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【思い出エッセイ】好きになれない新年

新年のお決まりの挨拶に「あけましておめでとうございます。」がある。

私は小さい頃、この挨拶をするのが大変苦手であった。
なんなら今でも苦手である。

その理由として、少なくとも小さい頃はあけましておめでとうございますから始まる一連の会話に何の意味があるのか分からなかったから、ということが挙げられると思う。

 

例えばAさんがあけましておめでとうございますといった場合、その後の会話は大体決まりきったものになる。

A:あけましておめでとうございます~
B:おめでとうございます~
A:今年もよろしくおねがいします~
B:こちらこそよろしくおねがいします~

 このようなはじめから決まっている会話のキャッチボールをする意味が小さい頃には理解できなかった。

お互いがお互いの言うことを分かりきっているのに、なぜわざわざそれを口に出す必要があるのかと思っていた。

 

そういうわけで私は年明けに誰かと会っても、少なくとも自分からは「あけましておめでとうございます。」とは決して言わなかったのだ。

しかし、それが原因である年明けの日に苦い思いをすることになる。

 

小学校低学年の時のある年明けの日に家に親戚が来た。

「あけましておめでとうございます」をどうしても言いたくなかった私は、その日親戚と向かい合っても新年の挨拶をしなかった。


そして、そんな私に対面した親戚は「新年の挨拶もできない子なんだねぇ」と言った。

他にも色々言われたと思うが、その最初の一言が衝撃的すぎてそれだけ印象に強く残っている。

新年の挨拶をしないだけで、こんなふうに言われるのかと当時のわたしは驚き、年明けは面倒くさい期間なのだなと思った。


それ以来、年明けは新年の挨拶をしないと大人に怒られるんだと意識するようになったが、その一方で新年の挨拶をしなければいけない期間はいつまでなのか、という新たな問題が生まれた。

 

例えば、新年初顔合わせが夏である人に対して「あけましておめでとうございます」とは言わないだろう。

 

当時考えた結果、なんとなく1月1日から1週間後くらいまでは、会った人に対して「あけましておめでとうございます」を言わなければいけないだろうと結論づけた。

 

しかし、中学生の時にその考えを否定される出来事に遭ってしまう。

当時していた習い事の新年初練習の日、その日は1月の終わりだった。

1月の終わりくらいには新年の気分はだいぶ抜けており、新年の挨拶をすべきかしないべきかいうことすら頭から抜けていた。

習い事の先生に会い、普通に「こんにちは」と挨拶したら「あけましておめでとうございます、じゃないの?」と少し怒られた。

 

ただでさえ「あけましておめでとうございます」を言うことにストレスを感じているのに、それを言わなければいけない期間についても分からなくなってしまい、新年に人と会うのが怖くなった。

そして新年それ自体もどちらかと言えば嫌いなものになってしまった。

 

そういった苦い体験がずっと記憶に残っているせいだろう、大人になった今でも新年に人と会うのは怖い。

「あけましておめでとうございます」もやはり自分からはほぼ言わないし、言おうとしてもスムーズに言えない。


このまま順調に生きていくとすると、新年はあと何十回もやってくることになる。

果たしてスムーズに新年を祝えるようになる日は来るのだろうか。

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