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去勢

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短編小説。
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サンライズ

サンライズ

 鎌倉に住んでいた当時だから、いまからおよそ八年前になるが、そのころアパートのベランダでアイビーを育てていた。花屋で簡単に手にはいる品種もあれば、日本ではほとんど栽培されていないものもあった。後者は、長崎に農園をかまえる業者さんに譲ってもらったもので、タイトルにあるとおり、確かサンライズという品種だったと思う。が、定かではない。後述するが、手元にその鉢もなく、なにせ昔のことなので記憶が糢糊としてい

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ミルコ・クロコップの友人2

ミルコ・クロコップの友人2

 ビーチにでてみたが、海にはいる気分でもない。なるほど南国の海はきれいではあった。きれいだが波が高い。この波とたわむれていたら、おぼれてしまいそうだ。それくらい高い波だった。

 パラソルの下のベッドで横になっている。少し離れたところで、豚くらいに太った中年の女が、トップレスでくつろいでいた。のん気なものだ。どういうわけか、観光客はおおむね太っていた。私をのぞけば、痩せてすっきりしていたのは、白い

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ミルコ・クロコップの友人1

ミルコ・クロコップの友人1

 伯母を頼りにバリ島へ遊びにいったことがある。当時、彼女は一年のうち、およそ半分をバリで過ごしていた。

 私はまだ、二十三、四だった。二〇〇二年に、バリ島南部でテロがあったが、それから間もない時期だったので、観光客は少ないと聞かされていた。一ヶ月間の旅程のうち、南部のビーチに滞在したのはほんの数日だった。
 ほとんどは、バリ島のおよそ中央に位置するウブドに滞在していた。蛇足になるが、旅程のうち二

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ふせんの貼りかた

ふせんの貼りかた

 「個人的に、ふせんの貼りかたが気にいらないです」といわれたことがある。私より、二、三若かったはずだから、当時、彼女は二十五、六だっただろう。
 彼女と私とは、お互い、悪い意味で個性的だったのだと思う。社員同士、仲のよい会社にあって、我々は、それぞれ孤立していたように思える。空気が読めなかったのだ。我々はいつもひとりで昼メシをたべていた。
 強がるわけではないが、私はそれで別段かまわなかった。いっ

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続療養日記

続療養日記

 春がきて、彼女は東京でひとり暮らしをはじめることになった。美容師になるのに、専門学校へ通うのだ。四月の頭に一度あって、それでお別れになった。最後の晩、彼女は泣いてセックスをしたが、男のほうではそれほどの感慨もなく、快楽よりも、そうして泣かれることで痛切に、ある種の孤独を感じた。それきり、彼女とは会っていない。

 友人をなくした彼は、きものに凝りはじめた。とはいっても、襦袢をつけるのはめんどうに

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療養日記

療養日記

 九年前の春、病気をしたのもあって仕事を辞めた。そのとき彼は、三十二歳だった。
 大学に進んでから、ずっと東京に暮らしていたが、その夏、鎌倉へ越した。新しく仕事が見つかったわけではない。ただなんとなく、住んでみたかった、というのがその理由である。
 わずかな貯蓄でしばらく生活をしなければならず、なりゆき食事は質素になった。一日一食。六枚切りの食パンを二枚、チョコレート、アイスクリーム、これだけだ。

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私の先生

私の先生

 高校は一学年で314名いた。なぜそんなことを覚えているのか。二十年も昔のはなしだぞ。無論、理由があって、それは模試の結果にある。あるとき、国語の点数が313番だったのだ。商品はないが、ブービー賞だ。危ない、危ないと、友人に聞かせたら、彼も313番。つまり、我々はビリタイだった。

 国語のみならず、英語、歴史、文系科目の結果たるや惨憺たるものだった。それでも、どういうわけか、私は文学部への進学を

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水になれたら

水になれたら

 足首を骨折してシーネ固定していたが、先月末それがはずれた。休んでいたあいだは、当然運動もままならず家でごろごろしていた。目方が増えてしまった。それで、水泳をはじめることにした。

 家から徒歩五分のところにスポーツジムがあるのでそこへ通うことにした。泳ぎは、久方ぶりである。十年ほど前に愛媛の山中の川で泳いで以来だろうか。だが、泳ぎは忘れられてはいなかった。

 二五メートルのプールには、全部で5

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骨を折る

骨を折る

 先月のことになるが骨折をした。
 立ちくらみがして倒れた拍子に、左足首を折ったのである。高校時分、ラグビーの試合で左手首を骨折して以来である。

 ずいぶんと腫れたが、まあ、一週間もすれば治るだろうと早合点した。早合点なのでまちがっている。整形外科で診てもらったら、内と外のくるぶし二ヶ所が折れており、全治4〜6週間と下された。

 立ちくらみの原因は薬の副作用らしい。実はうつの治療でもう十年近く

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化石の恋

化石の恋

 僕は化石だ、だが恋をした。だから、ふたたび時間を動かしたい。ずいぶん長いあいだ、化石をしていたのだろう。自分が一体なにものなのか、あやうく忘れてしまうところだった。けれど、君のおかげで意識を取りもどすことができた。声は出ないが、心の内でありがとうをいっている。

 いつも君を見ていたんだ。君が小学校にあがって、ひとりで寝起きするようになってからずっとだ。黒い天鵞絨のカーテンに飴色の天板の学習机。

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