Loppelle

大学生です。興味があることは哲学、心理学、社会学など。

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最近の記事

私にしかできないこと

最近、私にはできないことは何だろうと今まで以上に考えている。いろいろなことに気を揉む時期ではあるが、人生の目標に忠実に歩みを進めたい、もう右往左往するのはごめんだと心底思っている。 父も母も、彼らにしかできないことで生活して、家庭を築いてきた。そんな父が、会社よりも楽しいことに夢中になっている。そんな母が長年勤めた職場を辞める時期かな…と娘である私に相談してくる。その背中を私を含めた三人の子供まざまざと見せつけてくれていた時期は終わり、私たちが巣立ちの姿を親に見せる時が来た

    • 混沌と監視か自由と秩序か?

      争いはなぜ起こるのだろうか?とここ最近ぼーっと考えてる。 争いはあらゆるところに存在している。私の心の中にも些細な争いが毎日生まれる。自分の持っている考えの矛盾を解決するのに怒りや苛立ちを覚えることがある。たまに私は私のことをぶっ叩いて無理やり現実に向き合う。また、家族の中で、価値観が合わないと思うと、なんだかむしゃくしゃしてしまい、口げんかになることもある。耳を澄ませれば、隣の家からの親子ゲンカが聞こえてくる。テレビのワイドショーを見れば、国会で意見の違いから語気を荒げて

      • お金は価値の具現化にふさわしいか

        私はお金が大嫌いである。これは大学に入った時くらいに思い始めたことで、社会に逆らってしまう考え方なので封じ込めていたが、四年経った今も思い続けている。なので、最近は素直にこの感情に向き合っている。 お金は大事である。しかし、お金がなくなってもなんとか生きていくと思う。強くそう思う。お金がなくなるということは私にとって自由だ。好きな食べ物を自分の力で手に入れることができる。それに時間を費やすことを責められない。お金があることによって好きな食べ物を得たり、こだわりを持って選ぶこ

        • 夢たち(2020年5月29日現在)

          夢とはなんだろう? 夜見る夢は、私たちの想像を引き伸ばせるとこまで引き延ばした結果だと思っている。起きている間に私たちは様々なことを吸収し、それを眠っている間に整理している。その間に見るのが夢だ。夢を見ている時は、記憶を整理しているだなんて思いもしない。そもそも、現実で起こっていない出来事が起こることもある。それはもちろん、現実で起こった記憶の切り貼りなので全く意味をなさない。でも、実際の所、それが私たちの想像力の根源だということもできると私は思う。現実で得た情報をもとに、

        私にしかできないこと

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        • 精神的自己免疫疾患
          0本
        • 父と私
          1本

        記事

          オンライン演劇を見たら悪寒がした

          私は演劇が好きだ。ここ何年かはお金がないので舞台を見いくことは年に数回だが、以前は自分でも舞台に立ったりしていた。 しかし、今年は舞台を見に行けないかもしれない。パンデミックのせいで楽しみにしていた舞台も中止だ。演劇には最低でも1ヶ月の稽古期間が必要なので、年の暮れには演劇をやる人たちが動き出していて欲しい。しかし、秋冬は寒くなって「密」が増えるため、感染者がまた増加するのではないかと言う分析もある。とういうことで劇場に行って演劇鑑賞するのは当分先になりそうだ。 そこで、

          オンライン演劇を見たら悪寒がした

          デジタルが作り出す新しい世界と矛盾する人々

          2008年ニューヨークタイムズからケビンケリーによって書かれた"Becoming Screen Literate"という記事が出た。要約すると、私たちはスクリーン上の教養、いわゆるデジタルリテラシーが最も重要視される新しい時代に突入しているという内容だ。確かに私たちはデジタルの時代に生きていると言える。情報はほとんどスクリーン越しに受け取るし、昨今のパンデミックによって仕事や学校だって今はスクリーン上で行えることがわかった。 著者によると、このスクリーンの登場によって、私た

          デジタルが作り出す新しい世界と矛盾する人々

          Youtubeのなぞ

          私は、日本のメディアの情報はあまりにも偏りすぎているし、同じようなことを繰り返して言うだけなのであまり見ない。代わりに世界のことを知りたい時はAFP, AP, Aljazeeraなどのグローバルニュースを見ることにしている。今日はAljazeeraをYoutubeで流しっぱなしにしていた。いつも流しっぱなしにしているので、気がつかなかったが、「Al Jazeeraはカタール政府によりその全体もしくは一部の出資を受けています。」と動画の下に変な説明が付いていて、Aljazeer

          Youtubeのなぞ

          どうでもいいこと

          どうでもいいことをだらだら書いてみるのもいいかな〜なんて思う。 明日の授業楽しみだなあとか考えている。オンラインでも誰かと話す機会が与えられるのはとてつもなく嬉しい。先生の「質問ある?」にワキ汗びっしょりで必死で質問を探したりするけど、何もなくてぼーっとするよりマシだ。 そういえば、部屋を片付けてから窓際のダンボールの下敷きになっているプラグがゴキブリに見えてしょうがない。じめじめする季節なのでそろそろ出てくる頃かなと無意識で思っているのかもしれない。しかし、あれはゴキブ

