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この手の中に・・・ 今持ち合わせている " 最大限の愛情 " を精一杯に込めて。[第16週・6部 (80話前編) ]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回は第16週・「若き者たち」の特集記事の6部となり、今でもファンの心を掴んで離さない " あの80話 " の特集記事だ。当然、筆者も思い入れが強い放送回のため、今回も特集記事を前編・後編と分けることにした。それでこの特集記事は、80話の前半部から中盤部までを集中的に取り上げた内容となっている(冒頭~約11分ぐらいまで)。したがって終盤の約4分間と、第17週・81話「わたしたちに出来ること」のアバンタイトルまでを、次回の第16週・7部(80話・後編)の記事として公開する予定である。ご期待頂ければ幸いだ。ちなみに前回の特集記事となる、第16週・5部(79話)の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
さて、" 『おかえりモネ』と人生哲学 " というシリーズ記事を、当初はAmeba Blogで書き始めたのだが、その第一回目が2022年3月26日 (noteでの再編集版はこちらから) 。もう少しで3年が経過しようとしている・・・ まだ3年、いや、もう3年も経ってしまったか。
このシリーズ記事の企画意図は、『映像力学』などの制作手法の視点を中心に、ライティングやグレーディング(映像の階調・色調の補正)、MA(Multi Audio:音声編集ダビング)、そして出演俳優の演技などから、「セリフの文面やストーリー展開だけでは感じ取ることの出来ない、裏テーマやメタファ、登場人物の深層心理などの本質に迫っていこう」というものだった。
それで、このシリーズ記事を書き始めるキッカケになったのが 第15週・「百音と未知」と、この第16週・「若き者たち」、第19週・「島へ」という三つの週に、大きな感銘を受けたことだった( 単体の放送回では、第9週・「雨のち旅立ち」の45話 )。もっと言えば、「なんとしてでも・・・ 第16週・80話までは辿り着きたい」 これが約3年間にも及んだ、執筆のモチベーションと原動力だったのだ。そして80話まで、ようやく辿り着いた。筆者の感慨も一入だ。
実は第16週・80話の特集記事は、昨年の年末(2024年12月)には、一旦書き終えていた。しかしこの放送回への強い思い入れもあってか、その仕上がりに納得できず・・・ 。公開するかどうかギリギリまで悩んだが、「やはり納得できるものを公開したい」ということで一旦すべてをボツにして、一から書き直しした (まあ、既に過去記事でも何回もあった話だが・・・ 苦笑)。結局・・・ 相当な時間がかかってしまった。80話の特集記事を心待ちにされていた方々、公開が遅れてしまい申し訳ありませんでした。
それで、この80話のストーリーの核となるのは、やはり『汐見湯』のコインランドリーでの百音と菅波のシーンだろう。このシーンの舞台は狭く、登場人物の動作などの段取りや配置転換も少ない。したがって、今回の特集記事は、『映像力学』などの視点で捉えた分析・考察は少ない。また他の放送回と比較すれば、ライティングやグレーディング、MAなどにも象徴的な要素は少ないため、それらの要素から導き出した分析・考察も少ない特集記事となっている。
一方、この80話での注目すべきポイントは、セリフやストーリー構成、登場人物の表情や仕草、そして演じる俳優の表現力だ。特にこの放送回では、これらの部分に注目して分析・考察を行った。したがって、今回はセリフの意味合いやその本質を浮き彫りにするために、関連すると思われる過去の放送回でのセリフやエピソード、その伏線と回収などに多くの割合でフォーカスを当てつつ、分析・考察を行っている。
また、特にコインランドリーの約10分間のシーン(80話の約8分間 + 81話・アバンタイトルの約2分間も含む)では、登場人物の表情や仕草、そして演じる俳優の表現力をいかに見極めるのかもポイントだろう。そういうこともあって、コインランドリーのシーンでは、今回も『DTDA』という手法 ( 詳しくはこちら )を用いた。したがって、約10分間の全18,000フレームを" 1フレームごと " に観察して分析・考察したということになる。相当な時間を費やしたが・・・ 裏テーマやメタファ、登場人物の深層心理には、十二分に迫れたと思う。
