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オレンジ色に染まる " 艶やかな姉 " の背後には・・・" 東京の象徴 " がそびえ立っていた [第15週・5部 (75話後編)]

[○放映開始3周年記念 期間限定・完全公開記事 ]

若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。

今回は第15週・「百音と未知」の特集記事の5部(75話後編)ということになる。ちなみにこの前の特集記事となる、第15週・4部(75話前編)の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。

さてこの第15週・5部の記事は、75話の残り3分間を取り上げたものとなっているのだが、この " 3分間の中 " に筆者がこの作品に虜になった「全てのエッセンスが詰まっている」と言っても過言ではない。

放送開始からちょうど3周年を迎えるこのタイミングで、75話の残り3分間の記事を公開できるとは・・・ 2年間書き続けてきた甲斐があった!! もう既に感無量だ!! したがって、思いが強すぎて・・・ 3万1千字を超える記事になってしまった(苦笑)。

この75話の残り3分間は、百音と妹・未知とのやり取りのワンシーンだ。しかも就寝中のシーンでもあり、登場人物は寝具の上で " 半身を起こした状態 " での演技となるため、配置の移動や大きな所作を伴った感情表現は最小限となっている (最後尾は激しい配置の移動や大きな所作もあるが)。したがってカメラワークやカット割りも、かなり限定された " 制約のある撮影環境 " となるため、今回の記事では『映像力学』的な分析・考察は非常に少ない。

一方、75話の残り3分間には、5,400フレーム(コマ)が収録されている。筆者はこの記事を書くにあたって、3分間の5,400フレームの全てを " 1フレームごと " に観察して分析と考察を重ねた。

もっと言えば、前回の第15週・4部(75話前編)の記事も、1フレームごとに観察して分析と考察している。したがって75話の15分間の全27,000フレームを、1フレームごとに観察したことになる。要するに、筆者の提唱する『ドラマツルギー・タイムデリバティブ・アプローチ ( Dramaturgie Time Derivative Approach : DTDA) 』を正に最大限に駆使して、特に登場人物の心情や演者の心情を、その仕草や表情から読み解こうと試みたわけだ。

また後半の章 ( ○彼女たちや彼らの " 成長のドキュメンタリー " を見守っている感覚が・・・ 独特の没入感と魅力へと繋がっていく )では、この作品の " 最大の魅力 " について、主演の清原氏や共演者のインタビューなども踏まえて、筆者なりの考察と解釈を書き記している。この章は、『おかえりモネ』・ファンだけではなく、" 清原果耶ファン " にぜひとも読んで頂きたい。

では長文のため、前置きは程々にして・・・ 早速始めたいと思う。




○プロローグ(前回の記事の振り返り)


この章は前回記事の振り返りのため、前回の第15週・4部 (75話前編)の記事を既にご覧になった方々は、この章は読み飛ばして頂きたい。

主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)の故郷・亀島の幼馴染・及川亮 (りょーちん 演・永瀬廉氏)が失踪した。その経緯を、百音の母・亜哉子(演・鈴木京香氏)から聞かされる永浦姉妹。

亮に思いを寄せる妹・未知(みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)は、混乱して急いで電話で連絡を取ろうとするも・・・ 彼は出ず。妹・未知に急かされた百音が電話をすると・・・ 亮が電話に出る。彼はこのように語る。


『亮 : モネさあ、どう思う? 』

『百音 : 何が? 』

『亮 : 俺、もう、全部やめてもいいかな。』

『百音 : ・・・ 』

『亮 : 俺・・・ もう全部やめてえわ。』

第15週・75話より


*妹・未知がかけた電話には出なかった亮。しかし百音がかけた電話には出て、『俺・・・ もう全部やめてえわ』と珍しく弱音がこぼれる。彼女は戸惑いを隠せない [第15週・75話より]


と普段はめったに弱音を吐かない亮が、百音に " 自分の本音 " をさらけ出す。初めて露見した " 亮の弱さ " を目の当たりにして・・・


*『俺・・・ もう全部やめてえわ』と " 亮の弱さ " を、初めて目の当たりにする妹・未知。この時の彼女は、この後に亮から語られる " 次に続く言葉 " を予測し、そして既に " 覚悟している " ような表情にも感じられる [第15週・75話より]


