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「物語る」ことが全てを癒す


カウンセリングの効果って、何だと思いますか?

カウンセラーから、新しい思考法を学ぶこと?
カウンセラーから、適切な対処法を得ること?
カウンセラーから、自分の深層心理を知ること?


全て正しいようでいて、その本質ではないと考えています。
では何が本当の効果なのか?



それはタイトルに示したとおり。
「カウンセラーに、物語ること」なのです。


いやいや、待てよ。
物語ることはその手段であって、効果ではないだろう。物語ることによって、何かの効果を生むのではないのか?
そのように思われるかもしれません。

しかし、それが手段であり効果であり、カウンセリングの全てなのです。




物語とは、変遷し続け伝えられ続けるもの


例えば、身内との確執があり、大事なイベントに出席しなかったクライエントがいたとします。

「私はあんな奴ら大っ嫌いだから、出席するなんて考えるだけで腹が立つ。だから無視して、行かなかったのよ!」


彼女には彼女の"物語"があります。
「大嫌いな奴らが来るイベントだから、私は敢えて行かない選択を取った」という物語です。



しかしカウンセリングを続けていると、こんなことが起きてきます。

「なんだかんだ身内だからね、私は出席しようと思ったの。だけどあの時、ちょうど体調を崩してしまったから行けなかったのよ!」

彼女の物語は変遷しています。
「体裁を考えて私は行こうとしたが、別の要因で行けなかった」という物語です。



さらに続けると、こうなりました。
「私は出席したかったのよ。だけど体調が悪くて行けなかったの!体調が良ければ行ったのに」

また彼女の物語は少しだけ、でも大きく変遷しています。
「行きたい気持ちがあったが、別の要因で行けなかった」という物語です。



さて、簡単な例を示しましたが、どのように感じるでしょうか。

"結局、この人がイベントに行かなかった理由は何なんだ?"と思ったかもしれません。
あるいは、"この人は嫌い嫌いと言っていたけど、本当は行きたかったんだな"と思ったかもしれません。

だけど。



どれが本当の理由とか、とれが正しい理由とか、どれが良い理由とか、そんなものはありません。


大事なのは、彼女が彼女の物語を語り、"彼女の歴史が伝えられた"ということ。

そして彼女の物語は伝えるごとに「今の」彼女の物語として"生きた物語になる"ということです。

これがまさに、カウンセリングの効果の醍醐味ではないかと考えています。



もちろん、その変遷はカウンセラーとの関係から影響を受けており、その他の外的要因から影響を受けています。

よって「物語ることが効果である」ということの意味は、「物語り続けること、そしてそれを聴き続ける受け手がいることによって、お互いの関係性の中で物語が変遷し、生きた(ダイナミックな)歴史が伝えられ続ける」ということなのです。




カウンセリングは誰にでもできる?


さて、ここまでの話を聞くと、このような考えが浮かびます。

語り手と聴き手がいれば良いのであれば、それは専門家との間でなくても良いのではないか。
友人だって家族だって、聴いてくれる。
(もしくは、自分で自分の聴き手になれる、という方もいるかと思います。)

確かにそうです。
だからこそ、カウンセリングを必要としない方々も沢山いらっしゃいます。


ただし、"自分の鏡のように聴き、自分の鏡のように思案し、決して日常生活に具体的な侵入をしない"聴き手というのは、そうはいません。

この点はカウンセラーが友人や家族と大きく違うところです。もちろん自分ともまったく違います。
だからこそ、カウンセリングでは日常体験し得ない世界に足を踏み入れることが出来るのです。



誰かに物語る。これが"生きる"ということかもしれません。
(それは生命維持をするということではなく、生き生きとするということになると思います。)

そしてその過程を、非日常の相手とともに経る。これが、自分の知らない自分に出会うということかもしれません。


(もちろん、物語るとは、言葉でお話しをするということだけに限りません。何かを以って物語ればいいわけで、それ故に絵や箱庭などの表現をセラピーに使うことがあるわけです。)

※ここで挙げた例は全て架空です。

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