付け加えるならば、今回のコインランドリーのシーンでは、実は前半と後半では " 描きたい事柄 " が異なっている。要するに前半と後半では、タームが切り替わるのだ。これをどのように文章に変換して表現するのか? 本記事の執筆では、このことに最も苦戦した部分でもあり、80話の特集記事を前・後編に分けた理由もそこにある。上手く文章で表現出来たのか・・・ 不安を残しつつも、それでも歯を食いしばって書いてみた。この部分にも、是非とも注目して読んで頂ければと思う。
さらに、この80話の演出を担当した梶原登城氏の発言や脚本を担当した安達奈緒子氏のインタビュー、菅波を演じる坂口健太郎氏のインタビューなども交えつつ、多角的な視点で分析・考察することで、この放送回の裏テーマやメタファ、登場人物の深層心理に迫っていく。この部分にも、是非とも注目して読んで頂けると幸いだ。
○「何もしてやれない」と思った時こそ・・・ 苦しむ人々にそっと寄り添うことで " 救いと生きる勇気 " を与えることができる
東京では、主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)と幼馴染の及川亮 (りょーちん 演・永瀬廉氏)、そして妹・未知 (みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)との間で、紆余曲折と波乱万丈のやり取りが行われている中・・・
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その時、宮城では 百音の登米時代の恩人である新田サヤカ (演・夏木マリ氏)が、故郷・亀島の祖父・龍己 (演・藤竜也氏)に電話をかけていた。なんでもサヤカは龍己に、牡蠣の発注と発送を依頼したかったそうだ。
要件を話し終えたサヤカは、電話口の雰囲気から祖父・龍己の疲労の色を感じ取り、『元気?』と声をかける。すると龍己は、このように語り出す。
『龍己 : 実を言いますとね・・・ 今日は、ちょっと疲れてる。』
『サヤカ : 何かありました? 』
『龍己 : 若い者たちがね、いろいろと苦しんでいて。』
『サヤカ : ええ・・・ 』
『龍己 : いや、若いって言っても、50ぐらいのもう若くねえ連中もいっけどさ。何だかねえ。』
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東日本大震災を経験した息子や娘世代はさることながら、孫世代までその苦しみに苛まれていることを、祖父・龍己はサヤカに語って聞かせる。
さてこの第16週のストーリー展開では、様々な属性における東日本大震災についての考え方や捉え方の差異、そしてそのコントラストを浮き彫りにしようとする狙いがある。
77話では、東日本大震災を体験した登場人物における " 世代間の考え方や捉え方の差異 " を、78話では " 東日本大震災を体験した若者たちと、非体験の若者たちとの考え方や捉え方の差異 " のコントラストを浮き彫りにしようとしていた。そしてこの80話では、主人公・百音の祖父・祖母世代の人々における、東日本大震災の考え方や捉え方にフォーカスを当てることで、" 震災体験者における世代間の考え方や捉え方の差異 " を浮き彫りにしようとしているわけだ。しかし、どのような属性であったとしても・・・ それぞれの共通の思いを、祖父・龍己の言葉が要約しているのだろう。
『龍己 : 「何にもしてやれねえなあ」と思ってさ。』
[ 震災の被害を目の前にして・・・ でも自分は子供で " 助ける力 " も無くて。あの時、何も出来なかった・・・ ]
[ 震災からの仲間たち復興を、手助け出来たはずなのに・・・ " 自分の力不足 " で。あの時、何も出来なかった・・・ ]
[ TVの画面で見る震災は、" 現実感 " が湧いて来なくて・・・ 呆然と見ているだけで。あの時、何も出来なかった・・・ ]
[ 震災からの復興に、苦悩する若い世代を目の前にして・・・ " 衰えた自分自身 " というものを突き付けられる。今現在となっては、何もしてやれない・・・ ]
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どのような属性であっても・・・多かれ少なかれ " サバイバーズギルトのような後悔 " を、誰もが抱えて生きているということなのだろう。このことに対してサヤカは、一つの考え方を提示する。
『サヤカ : あのね、龍己さん。』
『龍己 : え? 』
『サヤカ : 私たちが " やれること " なんて、あと一つぐらいですよ。最後まで " カッコよく " 生きてやりましょうよ。「敵わねえな」って、フフフ・・・ 思われるぐらい。そうしたら、子供たちも生きるの楽しくなるでしょう。』
『龍己 : ハハハハハ。いや~ 大した人だね。あんたは。』