妹・未知は、この後に亮から語られる " 次に続く言葉 " を予測し、そして既に " 覚悟している " ような表情を浮かべる。そして、


『亮 : ごめん。俺、やっぱ・・・ モネしか言える相手いない。

第15週・75話より


*『ごめん。俺、やっぱ・・・ モネしか言える相手いない』と言った瞬間に・・・ 亮が前日に固めた " 百音との決別の意志 " は崩壊して、「こんな時の " 俺の心の支え " は・・・ 結局のところモネしかいなかった 」、「 自分にとって " 最も大切な存在 " は・・・ やはりモネだった」という思いが溢れ出る [第15週・75話より]


百音の声を聞いた瞬間に、ホッとする気持ちと同時に、直前まで抱いていた " 百音との決別の意志 " が完全に崩壊して、


[ こんな時の " 俺の心の支え " は・・・ 結局のところモネしかいなかった ]

[ 自分にとって " 最も大切な存在 " は・・・ やはりモネだった ]


とギリギリのところまで押し止めていた " 亮の本音 " が、とうとう溢れ出た。亮の気持ちが " 自分の方へと向かっている " ことに驚くものの、


『百音 : りょーちん。』

第15週・75話より


*『りょーちん』と呟く瞬間のクローズアップ・ショットでは、今までに見たこともないような " 艶めかしいほどの女性の色気を醸し出す百音 " を感じさせる。清原氏の表情と声色の妖艶な雰囲気も当然ながら、 " 暖色系の色味 " のライトによって、顔が薄らオレンジ色に染まる " 血色の良い顔色の百音 " が、その妖艶さを増幅させている [第15週・75話より]


とハンズフリーモードで会話の一部始終を、妹・未知が目の前で聞いていることさえも忘れて・・・ " 女の性 " と " 艶めかしいほどの女性の色気 " を思わず醸し出してしまう百音だった。



○彼や彼女が逃れたかったのは・・・ 責任感やそのプレッシャーから生まれる " 息苦しさ " だった


その後に『悪い。また連絡する』と言い残し、突然電話を切った亮。呆然とスマートフォンを見つめる百音だったが、すぐに我に返って、


『百音 : まだ港にいんなら、漁協の誰か知り合いに捜してもらえるかも。』

第15週・75話より


*『悪い。また連絡する』と言い残し、突然電話を切った亮。呆然とスマートフォンを見つめる百音だったが、すぐに我に返って、『まだ港にいんなら、漁協の誰か知り合いに捜してもらえるかも』と語るが、妹・未知とは目を合わせることが出来ない [第15週・75話より]


と語るが、妹・未知とは目を合わせることが出来ない。気まずい空気が流れる中、まくしたてるが如く、


『百音 : おじいちゃんに言えば・・・ みーちゃんも、お母さんに電話して。みーちゃん、だいじょう・・・ 』

第15週・75話より


と声を震わせながら語りつつも " 動揺する心 " を、何とか必死に取り繕うとするが・・・百音の手を強く払い、完全拒否の妹・未知。これまでに見たこともないような強い態度に、百音は驚きの表情を浮かべる。


*声を震わせながらも " 動揺する心 " を、何とか必死に取り繕うとする百音。『みーちゃん、だいじょう・・・ 』と言いかけたところで、妹・未知に手を払われて完全拒否される。これまで見たこともないような妹の強い態度に、百音は驚きの表情を浮かべる [第15週・75話より]


そして妹・未知は、


『未知 : 何で・・・ りょーちん、ずっと頑張ってきたじゃん。高校卒業して、すぐ漁師になって。新次さんの代わりに、ずっとずっと頑張ってきたじゃん! 』

第15週・75話より


*『何で・・・ りょーちん、ずっと頑張ってきたじゃん。』と妹・未知は、姉・百音にやり場のない怒りをぶつける [第15週・75話より]


と感情を爆発させる。妹・未知の態度に驚いていた百音も、引き締まった凛とした表情に一変し、頷きつつ姉として真摯に受け止める。


*妹・未知の態度に驚いていた百音も、引き締まった凛とした表情に一変する。そして、妹のやり場のない怒りを、姉として真摯に受け止める [第15週・75話より]


さらに妹・未知の感情の爆発は続く。


『未知 : なのに、何で・・・ 何でいつまでも、しんどい思いしなきゃなんないの。ちょっと良くなると、また何かあって傷つけられる。』

『未知 : もう、気持ちボロボロだよ。逃げたいんだよ。本当は。でも逃げらんないじゃん! だって・・・ だって、誰かが残んなきゃ!

