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夢たち(2020年5月29日現在)

夢とはなんだろう?

夜見る夢は、私たちの想像を引き伸ばせるとこまで引き延ばした結果だと思っている。起きている間に私たちは様々なことを吸収し、それを眠っている間に整理している。その間に見るのが夢だ。夢を見ている時は、記憶を整理しているだなんて思いもしない。そもそも、現実で起こっていない出来事が起こることもある。それはもちろん、現実で起こった記憶の切り貼りなので全く意味をなさない。でも、実際の所、それが私たちの想像力の根源だということもできると私は思う。現実で得た情報をもとに、ありもしないことを作り出す。それは将来を考えることもまた夢を見るという言い方で表現する理由なのだと自分で納得している。

興味深いことに、日本語だけでなく、映画、スペイン語なども、夜見る夢と未来に向かう夢では同じ言葉を使う。言語とはよくできたもので、言語の違い、そして類似点に垣間見える人間の思考は本当に面白い。

と、夢の定義についてはここまでにして、今回は私が想像していること、いわゆる私の夢について書き残したいと思う。

生きてきて、いろいろ考えてきた。好きなもの、嫌いなもの、苦手なもの、得意なもの…。確かに私はユニークで、だからと言ってユニークだと主張することもないし、他の人と合わせる必要性もない。ただ私は私として粛々と生きるだけなのだ。最近はそう思うことで気持ちがかなり楽になっている。

そんな私が夢見ていることは、大きく分けて今の所3つある。

1つ目はパフォーミングアーティストたちの新しいビジネスモデルを立ち上げることだ。私は2年前まで俳優になろうと思っていた。それなりにオーディションに出たり舞台に出たりして、お金をとって公演させてもらったりした。お金を稼げる=仕事にできると思ってしまって、休学して演劇をしたいと両親に相談をした。しかし、猛反対され、情熱だけでは”安定して”生きていけない問題を解決することができないことを乗り越えられなかった。それから2年間、演劇からは遠ざかって、好きなものと私ができることは違うんだと考えていたが、どうしても自分が分裂しているようで、人生の意味が見出せなかった。何度も演劇がしたい、心から演劇を楽しみたいという感情に戻ってきてしまう。私は私の覚悟ができないのだと思い。何度も自分自身に絶望した。

そんな時、コロナウイルスのパンデミックが起こった。アーティストたちは一番最初に足切りを食らったにもかかわらず、自粛が解除されてもなお、劇場での公演は同調圧力や自治体の方針によって抑制されている。パフォーミングアーティストたちは劇場にお客さんを集めてチケットを売ることによってお金を得ている。もちろんスポンサーの力などもあるだろうが、何しろ劇場を開けてお客さんを集めなければならない。しかし、この状況でそれはできないのだ。みんなが、何か起こったら”安定して”生活できないという状況に直面したのではないかと思う。

そして、露呈したのが、日本人の文化に対する姿勢と価値観だ。お金が稼げないところに投資する人はごく少数だ。わからなくない。これから先、劇場がいつ空くかも、いつその人たちが稽古をして作品を作り上げてくれるかわからないのに投資しようと思わないのかもしれない。しかし、見過ごしてはいけないと思うのは、「このオンラインが主流になってきた世界で演劇は消えていく文化だとしても仕方がない」という主張だ。果たして、そうだろうか?イエスとも言えるし、ノーとも言える。なぜならそれは私たちの行動次第だと思うからだ。

私としては答えはノーだ。私は演劇に素晴らしい価値があると持っている。夏には汗ばんでじっとりとし、冬には暖かい空気にホッとする劇場で、隣の人と肘をぶつけながら作品を作り出している人たち、そして受け取る人たちみんな一緒になってその作品を経験する。アンコールで伝える作品への評価、手書きのアンケート、一緒に行った人たちの記憶、演劇というのは素晴らしい経験をあたえてくれる創作だ。

だからと言って、価値があるからお金くださいというのも違う。世の中にあるものすべてに価値があり、意味がある。そして、資本主義の世界で生きていくために、お金が回るような仕組みをみんなで考え、商品を売っているのだ。であれば、演劇が今回らないのであれば、代わりとなるビジネスモデルが必要なのだ。詳しくはまだ頭の中にあって、ありすぎてこれから磨きをかけなければ言語化できない、それかもしくは私の考えを誰かに取られるのが怖いくらいに自信を持っているので(冗談)ので明記しないが、とにかく、これが私の夢の1つである。

2つ目は院進学。1つ目の夢とも関連しているが、演劇、もっと大きく言えば、文化に対して国や地域によってかなりの差があるのでそれを学びたいので海外の大学に行きたいのが2つ目の夢だ。もちろん、海外の考えが良いとは思っていない。でも、文化をみんな持っているけど、文化にどのくらいの価値を見出しているかが違うのはおもろい。何がその違いをもたらしているのか分かれば、日本社会がもっとよく見えてくるかもしれない、そう思っている。何となく、ヨーロッパか韓国かなあと思っている。まだまだリサーチが必要だけれど、でも、こういう気持ちは大事だと思うので未来の私のために残しておく。

そして、3つ目は2つ目と関連しているが、国際機関、特にUNESCOに入りたいという野望も抱いている。UNESCOは世界の文化財保護などまあ、いろいろやっている(お恥ずかしいことにずべての活動を把握しているわけではない)のだが、最近は政治的な思想が文化財保護にも影響しているのだなあと気づき始めた。例えば、2015年頃に中国が南京だ虐殺についての歴史的な記録をUNESCOに登録しようとした。それに対して、事実確認が取れないとして日本政府は抗議した。それもお金を使って。要約して言えば、中国の南京大虐殺についての歴史物は事実確認が取れない、そんなものを登録するのなら、UNESCOにはお金を出さない、とUNESCOへの出資を遅らせたのだ。これはどうなのだろう…?文化というか政治の話なのでは…と思うだろうが文化と政治は深く関わっており、そして政治家たちは文化に対して敏感なのだ。世界規模で文化保護を経験してみたいというのが3つ目の夢だ。

あ〜書いていて恥ずかしい。それでも、これが私だ。いろいろな考えを持っている自分がいる。でも、その私を否定せず、内側で反芻し合う考えを優しくなだめながら私として生きていきたい。