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さてこのサヤカの考え方を、皆さんはどのように捉えましたか? 主人公・百音を筆頭に父・耕治も菅波も・・・ 人々が抱く、「人の役に立ちたい。人を救いたい」という思い。しかし志を持っていたとしても、自分一人が持っている能力は限定的であり、またその力も微々たるもので " 救えないという現実 " に打ちのめされる。
「人の役に立ちたい。人を救いたい」と志し、気象予報士の資格とスキルを身に付けても・・・ 「救える範囲は限定されている」という現実を突き付けられる百音。また人を救う最前線に立つ " 医師 " という資格とスキルを有する菅波でさえ、「救える範囲には限界がある」ということに苦悩する姿を今作では描く。しかしサヤカは、
[ 「何もしてやれない」と思った時こそ、苦しむ人々にそっと寄り添うことで・・・ " 救いと生きる勇気 " を与えることができるじゃないのか? ]
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と " サバイバーズギルトのような後悔 " に苛まれている人々に、訴えかけているようにも感じられる。さらに、
[ 若い世代の人々が、未来に希望が持てない時にこそ・・・ 我々のような人生経験の長い人間が、" 一生懸命にひたむきに生きる後ろ姿 " を率先して示すことで、" 希望の光 " も見せることが出来るんじゃないのか? ]
と訴えかけているようにも思えるのだ。この心意気はサヤカの仕草にも表れている。サヤカは、『私たちが " やれること " なんて、あと一つぐらいですよ』と語るまでは、目線が下がり俯き気味だ。
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しかし、『最後まで " カッコよく " 生きてやりましょうよ』と語る瞬間に、目線を上げて、グッと下手方向に視線を送る。
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『映像力学』的には( 詳しい理論はこちら )、下手方向には " 未来 " が存在していることになるため、サヤカの視線の先には・・・ " 未来への希望の光 " が広がっていることを表現しているのだろう。このような、
[ 何もしてやれない時にこそ、苦しむ人々にそっと寄り添う ]
[ " 一生懸命にひたむきに生きる後ろ姿 " を率先して示すことで、若い世代の人々にも " 希望の光 " を見せることが出来る ]
といった『サヤカ・イズム』は、今作制作の取材の中で東北の人々から学んだエッセンスなのか、それとも脚本家や制作陣たちが " 今作に込めた共通の願い " なのか。
いずれにしても、これらの『サヤカ・イズム』が・・・ この後のシーンでの百音や菅波の行動の選択は当然ながら、菅波の地域医療に専念する決断や、今後に百音が故郷・亀島に帰ることへの " 動機 " として繋がっていることを、事前に暗示する機能を持たせたシーンにもなっているわけだ。
第19週・「島へ」では、百音が東京を離れて故郷・亀島に帰る決断をするが、放送当時は「百音が帰郷する動機が、いまいち理解できない」という意見も散見した。第20週・「気象予報士に何ができる?」では、登場人物でさえ、帰郷の動機を百音に問う。
『市役所課長 : なんで、(東京から故郷に) 戻ってきちゃったの? 』
『百音 : え? 』
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[ 東京で成功してたのに・・・ それを放棄して、なぜ帰郷したの? その動機は? ]
市役所課長のセリフは、視聴者や登場人物の百音への疑問を代弁させているのだろう。しかし、
[ 「何もしてやれない」と思った時こそ・・・ 苦しむ人々にそっと寄り添いたい ]
この『サヤカ・イズム』が、百音の中で芽生えたからこそ、彼女は帰郷する決断したのだ。今作では、このようなサブリミナル効果のような " 巧みな伏線と回収 " が、ストーリーの構成と構造に奥行きを持たせ、その深い味わいが視聴者を魅了した要素の一つではないかと考えている。では、百音は結局のところ、「 " 誰に " 寄り添いたい」と思ったのだろうか? このことは、この後の菅波の生き方の選択や決断などが、百音自身の意識にも大きく影響を与えていくことになっていく。
○その朗らかな表情が " 隠し味 " のように・・・ ストーリーに影響を与えていく
一方の東京では、紆余曲折と波乱万丈もあって妹・未知と亮の間にしこりを残しつつも・・・ 何とか無事に、幼馴染たちを故郷へと送り出した百音。
