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私にしかできないこと

最近、私にはできないことは何だろうと今まで以上に考えている。いろいろなことに気を揉む時期ではあるが、人生の目標に忠実に歩みを進めたい、もう右往左往するのはごめんだと心底思っている。

父も母も、彼らにしかできないことで生活して、家庭を築いてきた。そんな父が、会社よりも楽しいことに夢中になっている。そんな母が長年勤めた職場を辞める時期かな…と娘である私に相談してくる。その背中を私を含めた三人の子供まざまざと見せつけてくれていた時期は終わり、私たちが巣立ちの姿を親に見せる時が来たのかな、となんとなく思う。

私にしかできないこととは何だろう?真っ先に思いつくのは表現力や共感力だ。昔から、人付き合いが苦手だが、その理由は他人に対してそこまでしなくていいのに、というほどに共感してしまうからだ。共感は人と接近するのに有効な手段だが、近づきすぎては見なくていい部分が見えてしまったり、見て欲しくない部分をさらしてしまうこともある。だから、私は絶えず孤独と心配事に惑わされているが、その教科力が私の表現力に結びついているとも思う。絵を描いたり、文章を書いたりするとき、いつも誰かのことを思っている。誰かと自分の価値観の間での揺らぎが創作の源なのだ。

ということは私は創作を続けることが自分らしく生きるということなのだろう。問題は何を創作するか、ということだ。何を創作するか、それは私がこれから知ることで私が選ぶことである。

たくさん知らなきゃ、なのだ。