第15週・75話より


* " その気持ち " を汲み取り、傍で支えようとしてきた妹・未知は、『逃げたいんだよ。本当は。でも逃げらんないじゃん! 』と、 " 亮の思い " を代弁する [第15週・75話より]


さて、亮の " その気持ち " を汲み取り、傍で彼を支えようとしてきた妹・未知。最初の方の言葉は " これまでの亮の思い " を、彼女が代弁しようとしているのだろう。しかし、『逃げたいんだよ。本当は。でも逃げらんないじゃん! だって・・・ だって、誰かが残んなきゃ! 』という言葉ぐらいからは、妹・未知がこれまでに " 心の中に鬱積していたもの " が留めなく溢れ出して・・・ そして、『だって、誰かが残んなきゃ! 』というところでは、完全に百音の目を見て強く言い切っている。


*『だって、誰かが残んなきゃ! 』という言葉では、対面の百音の目を見て、強く言い切る妹・未知。" 心の中に鬱積していた姉・百音への思い " が、留めなく溢れ出していることが分る [第15週・75話より]


そして今度は、


『未知 : 残んなきゃ・・・ 』

第15週・75話より


*二回目の『残んなきゃ・・・ 』では、百音からは視線を外して、自分に対して言い聞かせているように語る妹・未知 [第15週・75話より]


と妹・未知が、自分に対して言い聞かせているように語る。では、" 彼女が逃れたかったモノ " とは一体何なのだろうか。

東日本大震災時に感じた " サバイバーズギルト " と、それに関連した後ろめたさだろうか? あるいは被災地域の若手の一員として、復興を担う責任感とそれに伴う大人たちや地域住民からの期待なのだろうか? 今作のチーフ演出を担当した、一木正恵氏の言葉にヒントがあると思う。


企画の原点に、宮城県のとある中学校の生徒が、避難所となった体育館で、卒業式の答辞を読み上げている映像があります。

涙を流しながら、「自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました」と語り、「見守っていてください、必ずよき社会人になります」と決意と覚悟を宣言していました。深く感動すると共に、苦しくもなりました。

この子たちは、私たちがそうであったように、間違ったり回り道したり、くだらないことに必死になる自由があるだろうかと。
あなたたちはどこで何になってもいいのだ、それをどうか忘れないでと願わずにいられませんでした。

○『私の "人生をかけた一作" 「おかえりモネ」を振り返ってみました (チーフ演出・一木正恵氏) 』より


今作では " 復興 " というセリフが、全くと言っていいほど出て来ない。この " 復興 " という言葉に、プレッシャーや息苦しさを感じる被災地域の人は少なくなく、なるべく " 復興 " という言葉を使いたくないと語る人も多いと聞く。今作はその部分に配慮を払ったため、脚本に " 復興 " というセリフを用いなかった可能性は高い。

そうなのだ。東日本大震災の被災地域の人々は、 " あの日 " から " 復興 " というものを、否が応でも背負わされてしまった・・・ 亮や未知が逃れたかったモノとは、その責任感やプレッシャーから生まれる " 息苦しさ " だったのではなかろうか。

その一方で、故郷・亀島から逃げ出し " 煌く東京という街 " で生活を謳歌する、姉・百音の姿を目の当たりにして、


『未知 : 逃げたいんだよ。本当は。でも逃げらんないじゃん! だって・・・ だって、誰かが残んなきゃ! 』

第15週・75話より


[ りょーちんさんも私も " あの日 " のことに囚われ、また島の復興と未来を背負わされて・・・ 逃げたくても逃げられないのに。 それから逃げたお姉ちゃんは、東京での生活を謳歌し、 " あの日 " のことを過去のものにして・・・ りょーちんさんと私を置き去りにしたまま " 新しい日常 " へと踏み出していくんだ ]


