも受けており、”大学受験”の4文字にさらされ続けたことで高校の時は視野が狭くなっていたと今になって強く思う。
勉強というとどうしても大学受験がチラついていた。異常である。
しかしそんな環境下でも、単純に勉強を楽しめていたあの放課後の時間はとても心地がよかったのだ。
さて、そんな居心地の良いクラスであったが、残念ながら2年進級時にそのクラスの生徒達は3,4クラスに散らばってしまった。
私にとって、高校2年時・3年時は苦しいものであった。
勉強においての苦しさで言えば、努力できない自分に気づいてしまったということも挙げられるが、そもそも楽しい勉強というものが分からなくなってしまっていた。
また、勉強に対する姿勢だけでなく、クラスそのものの居心地が変わってしまったということも悲しかった。
高校1年時では”クラスで浮く”という感覚が分からなかった。
私自身、1年時には何度も教務室に呼ばれたり、先生と衝突したり(時にはわざわざ親にまで電話がいっていた)していたが、だからクラスでどうということは全く無かった。
誰もそんなことにそこまで興味は無かったと思う。
2年では1年の時と同じように過ごしたが、2年生のクラスでは私に自主的に話しかける人間は1人か2人であった。
そこには”クラスのノリ”があったのだ。
誰かをハブることやいじめなどは全く無かったが、”クラスで浮く”という感覚を私はあの時に初めて知った。
そして私は、今後の高校生活が1年生の時より面白くなることは無いと直感してしまったのだった。
それでもなんとか足掻こうと、3年時には自分から環境を変えるためにクラスを変更したり(成績優秀者クラスのようなものを辞退した)、恋人を作ってみたりはしたものの、景色はほとんど変わらなかった。
今でもたまに高校での日々を思い出すことがあるが、あの高校1年時のクラスがもう少し続いていたならば、勉強も高校生活ももう少し楽しいものになっていただろうに、という虚しさの感情でいっぱいになってしまう。