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日付が変わると、百音には普段の日常が再び戻ってきた。彼女は早めに『JAPAN UNITED TELEVISION』に出社して、報道気象班のスタッフルームで準備をしていると、続々と報道気象班のスタッフたちも出社してきた。
『内田 : 早いね。』
『百音 : そうですか? いつもどおりですけど。』
『神野 : まあね。私生活順調だと仕事も、やる気出るよね。』
『百音 : ん? 』
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百音の恋愛事情が順調であることを知るスタッフたちは、彼女の仕事ぶりも張り切っているように見えるのだろう。
『神野 : ううん。ああ、データ。昨日、データ。菅波先生にもらったから。』
『百音 : すいません。メール来てたの気付いてなくて・・・ 』
『野坂 : ああ、いいの。あれ、週明けでもよかったから。』
『百音 : ああ、そうですか。よかった・・・ 』
『野坂 : 内田君。』
『内田 : いや、" 妄想 " とかはしてないですよ? 』
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その恋愛相手が、青年医師である菅波光太朗であることを昨日知ったメンバーたちは、百音に対していろいろと探りを入れてくる状況というところだろう。
さて、百音と野村明日美(スーちゃん 演・恒松祐里氏)とで、幼馴染たちを送り出したシーンと、報道気象班のスタッフルームでのやり取りのシーン。この二つのシーンを、皆さんはどのように捉えましたか?
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ストーリー構成で見てみると、この第16週は緊張感のあるシーンが満載であり、非常に重苦しい空気感が続く。短絡的に捉えれば、この報道気象班のスタッフルームのシーンに持たせた機能が、ストーリー構成における緩急の " 緩の部分 " に該当すると感じられることも当然だろうと思う。そこで、これらのシーンの本質を浮き彫りにするために、ストーリーの一連の流れをもう一度振り返ってみようと思う。
紆余曲折と波乱万丈があったものの、何とか妹・未知と亮を無事に送り出してホッと胸を撫で下ろしている中、百音には普段の日常が戻って来た。彼女自身の状況に目を向けると、中継キャスターのデビューを無事に果たし、その翌週の月曜日・・・ 仕事は順調そのもの。菅波との恋愛事情も順調で、百音は今まさに乗りに乗っている状況と言える。そのような中での、このやり取りだ。
『内田 : 早いね。』
『百音 : そうですか? いつもどおりですけど。』
『神野 : まあね。私生活順調だと仕事も、やる気出るよね。』
『百音 : ん? 』
百音のモチベーションが " 公私共々 " に最高潮まで高まっていることで、彼女がいつもよりも早く出社していたと、報道気象班のスタッフたちには見えているのだろう。しかもその際に、百音が浮かべた表情が・・・ " これ " だったのだ。
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快活で朗らかな表情の百音。他者から見れば、今まさに乗りに乗っている状況の人物にしか見えない。しかし・・・
『亮 : だって、怖えじゃん。死ぬほど好きで、大事なやつがいるとかさ。" その人 " 目の前から消えたら・・・ 自分が全部、ぶっ壊れる。そんなの怖えよ。』
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『未知 : お姉ちゃんは「正しいけど冷たい」よ。』
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[ りょーちんやみーちゃんから " 突き付けられた言葉 " が脳裏を巡って・・・ なかなか眠りにつけず、眠っても浅い眠りで。頭と気持ちを切り替えようと、いつもよりも早く出社した ]
この日の前日には、様々な問題と言葉を突き付けられた百音。このように早く出社した理由の一つには、彼女の人知れずの苦悩が要因だったことは言うまでもないだろう。ということは、幼馴染たちを送り出したシーンと報道気象班のスタッフルームのシーンで、「朗らかな表情の百音のカット」を入れた狙いとしては・・・
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様々な問題と言葉を突き付けられ、百音は心理的なダメージを負いつつも、一見するとそれほど深刻なダメージでもなかったように、視聴者に感じさせる。