と百音を含めた、故郷・亀島から逃げていった人々に対して・・・ " そのこと " を鋭く突き付けたかったのだろう。それに気づいて、


『百音 : ごめん。』

第15週・75話より


*被災地域の若手の一員として、復興を担う責任感やそのプレッシャーから生まれる " 息苦しさ " から、『逃げたいんだよ。でも逃げらんないじゃん! 』と、亮や自分自身の思いを鋭く突き付ける妹・未知。" それ " から逃げた百音は、ショックを受けつつも・・・ 『ごめん』と謝るしかない百音 [第15週・75話より]


とショックを受けつつも、謝るしかない百音だったのだ。



○気づいていたのに " 気づかないフリ " をして・・・ ずるいよ。



妹・未知は " あの一件 " で、思わず溢した言葉を・・・ もう一度、百音に突き付ける。


『未知 : 謝んないでよ。ずるいよ。

第15週・75話より


* " 父・新次の立ち直りの兆し " を息子の亮は、近くで寄り添い支えた幼馴染の未知 (みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)には知らせずに・・・ 姉・百音には直接知らせる。その事実を知った未知は『お姉ちゃん、ずるい』と、思わずその感情をぶつけてしまう。この時と同じ「ずるい」という言葉を、再び百音に突き付ける [上 : 第15週・75話 下 : 第12週・59話「あなたのおかげで」より]


さて、妹・未知が百音に突き付けた、『ずるいよ』という言葉を短絡的に捉えると、「お姉ちゃんは故郷・亀島に漂う " 息苦しさ " から逃げたのに、仕事も恋愛も順風満帆。島に残った私が到底手に入れられないモノを、全て手に入れるなんて・・・ ずるいよ」とも聞こえてくる。しかし筆者には、 " 他の意味合い " が込められているとも感じられる。その一つとしては、「お姉ちゃんは故郷・亀島から " 自分本位 " で出て行ったのに・・・ なぜ " 勝手気ままな行動 " に見えないの? そんなの・・・ ずるいよ」といった意味合いだ。

この第15週と翌週の第16週での妹・未知の様々な言動は、放映当時は「やり過ぎ」や「わがまま」と感じた視聴者も多かったそうだ。これは主人公の百音の視点で捉えて、感情移入している人々に多かったのではなかろうか。しかし妹・未知の視点で見れば、自分本位の感情で島から離れた姉・百音は、" 勝手気ままな行動 " に映るにも関わらず、家族や周辺の人々にはそのようには映っていない。そのような妹・未知が " 損な役回り " となっているフラストレーションもあってか、『ずるいよ』と百音に突き付けた可能性は高い。そしてもう一つ考えられるのは、


[ 昔から、りょーちんさんの気持ちが、お姉ちゃんへと向かっていたことを・・・ 気づかないわけがない。お姉ちゃんは気づいていたにも関わらず、" 気づかないフリ " をして誤魔化していたんじゃないの? そんなの " りょーちんさんに対して " も・・・ ずるいよ ]


といった意味合いだ。この妹・未知の心情は、73話で菅波への告白を迫った際に、完全拒否の百音に対して『ダメだよ』と、キッパリ言い切った明日美の心情と近似しているとも考えられる。


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*菅波への告白を迫る明日美に、『え?! いや、伝えるつもりなんてないよ』とキッパリと言い切る百音。これに対して明日美も、『 ダメだよ』とキッパリと言い切る。その表情や語り口には、珍しく、" 百音を冷たく突き放した " ような口調だ。「モネ・・・ 先生の好意が、あなたへと向いていることを既に知っている。 " あの宣言 " が、あなたへと向けた愛の告白であることも重々分っている。それにも関わらず・・・ 「関係性を壊したくない」というだけで、あなたはそれから逃げ回るの? モネ・・・ あなたはずるいよ」と、明日美は突き付けているようにも感じられる [第15週・73話より]


これまでの百音と亮の関係性は、亮が淡い恋心を抱きつつも、百音の方は全く気づいていないという描かれ方だ。演じる清原氏は、このように語っている。


『清原果耶 : 大前提として「モネは " 恋愛軸 " でやっばり生きて来ていない」ということがあるんですけど。』

○『あさイチ』・2021年10月19日放送より


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*百音という人物の人生の価値観は、「恋愛を軸として生きていない」と語る清原氏 [『あさイチ』・2021年10月19日放送より ]


百音の価値観は、恋愛に対しての優先順位が低いために、これまで亮の気持ちには全く気づかなかったのか・・・ しかし " この関係性 " の中で、果たしてこのようなことが成立するのだろうか?

