yosh yamauchi

大阪の写真撮影で生計を立てている前期高齢者です。 ドラムとトライアルを嗜んでますがどち…

yosh yamauchi

大阪の写真撮影で生計を立てている前期高齢者です。 ドラムとトライアルを嗜んでますがどちらも下手です。

最近の記事

物撮。

*ここへ書き始めて、気が付いたらたくさんの人に読んでいただいているようで、ホントにびっくりしてます。ボケ防止になればいいかなと軽い気持ちで始めましたが、嬉しいことです、ありがとうございます。  ここ10年あまりで結構変わったな、と思うのが、依頼する側の写真に対する見方。いや、撮影する側もか。例えば、こんな事があった。  エコバッグのような、簡易なカバン。取っ手もヒモのような感じで、もちろん自立はしない。これをいつものように、取っ手には見えない位置へ細いアルミワイヤーを仕込み

    • カメラバッグ。

      独立してからすぐ、テンバの中判用の高さが深めのやつを買った。頑丈で片手で開け閉めできるし、容量もたっぷり。蓋の部分にはフィルターケースや135フィルムが20本以上入って、本体にはボディ2台とレンズが4~5本、4個ある外のポケットにはストロボ、メーターに予備電池に偏光フィルターなどの小物が入った。これと三脚をバイクの後ろに括り付けて、大阪中を取材にインタビューに走り回り、果てはアメリカ、ヨーロッパまで、どこへ行くにも一緒でした。やがてベルクロがパカパカになり、擦り切れてあちこち

      • fとSSとISO。

        たまーに、写真に興味を持った方から絞りとシャッタースピード(以下SS)の関係、役割?を教えろと言われることがある。今はiso感度も含めての説明をしなければならず、ちょっとめんどくさい。 この三種の値がなんであんな数字なのか?ってのもなんとなくしか知らない。SSの数値はある時からEOSだったかT90か、変な数字が出るようになり大層気持ち悪かった。30と60や125と250の間なんて無かったのに。4x5のレンズではf値は1/3が普通に使えたし、1/3にもならない「ちょいシボ」とか

        • 丁稚Ⅱ。

           スタジオに入ったころ、40年前の待遇はアルバイト以下、保険、年金はおろか、何の保証も無く、給料も安いし(最初は5万だった)、パワハラ、モラハラ、なんでもありだった。とうぜん、こちらも早く覚えて独立してやる、という一心でやってたけど。  朝は先輩と会社のツケでモーニング、昼は先生のお供でゴチ、夜は忙しいので中華の出前を、ゴチ。なんてことが毎日で、お風呂には週に3回入れたらいいほうだった。だから、そんな安月給でも、休みは疲れて寝てるしで全然使わないから、少しづつだけどお金も溜ま

          お勧め。

          この仕事をしていると、時々、カメラを買おうと思うが何が良いか?と聞かれることがある。決まって答えるのは、値段が同じくらいならどこのでも大差ないので、ヨドバシとかで見て、触って、触り心地とかデザインとか気に入ったものを買うのがよろしいですよ、と言うことにしている。ほんとのところは、キヤノンの一部だけであれこれ使ったことがなく知らないのです。実際、うちなんか旅行とか、遊びに行くときにはiPhoneだけです。奇麗だし、手軽だし、動画だって撮れるし、触るソフトも充実してますもの。 似

          マッチングサービス。

           もう年寄りなので、なんという名称なのかわからないけど、ネットで登録すると、こんな仕事があるけどやりませんか、と依頼がきたり、入札して仕事を得る、みたいなところがあちこちにある。5年程前に、知り合いの若いカメラマンから教えてもらい、面白そうなので紹介してもらった。しばらくすると面接みたいなのがあって、ポートフォリオだの履歴だの出すと審査には通った。どんな案件が来るのか不安だったけど、とりあえず登録していたら、ほどなくして撮影の依頼があった。ホームページのようなところへ使う、店

          マッチングサービス。

          再撮影。

           とても見聞きするのが嫌な言葉。どちらに責任があろうと、やっぱりそう言われるとすごく萎える。数年前に「再撮影お願いします」なんてタイトルのスパムメールが来たときは、ドキッとして思わず開けそうになった。  良くあるのが、商品の仕様変更によるもの。世に出る前だったりするので、これは結構あるし、この場合は新規撮影と同じ扱いだけど、やっぱりあまりやりたくない。今なら画像処理で済むことも多いので、まだマシ。  お任せしますのでよろしく、と言いながら、後出しジャンケンみたいにダメ出しして

