高梨ぽこ

2023年3月なかばより、note再開することにしました。仕事の一環で定期的に文章を書…

高梨ぽこ

2023年3月なかばより、note再開することにしました。仕事の一環で定期的に文章を書くことになりそうなので、早く書く練習をしたい。日々のことをなんでも、始めと終わりを作って切り出す、という習作。

マガジン

  • バイオリニストと万年筆

    小説。小説家志望の「私」と、左利きのバイオリニストである「彼」のおはなし。ドイツと日本で手紙の交換をはじめ、それぞれが抱える葛藤を少しだけ前進させるまでのこと。

  • スーパーかあちゃんへの道

    コロナ休業が明けて仕事が始まる。でもこのまま突入したら仕事と子育てに忙殺されてフラストレーションで死亡するわー。というわけで、なんとか時間をひねり出すための七転八倒。

最近の記事

デイヴィット・ホックニーの炎

朝、日曜美術館を見ていたらデイヴィットホックニーという人の特集をしていて、いい絵だなと思った。いい絵だなと思っていたらその人の絵はどんどん変化してしまって、ピカソのキュビズムみたいになっていって、それより端正な人物画の方が素敵だったのにと思った。けど、その人はひたすらに、絵画の中の世界と鑑賞者がいる現実の世界を結びつけたがっていて、そのために絵はどんどん変化していく。 つまり、その人にとって絵は思想で、形への執着はさほどないのだと思った。あんなにうまく描けるのに、それを封じて

    • 早速更新が滞ってしまいまして

      気づけば6月。 なかなか自分のパソコンを開く時間もなく、仕事と子供の世話と読書、それから人生を左右する様々の考え事がありまして(大袈裟ですが、大袈裟な話なのです・・・だがここでは割愛)、ひっさしぶりにnote開きました。 なんだかまだまだバタバタしており、きっとまた更新が滞りそうなのですが、すこしだけ読書の近況。多和田葉子三部作(「地球に散りばめられて」「星に仄めかされて」「太陽諸島」)を読んだあと、哲学に舵を切っております。 7月に読書会がありまして、それに向けてサルト

      • 多和田葉子『太陽諸島』の、男性描写

        渋く乾燥した動物性のにおい・・・! セクシーすぎて思わず抜き出してしもうた。 なんだこの香りの描写は。 多和田葉子の文章は、日本語のクセがなくて、わかりやすくてフラットなのだが、時折何とも比べようもないほどに官能的な時がある。

        • 多和田葉子『太陽諸島』

          間が空いてしまった。しばらく読書に没頭していました。 多和田葉子の連作長編三部作、 『地球にちりばめられて』 『星にほのめかされて』に続く、 『太陽諸島』!読みました。 このシリーズ、読んでいる間の多幸感がすごい。 こういう小説にたまに出会う。 物語の筋がどう、とか、登場人物のキャラクターがどう、とかいう以前に、その世界観の存在そのものや、一文ごとの言葉の使い方に打たれているのだと思う。 特にこの三番目の『太陽諸島』はひたすら船に乗っているだけの一冊だ。 なぜそんなことに

        デイヴィット・ホックニーの炎

        マガジン

        • バイオリニストと万年筆
          12本
        • スーパーかあちゃんへの道
          15本

        記事

          おばけを使って子どもをその気にさせる!(お風呂に入らない編)

          4歳の娘(仮名あーちゃん)に「おばけを使って、怒る以外の方法で動いてもらう」シリーズ第3回目です。 1回目、2回目はこちら↓ おばけを使って子どもをその気にさせる!(好きなものしか食べない編) おばけを使って子どもをその気にさせる!(保育園に行かない編) 今回は…お風呂です! お風呂といえば、1日も終わりに差し掛かり、あちらもこちらも疲れていて、あちらはぐずり、こちらはイライラしがちなミッションです。 もういっそ、「じゃあ入らなくていい!」と一喝して、本当にすっぽかして自

          おばけを使って子どもをその気にさせる!(お風呂に入らない編)

          おばけを使って子どもをその気にさせる!(保育園に行かない!編)

          前回よりプチシリーズ化した「おばけを使って、怒る以外の方法で子供を動かす」第二弾です。 第一弾はこちら↓ おばけを使って子どもをその気にさせる!(好きなものしか食べない編) 朝ごはんに続くつまづき第二段は保育園! 娘4歳、仮名あーちゃんが朝起きた瞬間に聞くことは、 「今日保育園おやすみ?」 行けば楽しそうにしていますが、行くまでがちょっとした困難! というわけで、今回もおばけに登場してもらいます。 「保育園やーだー」と、あーちゃん。 母は言います。 「そうだよね

          おばけを使って子どもをその気にさせる!(保育園に行かない!編)

          おばけを使って子どもをその気にさせる!(好きなものしか食べない編)

          うちの娘は今4歳ですが、ちょっとした反抗期というか、自我が強くなってきたところで、何をするにもとーーっっても時間がかかります。 基本的に、「こうしなさい」というニュアンスを出したもの全てにノーが返って来ますので、言い方、接し方にかなり気を遣っています。 叱り飛ばす、というのも一つの方法だと思うのですが、どうにも私の怒りは迫力に欠けるようで、いまひとつ効果が薄い…。 なので、他のあらゆる方法を日々模索中です。 その中で、おばけを使った方法が効果を発揮! プチシリーズ化で、

          おばけを使って子どもをその気にさせる!(好きなものしか食べない編)

