見出し画像

自分で自分を死に至らしめる理論ー精神的自己免疫疾患

私は、自分のことを責めることがよくある。特に夜や、疲れている時は、どうしても自分を責めたいらしい。時には人に連絡して迷惑をかけて「私は迷惑をかける最低の人間だ、価値がない。」と思い込もうとするときもある。最近私はこれは精神的自己免疫疾患と呼んでいるのだが、半年ほど前に医者からは双極性障害だと言われた。

確かに気分のアップダウンは激しいが、自分なりに気分のアップダウンが苦しいのではないと思っているので双極性障害という病名はしっくりきていない。

精神的自己免疫疾患というのは、免疫について勉強した時にふと思い浮かんだ言葉だ。身体的な自己免疫疾患というのは、自分の体を守るための免疫機能が自分自身の成長な細胞や身体機能に対して攻撃してしまうことを指す。主な例としてはギランバレー症候群やバセドウ病などだ。

私は、精神的にも自分を守る機能、いわゆる免疫を持っているにもかかわらず、その免疫が自分を攻撃し、自分は存在しなければよかったと思わせてしまうことが精神的自己免疫疾患だと思っている。

まず、免疫機能についての説明だが、通常、ストレスがかかった時に免疫機能は働く。ストレスの度合いによって、また人それぞれの今までの経験によって、ストレスへの対処している。例えば、うるさい音がなったら、窓を閉めようという免疫が働いたり、もしくは耳栓をしようという免疫かもしれない。気にしないという免疫を持っている人もいるかもしれない。このように、外から入ってくるものに対して自分が快適な状態に入れるように思考し実行することが精神的な免疫だと私は解釈している。

ではそれが自分に対して働いてしまうときというのはどういうときだろうか?

例えば、疲れたという感情が自分の中に生まれたとする。疲れたという感情は裏を返せば体を休めた方がいいという指令だ。なので、寝るとか他のことをするとかすればいい。悲しいという感情に対してもそうだ。悲しいときは涙を流して悲しめばいいし、楽しいことを考えたり、人に頼って励ましてもらったりして悲しみを受け止めながら前に進んでいくしかない。どちらも心にとって重要な感情である。

しかし、私の場合は、疲れた、悲しい、といったネガティブな感情をいらない感情として攻撃してしまう。例えば、疲れた時にどうして私はやらなければいけないことがある時に疲れてしまうんだ、疲れた自分が悪い、と。やらなければならないことは毎日毎秒増えていく。永遠に片付かない問題もある。だから、そういう理論だと眠らずに問題に立ち向かい続けなければならないということになる。それに対して立ち向かえる時間があるのに、気力が持たないなんて情けないという考えに行き着く。そういう時に限って眠れない。疲れているのに眠れないなんて、何て欠陥のある体なんだ、眠れない今のうちに問題の一つや二つ片付くんじゃないのか、自分は本当に価値がない、と自分を責め続ける。疲れたという感情を私は持ってはいけないんだ、私は未熟なんだ、私はいつまでたっても成長できないので、死んだほうがマシだ。他人が私に対してエネルギーを使うのは本当に無駄だ。私はいなくなった方がいい。

こうして毎晩死ぬ理由を作り上げている。疲れたという感情だけではなく、すべてのネガティブな感情に対して生まれてこなければよかった感情だと思って接しているので、生まれた理論は数多ある。確実に死ぬ方法がわからないので思いとどまっているが、そういう方法が見つかったらある夜、私は死んでいるだろう。

今のところ、解決策は見つかっていない。疲れていない時、悲しくない時に理論を積み上げて、精神的自己免疫疾患の発作に備えることしか今はできないので、こうしてnoteに書き積んでいる。いつか、精神的自己免疫疾患の発作、いわゆる自分を死へと至らしめる理論より自分がネガティブな感情を持っているのが自然なことだ、生きていていいんだという理論の方がしっくりくる自分になれる日が来ることを望んでいる。