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労働の真似事

「はい」
泡のまとわりついた合成樹脂が、パートナーから手渡される。
サンダルの底材のようなそれに、ポンプで噴射された泡がこんもり乗っている。
私はその泡を全体にまぶし、指でこすりながら洗っていく。

それは様々な色と形をしており、手の中にちょうど収まるサイズではあるが、穴が空いたり入江のように洗いづらい隙間があったりする。
きちんと隅々まで洗いたいが、一定のペースでこなさないと次の樹脂がやってきてしまう。

手早く全体を洗い上げすっと差し出すと、それがパートナーの左手で受け取られ、代わりにパートナーの右手から、新しい樹脂がやってくる。

パートナーの左手の樹脂はシャワーの中へ飛び込み、泡があっという間に流されていく。
私は受け取ったばかりの、泡の盛られた樹脂に再び指を這わせ、広げていく。
はい、はい、とリズムよく渡し合って、効率よく進めていく。
泡を盛る、それを手渡す、受け取り泡で洗う、手渡す、シャワーで流す・・・。

そうして、二人一組となって合成樹脂に泡をまぶして洗い流して行き、ちょっとした一山が仕上がった。

「終わった・・・」

私とパートナーは顔を見合わせ、思わずニンマリと笑ってハイタッチを交わす。

「で」
「ん?」
「そろそろお風呂入ろうか」

私は浴槽に浸かり、娘はそのすぐ外の洗い場に立っている。
なんでこうなったのかもはや始まりはわからないのだが、私たちはいつからかおもちゃ(お風呂の壁に貼ったり、湯に浮かべて遊べる、船や車をかたどったやつ)に泡をまぶして洗い流すという共同作業の労働に夢中になり、あろうことか達成感に打ちひしがれていたのだった・・・。

AIの発達で、世の中の半分くらいの仕事が奪われるなんて言われ始めたのはもう数年以上も前のことだったか。
しかしAIは、誰に頼まれたわけでもなく、賃金が発生するわけでもなく(どちらかと言えば泡と水の無駄遣い)、それでも無言でひたむきにその労働に取り組む我々の目的をどうやっても理解しないだろう。

その労働の効果は数値化しえないし、どれだけ先の未来にどのような効果をもたらすのか、あるいは何ももたらさないのか、試算することは不可能だ。

だからきっと、我々の労働の真似事は、これからもずっと残り続けるだろう。
AIが首を傾げようとも、私たちのハイタッチは輝かしい労働の証なのだ。


(執筆時間33分)

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