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幸せで苦しかった。作り上げた自分を切り売りすること。

 これは本編とはあまり関係がない話なのですが、好きでもないひとと食べる高級料理よりも、一人で食べるカップ麺の方が数億倍美味しいと思います( ˘꒳˘  )
 そして好きなひとと食べるものなら、なんだって美味しいと思います( ˘꒳˘  )

 なので大学時代お仕事をしていたときに食べたものは、ぜんぶとってもおいしかったです。

自分を切り売りするの、楽しくって幸せで苦しかった

 ショーウィンドウに並んだ靴を選ぶように、お客様好みの美しい容姿を商品にして、選んでいただく仕事をしていた。

 私はそこで、美しく、知性と品性に溢れ、愛嬌がある女子大生という架空の「自分」をつくりだし、伝説的な売上を叩き出した。予約や問い合わせの電話が殺到するあまり、お店の電話回線をパンクさせたこともある。

 出勤すればお客様が来てくださり、私を色々な方面から褒めてくださった。毎回誰か一人は、プレゼントや差し入れをくださった。

\今も大切に使ってるよ♡/

 誕生日には、丸々2日買い切って、盛大に生誕を祝っていただいた。

↑↓お昼に行った松阪牛のお店《海津本店》。お庭がとってもきれいでした✨

 ↑内宮の池が美しかったです✨

 ↑大好きなスヌーピー茶屋💕︎
 秋限定プレートが可愛すぎました♡♡♡

 泊まった旅館は《月夜見の座》。 
 紳士な彼は、アセクシャルで性嫌悪な私に指一本たりとも触れませんでした( ˘꒳˘  )
 そういうところ大好き!!

 馥郁たる晩餐の芸術的な美しさよ……!✨

 20歳の誕生日に薔薇&シャンパン風呂したひと、なかなかいないと思う🛀🌹🍾
(水着は着てたよ!)

 翌日の朝の懐石も美味しかったし、部屋付き露天風呂の朝風呂も気持ちよかったし、帰りに手紙とアルバムいただいたのも感動だった😭✨

(泊まったのは11月1日だけど誕生日は2日である。けど嬉しいから気にしたら負け!)

 お昼のフレンチも美味しかったな♡

 お客様は私のことを好いてくださっていたし、私もそんなお客様のことが心から大切だった。
 とてもしあわせな日々だった。世界に存在することを許され、望まれているとすら思えたから。

 それとは別に、そのひとの理想の「私」を買って、一日連れ歩くひともいた。
 その方は素敵なカフェやお店で美味しいものを食べさせてくださったり、美術館へ連れて行ってくださったり、化粧品を贈ってくれたりエステに通わせてくださったり、楽しいことをたくさんさせてくださった。


しあわせなのに、私はどうして満たされないの?

 こんなによくしていただいて、私はとてもしあわせなはずなのに、あの頃の私はつねにしあわせと空虚が同居していた。
 どんなに楽しくても嬉しくても、小さいけれど無視できない虚無感がつねにあって、苦しかった。

 なぜだろう。私がわがままだから? 求めすぎるから?

 それもあるだろうけれど、一番の理由はたぶん、彼らが見ているものが、「私」ではなくて私を通した「理想の女の子」だったからだ。

 もちろん、そういう仕事だったのだから仕方ない。そのように自分をプロデュースして売っていたのも、私自身だ。

 ただ、わかっていても苦しかった。
 お客様ひとりひとりが、とても大切だったから。

 私はお客様を見ているのに、お客様は「私」を見ていない。
 それが、どうしようもなくかなしかった。

 「可愛いね」「綺麗だね」「頭がいいね」「話がとっても面白いね」「癒されるよ」「一緒にいて楽しいよ」「大好きだよ」。
 ぜんぶ、私の欲しい言葉だった。求めていた言葉だった。
 それを愛情とともに惜しみなく注いでもらえて嬉しかったのに、嬉しくなかった。

 本当の自分がわからなくなった。
 今言っている言葉が、本当に自分が思っていることなのか、わからなくなった。

自分を保つために、

 私は幸せの絶頂で、大好きだった仕事をやめたのだった。

 毎月花束をもらわなくても、毎週ケーキをもらわなくても、毎日「可愛いね」と言われなくても、私は私でありたかった。もう架空の自分でいるのはやめたかった。

 もう瀟洒なお洋服を着ることも、豪華なジュエリーを身に着けることも、ラグジュアリーなホテルや名店で食事をすることもたぶんないけれど、私は今とてもしあわせだ。自分が自分のままでいられるから。

 この記事を読んでくれた皆様。
 あなたも変に無理をせず、あなたのままでいてください。そんなあなたを、私は知りたいと思います。

 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます!
 これからもお互い無理しないで生きていこうね( ˘꒳˘  )

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