          「一人称単数」村上春樹

          村上春樹の「一人称単数」を今更ながら読んだ。 いよいよ新作が出るというのにまだ本棚で眠っていたことを思い出し、開いてみることにした。 正直に言えば、多崎つくる以降、ちょっとした違和感のようなものがあって、それは小説自体の変化なのか私自身の変化なのかなんとも微妙なところだったのだけど、この本を読んでみると、「小説の変化のことはよくわからないけれど、少なくとも自分自身は変化している」と思えた。 この作品は、 胸が焼けるような、どうしようもないけれどどうしても捨てられない、人

          「一人称単数」村上春樹

          疎林広場

          仕事の休憩時間にあてもなく歩いていると、公園を見つけた。 何気なく立ち寄り案内地図を見ると、「こども広場」や「芝生広場」に混ざって、変わった名前の広場がある。 その名も「疎林広場」だ。 私はしばらくその場に立ち尽くして、この言葉の意味について考えてみた。 疎ましいと書いて「うとましい」、疎らと書いて「まばら」。 正確にはわからないにしても、疎林という言葉には、どことなく後ろ向きなイメージがつきまとうし、多分、きっとだけれど、木がまばらに生えた広場、と考えてしまっていいように

          疎林広場

          都会の美容院

          先日、故あって都会の美容院で髪の毛を切った。 入口が三つもある建物の、狭いエレベーターをようやく探し当てると、緑のキャップをかぶって黒いミニスカートを履いた学生らしい女の子が立っていた。小柄ですらりとしていて、ちょっと気怠げなところも様になっている。彼女もエレベーターに乗るようだ。 ディスタンスも取れないような小さな箱に押し込まれ、たどり着いたのは同じ階。この子も髪を切るのか。緑キャップのオシャレ女子になんとなく気圧されながら後ろに続き、いらっしゃいませ〜と間延びした声に

          都会の美容院

          食べ物しりとり

          子供がしりとりにはまっている。 4歳と言うと、ひらがなを覚え始める時期。 保育園でもしりとり遊びが始まったようだ。 ポケモンを集めるみたいに、「か」から始まる言葉が頭の中に日々採集されていくのが楽しいようで、あんまり普段出てこない言葉が出てくると、思わず唸る、みたいな渋い反応をするのが面白い。 もっといろんな語彙を増やしてやりたくて、食べものしりとりをやってみた。 使える言葉を制限することで普段とは違う思考回路を開き、頭の中の新しいところから掘り起こしていく作戦。 しかし

          食べ物しりとり

          労働の真似事

          「はい」 泡のまとわりついた合成樹脂が、パートナーから手渡される。 サンダルの底材のようなそれに、ポンプで噴射された泡がこんもり乗っている。 私はその泡を全体にまぶし、指でこすりながら洗っていく。 それは様々な色と形をしており、手の中にちょうど収まるサイズではあるが、穴が空いたり入江のように洗いづらい隙間があったりする。 きちんと隅々まで洗いたいが、一定のペースでこなさないと次の樹脂がやってきてしまう。 手早く全体を洗い上げすっと差し出すと、それがパートナーの左手で受け取

          労働の真似事

          トマトを食べたら。

          「皮って食べられないんだよね〜」 4歳の娘はそう言って、口からキュウリを出した。 そのあとトマトも口入れて、それから出した。確かにトマトにも皮はある。 そのあと咀嚼したジャガイモすらも吐き出したところで、私は大きくため息を吐いた。 そのくせ 「ぶどうパンもう一個食べていい?」 なんて言うので、 私は残されたトマトを頬張りながら「ダメ」と即座に言葉を投げ返す。 最初に用意されたものを、全部食べた人がおかわりできるんだよ? と保育園ルールを持ち出すと、私がトマトを平らげた頃に

          トマトを食べたら。

          縄文48と練習生たち

          先日お休みに、博物館へ縄文土器を見に行った。 夏にも別の縄文展を見に行っていて、その時は近隣の博物館や所蔵者からの選りすぐりを並べた展示だった。 言わばベスト版だ。 そして今回は一つの遺跡から発掘された土器や土偶を展示してある、その遺跡のすぐ隣に建てられた博物館。 これが、よかった。 接合できなかった欠片がショーケースにだーっと並んでいて、形にならない石片や土塊がたくさんあった。 その奥に大層なものが、壁際を囲うように君臨している。 そして、中でも一番形が派手で、地域

          縄文48と練習生たち

          また書いてみることにする

          とっても久しぶりにnoteを開いた。 気づけば一年もここでは書いていなくて、それがなぜだったのか、特に大それた理由はなかったと思うのだけど、読書会に出たり小説の公募に出したり、出したものが落ちたり、勤めていた本屋が閉店したり色々なことがあるにはあった。 この一年、小説はほとんど読んでおらず、人類学、歴史、哲学みたいなジャンルの本ばかり読んでいた気がする。 レヴィ=ストロース、サピエンス全史、(100分de名著だけど)資本論、諏訪大社や古代の神様についての本、河合隼雄のユング

          また書いてみることにする

          ポストヒューマニティーズとはなんぞや⑩

          前回はカンタン・メイヤスー。 今回はグレアム・ハーマンです。 ハーマンはハイデガーを中心に研究する、アメリカの哲学者。 ハーマンの相関主義の乗り越え方は、「オブジェクト指向哲学」と名付けられている方法。通称「OOP」と呼ばれたりしているらしい。 『現代思想2019年01月』の飯盛元章の寄稿文によれば、 オブジェクト指向哲学とは、個体的対象(オブジェクト)を究極の立場とみなす立場である。(中略)すべての対象を平等に哲学の出発点とみなそうというのが、オブジェクト指向哲学で

          ポストヒューマニティーズとはなんぞや⑩