          どうでもいいこと

          それぞれの「当たり前」

          唐突だが、私の祖父は漁師であった。酒が好きで、銭湯が好きで、子供が好きだった。母からすると、絶対に逆らえない頑固親父だったらしいが、子供の私にとっては唯一大人扱いしてくれる大人であった。将棋を教えてくれて、祖父とよく対局した。今考えれば、将棋を教えてくれたのは、祖父の暇つぶし相手を作るためだったのではないかと思うくらいボロクソに負かされた。人数が多い時はチーム戦なんかもしたりした。私の一手が気にくわないと、こたつの下で足の親指をよくつねられたものだ。 祖父は、祖母にとても厳

          それぞれの「当たり前」

          なぜ私たちは化学療法至上主義の世界に生きているのか?

          風邪をひいたら、当たり前のように市販の薬を飲んだり病院に行って薬を処方してもらったりする。しかし、果たして、それが私たちの体に対する唯一の解決策なのだろうか?実は違う。世界中の科学者やその他の人々が手術や薬だけが心身の不調を治すものではないと提言している。今日は、化学療法に替わって私たちの健康を促進するアイディアをシェアする。 また、どうして化学療法がメジャーな医療として世界に広まっているのかを批判的に考察していきたい。 Earthing: 素肌で地球に触れること The

          なぜ私たちは化学療法至上主義の世界に生きているのか?

          自分で自分を死に至らしめる理論ー精神的自己免疫疾患

          私は、自分のことを責めることがよくある。特に夜や、疲れている時は、どうしても自分を責めたいらしい。時には人に連絡して迷惑をかけて「私は迷惑をかける最低の人間だ、価値がない。」と思い込もうとするときもある。最近私はこれは精神的自己免疫疾患と呼んでいるのだが、半年ほど前に医者からは双極性障害だと言われた。 確かに気分のアップダウンは激しいが、自分なりに気分のアップダウンが苦しいのではないと思っているので双極性障害という病名はしっくりきていない。 精神的自己免疫疾患というのは、

          自分で自分を死に至らしめる理論ー精神的自己免疫疾患

          頬をぶっ叩いて自分を鼓舞したら自分を少し認められた

          私は意志が弱く、人の言葉や意見に流されやすい。そして、人の言葉を引用して自分を甘やかしやすい。例えば、読まなくてはいけない論文がかなり難しく、それが何十ページもあると、「難しいから休み休みでいいんだよ」「ちょっとだけ寝よう」とかそういう人から今まで言われた言葉を都合よく使って自分を甘やかしてきた。理解力はあるほうだと思う。わかってる、それはすべて甘えだ。 最近はそんな自分を変えようと毎日努力している。いろいろやってみたが、結局、自分で自分を叱るしかないと気づいた。 思いっ

          頬をぶっ叩いて自分を鼓舞したら自分を少し認められた

          明日死ぬなら

          「明日死ぬなら何する?それがあなたが本当にやりたいことだよ。」いろいろな人がそんなことを言っている。言っていることはわかる。でも、自分に置き換えて考えてみると、実際のところ今死のうが明日死のうが構わない。昨日も今日も明日も自分がしたいことなんて1つもない。 死なない原因は家族がいるからだ。家族の事が好きだし、悲しませたくない。誰も悲しむ人がいなくなったら、余裕で死ねる。 誰かのことが好きだという感情はある。だからその人たちと一緒にいれれば結局いいんだ、という風に思って2年

          明日死ぬなら

          それでも人との関わりを持ち続けたい

          2020年に入ってから辻仁成さんのブログ拝読が日課だ。フランスのこと、料理のこと、家族のこと、辻さんの周りにいる人たちのこと、作家なだけあって彼の文章は読みやすく、親しみやすく、優しい。彼の生活は小説の中のワンシーンのようで、いつも彼の生活が目に浮かぶ。文章の合間に挟まれている写真たちがさらに想像力を刺激してくる。彼の家に行ったことも、彼の仲間たちに会ったこともないけれど、なんとなく私もその中に加わっているような気になる。友達の少ない私にとって、彼のブログを読む時間は癒しだ。

          それでも人との関わりを持ち続けたい

          鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ

          鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ 怒涛の海を飛びゆく鳥のように 混沌の世を生きねばならぬ 鳥は本能的に暗黒を突破すれば光明の島に着くことを知っている そのように人も 一寸先は闇ではなく光であることを知らねばならぬ 特に理由もないのに心の中に残っている言葉はないだろうか?先ほど紹介した詩は、私の人生においてそれほど大事でもないが、心にずっと残っている言葉の1つだ。もっと詳しく言えばこの詩そのものが好きで一言一句覚えているわけではない。この詩が私に思い浮かべさせた情景…1

          鳥は飛ばねばならぬ、人は生きねばならぬ