もしかすると、" 明日美や妹・未知の抱く亮への好意 " を知っていたからこそ、それぞれの関係性を壊さないように、「亮の気持ちに気づいていたが・・・ " 気づかないフリ " をして誤魔化してきた」という行動を " 百音自身が無意識のうち " に、これまでに行っていたとも考えられるのだ。この彼女の無意識な行動は、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)が提唱したレベルのものであると、筆者は捉えている。


○無意識とは

自分自身では、全く自覚することの出来ない心の深層領域。

過去の経験や体験によって " 意識の領域 " にあったものが、何らかの抑圧や抑制によって " 無意識の領域 " へと追いやられたもの。人間の行動は、常に " 意識の領域 " でコントロールを出来るものではなく、 " 無意識の領域 " がその行動を左右することもある。

○ジークムント・フロイトが提唱した『無意識』のパワーわんこの解釈


*ジークムント・フロイトが提唱した『心的領域』[ Wikipedia より ]


しかし「百音の気づかないフリ」さえも、妹・未知は " 女の感 " で、ずっと前から気づいていた・・・ そう!! 彼女の『ずるいよ』には、そのような思いも込められていたのではなかろうか。



○オレンジ色に染まる " 艶やかな姉 " の背後には・・・ " 東京の象徴 " がそびえ立っていた


妹・未知は『ずるいよ』と語った後、さらに百音に対して止めを刺すように、この言葉を言い放つ。


『未知 : 何で、お姉ちゃんなの。』

第15週・75話より


*妹・未知は、百音に対して止めを刺すように『何で、お姉ちゃんなの』と言い放つ [第15週・75話より]


さて、妹・未知が言い放った、『何で、お姉ちゃんなの』という言葉を短絡的に捉えてしまうと、


[ 私は " りょーちんさんの気持ちを分りたい " と思って、故郷・亀島を離れずにずっと傍で寄り添ってきたのに・・・ どうして島から逃げたお姉ちゃんの方へと、りょーちんさんの気持ちは向かってしまうの? ]


といった " 単純な嫉妬心 " にしか感じられない。しかし、これまでのストーリー展開・・・ 特にこの第15週の流れを見ていると、さらに様々な感情が複雑に入り混じったものが、妹・未知の中に渦巻いていることを感じさせられる。


[ お姉ちゃんは " あの日 " のことを過去のものにして・・・ りょーちんさんと私を置き去りにしたまま " 新しい日常 " へと歩き出そうとしているのに。どうして、りょーちんさんの気持ちは・・・ お姉ちゃんの方へと向かってしまうの? ]


[ お姉ちゃんが故郷・亀島から逃げて、実家から出て行ったからこそ、「故郷と永浦家の未来を作って行こう」と、私は島で踏ん張っているのに。そのお姉ちゃんは、" 煌く東京という街 " で生活を謳歌している・・・ なぜお姉ちゃんばかりが " 良い思い " をするの? 」


[ 実家を背負って守り、どれだけ故郷・亀島で踏ん張っても・・・ 私は仕事も恋愛も、全く上手くいかずに報われない。それなのに・・・ 好き勝手やっているお姉ちゃんの方は、なぜ仕事も恋愛も順風満帆なの? ]


[ 今やお姉ちゃんは " キャスターという華やかな仕事 " を得て脚光を浴び、もてはやされて・・・ お姉ちゃんばかりが、なぜ " 良い所だけ " を独り占めしてしまうの? ]


この『何で、お姉ちゃんなの』という言葉には、上記のようなこれまでギリギリのところで押し止めていた、


[ 私が " 手に入れられないモノ " を全て手に入れるなんて・・・ なぜ、お姉ちゃんばかりが良い思いをするの? ]


という " 百音に対する積年の思いと嫉妬心 " が複雑に絡み合い、とうとう抑えつけられなくなって放たれた言葉にしか・・・ 筆者は思えてならないのだ。そしてこの言葉を投げかけつつ、眼光鋭く百音の方に視線を送る妹・未知。


