" 純粋な利他主義 " が、若き者たちを縛り付け・・・ " 自由で明るい未来を思い描く " ことさえ妨げる [第12週・2部]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回は第12週・「あなたのおかげで」の特集記事の2部ということになる。ちなみに、第12週・1部の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
それで今回の記事は、基本的には第12週の中盤部となる、57話後半~59話前半を集中的に取り上げた記事となっている。またこの記事内容と関連が深い、他の週のエピソードについても取り上げた構成ともなっている。
この記事を執筆するのにあたっては、『DTDA』という筆者が提唱する手法 ( 詳しくはこちら ) を用いて、そこから浮き彫りになった『映像力学』などを含めた制作手法・要素から表現されている世界観を分析・考察していく。さらに筆者の感想を交えながら、この作品の深層に迫っていきたい。
今回の特集記事は2万字を越えた長文となってしまったので、枕詞はこのくらいにして、早速本題に入りたいと思う。
○姉に対する " よかったね " という感情と、自分自身に対する " 焦りと迷い " という感情が交差して・・・ ますます彼女を混乱させていく
観測史上前例のない台風が東北地方に直撃したが、何とかそれも一過した。主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)の、非常に詳細で具体的な情報と且つ的確な指示もあってか、故郷・亀島にも大きな被害もなく、ホッと胸を撫で下ろす彼女。そしてまた日常が戻ってきた。
朝の報道番組・『あさキラッ』で百音とバディを組む、中継キャスターの神野マリアンナ莉子(演・今田美桜氏)は、放送終了後に屋上で転んだらしく、全身泥だらけの状態に。その不機嫌さを周囲にまき散らす。
百音は、神野に機嫌を直してもらおうと『汐見湯』へと連れて行き、銭湯に入ってもらうことにする。オーナーである井上菜津(演・マイコ氏)も、毎日テレビで見かける神野の登場ということもあって、大歓迎で迎える。
菜津の自慢の手料理も振る舞われ、" 昼風呂・昼飲み " でようやく神野の機嫌も直って、むしろご機嫌に。そこに百音の幼馴染である、野村明日美(スーちゃん 演・恒松祐里氏)も勤務を終えて帰ってくる。
やはりテレビで見かける神野の姿に、大興奮の明日美。その時、百音のスマートフォンに、実家の母・亜哉子(演・鈴木京香氏)から電話がかかってくる。台風の件で、本当は百音に感謝の意を伝えたい祖父・龍己(演・藤竜也氏)だったが、照れもあってかなかなか電話が出来なかったらしい。父・耕治(演・内野聖陽氏)も間を取り持って、龍己と電話を換わる。
祖父・龍己が、このように百音に語りかける。
さてこのシーンの特筆すべきは、百音は龍己との会話の中で、『うん 』と『ううん 』の二つの言葉しか発語しないところだ。彼女の感情は、発語のニュアンスと表情の微妙な変化だけで、完璧に表現されている。この辺も " 俳優・清原果耶 " の演技の真骨頂を、十二分に堪能できるシーンだと思う。
そしてこのシーンのカット割りも、非常にシンプルに構成されているところも特徴的だ。前回の第12週・1部の特集記事でも書いたように、このシーンも電話でのやり取りということもあって、" カットバック法 " を用いている。
通常では、離れた電話先の相手との会話が成立しているように印象付けるために " イマジナリーライン(想定線) " を意識して、登場人物が対面しているように見せるようなカメラ位置と方向で撮影されることが、基本的なセオリーとなっている。
しかしこのシーンでは " 56話の菅波とのシーン " と同様に、スタンダードなカットバック法は用いられていない。ジャンプカットのような要素を嫌ってか " 30度ルール " でカメラの角度を少しずつ変えてはいるものの、百音も龍己も基本的には " 正面のカット " で構成されている。
なぜ、この電話のシーンではスタンダードなカットバック法を用いていないかというと・・・ この百音のカットの直後に入る " この映像 " を強調したかったことが要因だと考えられる。
百音と龍己の電話のやり取りを、上手方向に向きながら、うつむき加減で聞いている妹・未知 (みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)。そして、龍己・耕治・亜哉子の三人とは少し離れている位置取りだ。そして電話口の向こう側には、姉・百音もいるということで " 家族4人の輪 " から少し外れて、疎外感を感じさせるような映像になっているところも象徴的だろう。まるで " このシーン " と対極に感じさせる。
未知は亀島に残り、水産業に関連した仕事に就くことで、祖父・龍己の役に立ちたい・・・ ゆくゆくは永浦家を背負って立ちたいと、一人で奮闘してきたわけだ。亀島を逃げるように出て行った、姉・百音に対する感情は、
[ お姉ちゃんが島を出て行ってしまった今、永浦家と故郷の未来を作っていくのは・・・ 私だ。]
という思いと同時に、そのような自負もあったのだろう。しかし・・・ 実際は東京に居ても、水産業に携わっていなくても、姉・百音は永浦家や故郷・亀島に対して貢献できた。" その事実 " を突き付けられた未知は、" 焦りや迷い " のような感情が顔を出す。その感情を上手方向に向きながら、うつむき加減のカットで、映像として表現しているわけだ。
『映像力学』的には( 詳しい理論はこちら )、登場人物が上手方向を向いているということは、" ネガティブ思考 " というものを表現しているため、未知の " 焦りや迷い " のような感情が、この瞬間に沸き起こっていることは間違いなかろう。
しかし・・・ この後に未知は、このような所作をするのだ。
電話口の方に振り返って、微笑む未知。これは妹として素直に、