しかし、この後の菅波とのコインランドリーのシーンでは、" 百音の抑え込んでいた感情 " が一気に爆発することで、「実はかなりの深刻な心理的ダメージを負っており、そのダメージを独りで抱え込んで、ひた隠しにしていた」ということを、際立たせるための構成だったのではなかろうか。要するに、これらの対比によって、百音と言う女性の " 健気さ " を浮き彫りにすることを、脚本家や制作側は狙っていたのではなかろうか。
そして、この「朗らかな表情の百音のカット」が " 隠し味 " のように、この後のストーリー展開でも、じわじわと効果を発揮してくるところが非常に興味深い。またこのような百音の健気さが、今作全体の感動や感慨深さにも一役買っているところが、特筆すべきところだろうと思う。
○「理性的なターム」と「衝動的なターム」の狭間の中で・・・ 二人の感情は揺れ動く
今日の仕事を終えて、『汐見湯』のコインランドリーで洗濯をする百音。妹・未知からは、菅波と撮った2ショット写真が送られてきて・・・ その写真を眺めつつ和む。
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このタイミングで、青年医師の菅波光太朗(演・坂口健太郎氏)がやって来て・・・ 驚きの表情を見せる百音。
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百音は、2ショット写真を眺めていたことを菅波に知られるのが気恥ずかしいのか・・・ 素早く隠した。
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さて、この一連の流れは、短絡的に考えると百音の気恥ずかしさから出た行動にも見える。しかし、この後のストーリー展開を見てみると、" この百音の行動 " が演出表現の上で、実は非常に重要な意味合いを持っていることが明らかになってくる。そのことについては、次回の『第16週・80話後編』の記事で詳しく述べたい。
それで、菅波との記念すべき初デートを、連絡もせずにすっぽかしてしまったことを詫びる百音。『もういいですよ』と語る菅波。何も持たない彼に、『先生。今日は洗濯じゃないですね・・・ 』と百音が問うと、このような答えが返ってくる。
『菅波 : あなたに会いに来たんですけど。』
『百音 : えっ。』
『菅波 : これでも動揺してるんですよ。昨日から。』
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と幼馴染の亮との関係性に、 " 動揺と嫉妬心 " を匂わせるような言葉を率直に語る菅波だが・・・ 彼の語った『動揺』には、実は別の意味合いがあった。この『動揺』についても、この後のストーリー展開において非常に重要な意味合いを持っていることが明らかになる。このことについては、この特集記事の中盤以降で詳しく述べたいと思う。
一方の百音は、菅波か語った『動揺』という言葉に、このような表情を浮かべる。
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[ " 昨日のりょーちんとの経緯 " について・・・ 先生が既に感づいているということなの? そのことに先生は・・・ 『動揺している』と言っているの? ]
と況やばかりの驚きの表情を、百音は浮かべているようにも感じられる。だからこそ、菅波が『座ってもいいですか?』と語り出すまで彼女は呆然とした状態であり、さらにその後の百音の仕草が、非常にぎこちないものであったことにも頷ける。
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さて、このシーンでの登場人物の配置や動作の段取りに、皆さんは違和感を感じませんでしたか? 筆者は初見の際に、かなりの違和感を感じたのだが・・・ 鋭い方々は既にお分かりでしょう。そうです!!! シーン冒頭から中盤まで(ずんだ餅を渡すまで)の段取りは、百音は一切立ち上がらずに " 常に座った状態 " で菅波に対応しているのだ。
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日常生活で考えると、例えば知人と遭遇した場合には立ちあがって挨拶したりするのが、通常の行動だろうと思われる。特に今回のシーンにおいては、前日に記念すべき初デートを連絡もせずにすっぽかしてしまって、申し訳なく思っている相手だ。百音の心情から鑑みれば、立ち上がって詫びるのが通常の行動だろう。しかしこのシーンでの百音は、" 座った状態 " で菅波に詫びを入れる・・・ なんとも不自然だ。
