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デジタルが作り出す新しい世界と矛盾する人々

2008年ニューヨークタイムズからケビンケリーによって書かれた"Becoming Screen Literate"という記事が出た。要約すると、私たちはスクリーン上の教養、いわゆるデジタルリテラシーが最も重要視される新しい時代に突入しているという内容だ。確かに私たちはデジタルの時代に生きていると言える。情報はほとんどスクリーン越しに受け取るし、昨今のパンデミックによって仕事や学校だって今はスクリーン上で行えることがわかった。

著者によると、このスクリーンの登場によって、私たちの教養はさらに視覚的になると予測していた。これは2008年の記事だが、まさにその通りだと言える。私たちは文字でコミュニケーションをしなくても、スタンプで会話する方法を知っている。わからないことがあれば文字で説明しなくても写真を送ればいい。誰かの投稿や意見に返納するときは、コメントをするより、いいねをする方が何倍も多い。私たちは、文字よりも簡単で、分かりやすい表現方法を手に入れたのだ。

スクリーンの普及は受け取るだけでなく、作る側にも大きな影響を与えている。私たちは、携帯電話ひとつあれば、自分で写真や画像を撮ることも編集することもそして全世界に公開できる。

紙は必要なくなるのかもしれない、とふと思う。しかし果たして私たちはこのままデジタル世界に飲み込まれていくのか?

こう疑問に思ったのは、iphoneにスクリーンタイムという機能が導入されたからだ。スクリーンタイムは、自分でiphoneを使う時間に制限をかけることができる機能で、どのくらいの時間スクリーンの前で過ごしていたか、どのアプリを一番長く使っていたかをレポートしてくれる機能も付いている。私はこの機能でスクリーンタイムを一日中オンにしているので、携帯を触ることはほとんどない。毎日パソコンの前で過ごしているので、スクリーンを見ている時間は残念ながら長いが、それでも一日の何時間かはスクリーンを見ずに過ごせている。

そう考えた時、ふと思った。

私たちはスクリーンを見続けることに危機感を感じているのではないか。

iphoneがこの機能を導入したということは他の誰かもスクリーンを見る時間を規制したいと思ったからなのだろう。特に、スクリーンタイムの機能には親が一方的に子供の携帯利用時間を制限できるシステムもあるので、スクリーンを見続けることはよくないと考えている人が多いのだろう。ひとつの大きな理由として、健康上の理由があると思う。強い光を浴び続けると、目によくないし、覚醒作用もあるようなので睡眠にも影響する。しかし、今はブルーライトカットのメガネなども開発されている。なぜ私たちはスクリーンを見続けることに危機感を感じるのか?

私たちは、簡単で分かりやすい解決方法としてデジタルをあまりにも都合よく使いすぎているのかもしれない。

このパンデミック下で、デジタルの重要性を痛いほど知った。しかし、それでも人々が外に出たいのはなぜか?デジタルの欠陥かそれとも不慣れなせいか。私たちはこれからも続いていく技術の発展とともに、私たちはどのように生きていくのかをよく考えなければならない。