[ お姉ちゃん・・・ よかったね・・・ ]
という感情も、同時に抱いているということを表現している所作だと思う。当然、未知は百音の " この思い " を知っているからだ。
そして次に、電話が父・耕治に換わった時、この映像が間髪入れずに入ってくる。
上手方向に向きつつ、表情が捉えられていないカットから、間髪入れずに百音の表情をしっかりと捉えている正面のカットへと切り替わる。
登場人物が上手方向を向いているということは、" 故郷に思いを馳せている " ということを表現しているが、その時のカットでは百音の表情が見えない映像になっている。したがって、焦らされた視聴者は " この時にどのような表情をしているのか " といった欲求が高まったところに、即座に百音の表情を十二分に捉えた、正面のカットへと切り替えるところがさすがだ。ディレクションを務めた、一木正恵氏の巧みなカット割りが光る。
そして焦らされた後に、喜びをしみじみ噛みしめる百音の表情のクローズアップの映像に・・・ 視聴者は思わずグッときてしまうだろう。
そして、耕治のこの言葉が続く。
この耕治の言葉を・・・ " この表情 " で聞いている未知。
再び上手方向に向き直り、やはりうつむき加減で家族の談笑を聞く未知。その沈んだ表情が、非常に象徴的だろう。
姉・百音に対する " よかったね " という感情と、自分自身に対する " 焦りや迷い " という感情が入り混じっていくことで・・・ 今後、ますます未知自身を混乱させることへとつながっていくのだ。
○" あの日 " から・・・ 百音が " 長年に渡って追い求めてきたこと " が一つ結実した
実家からの電話を終えた百音は、団らんの輪に戻ってくる。明日美からこのように問われる。
すると、今まで幼馴染の明日美にさえ隠していた " この思い " が・・・ 思わず百音の口から零れ落ちる。
おそらく百音は、たとえ幼馴染であったとしても " その秘めた思い " を今まで語ることはなかったのだろう。しかし明日美は・・・ 薄々気づいていた。
" あの日 " から・・・ 百音と明日美たちとの間には " 一緒には共有できない巨大な何か " が生まれ、それによって隔たれてしまっているのだ。
" そのこと " に薄々気づいていた明日美は、百音にこのように語りかける。
しかし、明日美の問いかけには何も答えず・・・ 微笑み返すだけの百音だった。
肯定も否定もしない反応に、明日美は百音が長年抱えていた " サバイバーズギルトのような後悔 " と " ある秘めた思い " の核心に触れたことを感じ取る。
" あの日 " から・・・ 百音が " 長年に渡って追い求めてきたこと " が一つ結実し、そこはかとない充実感に満たされているような表情にも感じられる。
○ " 純粋な利他主義 " の背後に隠れる " 人間の欲望 " を・・・ 彼女は真正面から突きつける
百音と明日美のやり取りと、その様子を窺っていた神野は、このような言葉を百音に投げかける。
この神野の問いかけに・・・ ハッとさせられた表情を浮かべる百音。それと同時に満たされていた充実感は、簡単に吹き飛んでしまったようだった。
そして百音が " 長年に渡って追い求めてきたこと " を、そこはかとなく感じ取っていた明日美と菜津も、思ってもみなかった " 辛辣な言葉 " を突き付ける神野に対して驚きの表情を隠せず・・・ その場の空気が凍る。
さらに神野は、このように続ける。
さて、この神野のロジックというか哲学は、皆さんはどのように感じましたか? 筆者は初見の時は「百音が " 長年に渡って追い求めてきたこと " が一つ結実した、このタイミングに・・・ あえてこのような言葉を突き付けなくてもいいのに・・・」と正直思ってしまった(苦笑)。まあ、明日美と菜津の表情も、そのことを如実に物語っていると思う。
このシーンでは、この作品における一つのカタルシスを迎えたと思いきや・・・・実際の世の中は、そんな簡単には問題を決着させてはくれない・・・ 安達奈緒子氏が手掛ける作品は、他の作品群も含めて、そのようなストーリー展開とメッセージが込められているように感じられるわけだ。
それで以前にも指摘した通り、この作品ではどの編であっても、必ず百音に対するカウンター的な存在が設定されている。この東京編では百音のカウンター的な存在が、神野ということになるわけだ。
それで、なぜ神野はこのタイミングで、百音に " このような辛辣な言葉 " を突き付けたのだろうか。やはり酒が入っていることが、一つの要因にあげられると思う。
神野は、仕事の場(休憩中を除く)においては、あまりネガティブな発言はしない人物像だ。例えば " アンダーパスでの水没事故 " で朝岡と意見が対立し、百音がフラストレーションの表情を垣間見せた際には、
と声をかけた。その一方で、このエピソード以降、百音の考え方や哲学・・・ 特に " 防災・減災意識 " が異常に高いことに、神野は常々 " その違和感 " を感じ続けてきたわけだ。
しかし、勤務後の酒が入った状態ということもあって、気が緩んで・・・ 神野が感じてきた " その違和感 " を、思わず真正面から百音に突き付けてしまったというところだろう。そして、
『ただ私は "自分が人に認められたい " とか " 有名になりたい " とか。そういう欲求のほうがシンプルだし、" ウソがない " って気がするだけ』
といったような、要するに「 "人の役に立ちたい " という言葉は " 偽善 " のように聞こえる」と言わんばかりのことを、神野は百音に真正面から突き付けている。もっと言えば哲学で言うところの、自分自身の幸福・利益よりも、他者の幸福・利益を優先するといった " 純粋な利他主義(愛他主義) " は成立するわけがないということを、神野の言葉を通して視聴者にも提示しているわけだ。
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