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この座位での謝罪は、ある意味、" 横柄な態度 " にも感じられて・・・ 筆者は、この行動が「健気な百音」という人物像に全く似合わないように感じたのだ。さらにこのカットをよく観てみると、百音が何度も立ち上がりそうになって、何度も我慢しているような様子が見て取れる。その不自然な段取りに、演じた清原果耶氏も " 感情の摺合せ " にかなり苦労したことが想像できる。
ではなぜ、このような不自然な段取りを演出家は採用したのだろうか? 理由は二つほど考えられる。その一つ目は『汐見湯』のコインランドリーという舞台自体の、圧倒的な空間の物理的な狭さだ。この第16週の演出を担当した梶原登城氏は、このように語っている。
『梶原登城 : この後のシーン (東京で再会後の百音と菅波のシーン) の全てが、「コインランドリーになったらどうしょうかな?」と思ってました。もの凄く撮りにくいんですよ・・・ 撮影としては。本当に6畳も無いんですよ。本当に一角しかないので。だからカメラを4~5台並べて、それで照明とかマイクとか入ってくると、演者がセット入りするのにも大変になるような、狭い場所なんです。』
『梶原登城 : (コインランドリーのシーンは) 何度も何度も撮影しているので、映像も似たようなものになってくるじゃないですか。だから、あの手この手で。あっち撮ったりこっち撮ったり。』
このようにコインランドリーでの撮影は、圧倒的な空間の物理的な狭さによって、そもそもの構図の選択肢が非常に少ない。また空間の物理的な狭さから、登場人物を大きく移動させる演技も難しい。しかもこのシーンは、約8分間の長尺でもある (80話のみ) 。この長いシーンを視聴者に飽きさせずに見せるためにも、構図のバリエーションとその選択肢はなるべく残しておきたいところだろう。しかし、下の画像のような演者の配置で俯瞰の構図を撮影した場合では、もしも百音がこのままで立ち上がってしまうと・・・
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「ごちゃっ」とした " 窮屈で野暮ったい映像 " となってしまうことは想像に難くない。要するに、俯瞰の構図のカットが用い難くなることを回避するために、演じる清原氏に " 座位の演技 " を指示した可能性は高い。
また二つ目としては、" 登場人物の主導権とそのターム " を表現しているのではないかと考えている。要するに、百音が座位状態の前半部では、「菅波が主導権を握り、彼の理性的でロジカルな思考が発揮されるターム」という区切りを、映像で表現する狙いがあるように感じられる。
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一方で、百音が立ち上がった後半部に入ると、「百音が主導権を握り、彼女の衝動的で熱情が迸るターム」へと切替わったということを、映像で表現する狙いがあるように感じられるのだ。
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要するに、「理性的なターム」と「衝動的なターム」を映像として区切って見せることで、" その狭間の中 " での菅波と百音の心の揺れ動きと感情の高ぶりをより一層際立たせて、浮き彫りにすることを狙っていたのではなかろうか。そして、この百音を座位から立位へと変化させる段取りには、構図の選択肢を残すということよりも、タームの切り替わりを視聴者に意識づけすることの方が、演出上の狙いとしては大きな要素だったのではないかと、筆者は推察している。
そして、このタームの切り替わりを念頭に置きつつ、このシーンを視聴すれば、前半の「理性的なターム」と後半の「衝動的なターム」での表現したいことの意味合いの差異と 、" 表現したい本質 " がクッキリと浮き彫りになってくる。ぜひともこの部分に注目しつつ、80話のコインランドリーのシーンを再度鑑賞して頂けると、その世界観がより堪能できると思うのだ。
○彼は " 彼女の心の痛みと苦しみ " を疑似的に体感したことで・・・ さらに " その本質 " へと迫ろうとする
座って落ち着いて話が出来る状況になっても・・・ 何も語り出さない菅波に『先生? 』と話を促す百音。彼はこのように語る。
『菅波 : すいません。どう言えばいいか、考えてて。』
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[ " りょーちんと私の関係性 " について・・・ 先生は聞き出そうとしているの? ]
この菅波の言葉に、百音の脳裏にはますます「昨日の亮との光景」が、脳裏を駆け巡っているような表情にも感じられる。すると・・・ 菅波から意外な言葉が飛び出てくる。
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