          18%グレー。

          露出。絞りとシャッタースピード(とISO感度)の組み合わせ。一眼レフとかのTTLは、18%グレーの紙をカメラで見た時入ってきた光、反射光を測り、その露出で撮るとフィルム上にもちゃんと18%グレーの濃さで再現される、という値。黒いモノだと当然反射してくる光が少ないので、うんと絞りを開けなさい(或いはSSを遅くしろ)、白いものだと反対にもっと絞りなさいという数値が出てくる。対してスタジオではいわゆる入射光式メーターで測光していた。白いピンポン玉を半分に切ったようなのがくっついてい

          18%グレー。

          ハレ切り。

          アシスタントとして、すぐ覚えさせられたのがストロボの扱い方と、コレだった。カメラ周りはずいぶん経ってから。ハレ切りは、フレアやコントラスト低下になる光がレンズに入らないよう黒いボードなどで遮ることで、撮影では逆光、半逆光になるライトがどこかにあるし、またレンズ性能も悪かったので必ずやった。4x5以外ではフードもあるけど、だいたいギリギリの位置にライトを置くことが多いので、カメラが固定されていれば、パーンドアのような立派なもので切ることもあるし、A3くらいのボード(表が白で裏が

          ハレ切り。

          先生。

          スタジオで丁稚として先生二人に付き、その後フリーになってもすぐ食えないので、二人の先生に忙しい時だけというパートタイムのアシスタントも三年ほどやってた。 どの師匠にも、技術的なことなど教えてもらったということが無い。それはチーフやセカンドの役目だし、まあ、見て覚えろ考えろの世界でしたから。そのかわり、いろいろ見せていただいた。もうどの方も、鬼籍に入ったりで、会うことも叶わないが、みな少しばかり変わった、でもすごい人たちだった。 最初についた先生は寡黙な人で、当時あまりしゃべっ

          テーブルトップ。

           スタジオには、サブロク板、182㎝x91㎝サイズのパネルというか木枠の両面にべニア板を貼ったものが何枚もあります。白く塗ってレフ板代わりにも使いますし、壁紙を貼って壁にしたり、Wにして蝶番でつなぎ下にキャスターを付けて移動できるようにしたものも。半分のサイズのもありますし、一回り大きなものも。もちろん、自作です。 この下に脚を入れテーブル状にしたり、片側だけ持ち上げて床に置き、ヤオヤにしたりして、その上に同じサブロクサイズの白や赤、黒のデコラ板、塩ビの色板、透明のアクリや、

          テーブルトップ。

          丁稚。

          1984年、26歳とかなり出遅れたスタートでしたが、拾ってくれたのは、小さなコマーシャルスタジオでした。お前の歳ではどこも雇ってくれんぞ、と言われましたが時代が良かった。まだまだ需要のあったモノクロのフィルム現像、紙焼きが出来たので、アシスタントを兼ねた暗室マンとしての採用でした。 新聞チラシの制作会社のビルの一階にスタジオがあり、その撮影がメインですが、食品、食材、家具、カバンに洗剤、タイヤやオイル、宝石、和装洋装のモデルまで、ともかくありとあらゆるモノを撮っていました。そ

          色温度。

          今はAWB、オートにして撮れば屋外の風景とか、単一照明なところでは十分性能を発揮してくれますが、ダメなことも多いです。小耳に挟んだ話ですが、あまり気にしていないのか、おかしな色味のまま納品って方もいるようですね。白いテーブルなのに撮影したらグリーンやアンバーに被ってる、ってのは、AWBがストロボやお日様マークになったまま電球や蛍光灯下で撮影してるんでしょう。これも後処理で治せるのに、そのまま。かぶるのを嫌ってストロボ一発、は良いけれど回りきらないところは変な色のまま、とか。

          ストロボ。

          ストロボって聞くと、カメラの上に乗せる四角い、ぴかぴか光るアレ、と思うでしょうが、スタジオで使うのは大きな電源部(ジェネレーター)と発光部(ヘッド)が分かれてて、ケーブルでつながってます。ジェネ一台にヘッド2~3灯つなげて、希望のF値になるよう、距離や出力を調整して使います。今は小さなモノブロックやLEDのライトもあって、それもバッテリー駆動だったりで、ほんとに選択肢が増えて便利な世の中です。 昔話になりますが、私が子供の頃は、閃光電球という電球のような形状のものを調理器具の

          写真の事。

          26歳で広告写真のスタジオに入り、30で独立。それから気が付けばもう35年余り経ちました。糊口をしのぐための仕事として「撮影」を選んだので作家的なことはやっていませんし、もちろん芸術家でもありません。狭い分野、建築、ファッションやブライダルなど、何かに特化してるわけでもありません。雑誌からはじめて、カタログ、広告や出版関係などのモノ、ヒトの撮影だけでこれまでなんとかやって来ました。 近頃は、同業者の廃業、転職、友達の死、自身の病気、いろいろあって考えることも多く、この先はぼち

          写真の事。