* 妹・未知の中で、ギリギリのところで押し止めていた「私が " 手に入れられないモノ " を全て手に入れるなんて・・・ なぜ、お姉ちゃんばかりが良い思いをするの?」という " 百音に対する積年の思いと嫉妬心 " が、とうとう抑えつけられなくなり・・・ 眼光鋭く百音に視線を送りつつ、『何で、お姉ちゃんなの』と言い放ってしまう [第15週・75話より]


その時、妹・未知の視線に飛び込んできたのは・・・ 廊下から透過した白熱電球に照らされて、オレンジの暖色に染まる百音の顔だったのだ。


*廊下側から透過した " 白熱電球の光 " が部屋に差し込むことで、百音の顔はオレンジの暖色に染まる [第15週・75話より]


そして、オレンジの暖色に染まる百音の背後には、前日に亮から『可愛いね』と褒められた、妹・未知自身が " 東京で購入した白いジャンパースカート " がハンガーに掛かっていて・・・ それも同時に目に飛び込んできた。


*オレンジの暖色に染まる百音の背後には、前日に亮から『可愛いね』と褒められた、妹・未知自身が " 東京で購入した白いジャンパースカート " がハンガーに掛かっていて・・・ それも同時に目に飛び込んできた [上 : 第15週・75話 下 : 第15週・74話を加工 より]


さて " この二つ " が妹・未知の目には、どのように映っていたのだろうか。まず、オレンジの暖色に染まる百音の顔は、


[ お姉ちゃんは " 煌く東京の街 " に既に馴染み、仕事も恋愛も順風満帆 ]

[ りょーちんさんから求められて・・・ オレンジ色に染まるお姉ちゃんは " 艶めかしいほどの女性の色気 " を醸し出していた・・・ ]


というように映っていたのではなかろうか。そして " 東京で購入した白いジャンパースカート " は・・・ 初見の際に筆者の目には、「東京を象徴するスカイツリー」のようにも感じられたのだ。


*ハンガーに掛けられた、妹・未知が " 東京で購入した白いジャンパースカート " は・・・ まるで " 東京を象徴するスカイツリー " のようにも見える [左: 第15週・75話 右: 東京スカイツリー]


このスカイツリーは、実は白をベースとし、若干青みがかった「藍白」という色を採用している。ジャンパースカートという、タワーに見えるような形状の選択といい、白という色の選択も・・・ 妹・未知の目には「東京の象徴が映っている」といったメタファ―的な意味合いを、ビジュアルで印象付けることを制作者や演出家が狙っていたのではなかろうか。


*上京初日にスカイツリーを目の当たりにして、『東京だ! 』と感嘆の声を上げる百音。この作品では、スカイツリーが " 東京の象徴 " として機能していることが分る [第10週・46話「気象予報は誰のため?」より]


まとめると、『何で、お姉ちゃんなの』と言葉を発した後に、妹・未知の目に飛び込んできたのは、


*『何で、お姉ちゃんなの』と言葉を発した後に、妹・未知の視線に飛び込んできたのは、女性としての艶やかさと東京生活の謳歌を感じさせる " オレンジ色に染まる百音の顔 " と、その背後にはスカイツリーを髣髴させる " 東京で購入した白いジャンパースカート " だった [ " 妹・未知の視点 " を再現するために、第15週・75話を加工した画像]


女性としての艶やかさと東京生活の謳歌を感じさせる、" オレンジ色に染まる百音の顔 " と、その背後にはスカイツリーを髣髴させる " 東京で購入した白いジャンパースカート " だったのだ。その瞬間に、


[ りょーちんさんは、東京生活を謳歌するお姉ちゃんに惹かれて・・・。褒めてくれた私の服だって、東京で買ったものだ。りょーちんさんも " 東京という存在 " に、無意識に惹かれてしまっているんじゃないの? 結局、" 東京という存在 " が・・・ 何でもかんでも奪っていってしまう ]


といった、やるせない気持ちがどんどん増幅していったのではなかろうか。



○それはまるで「地方を支配し、成果物を奪っていく東京の象徴」のように・・・ 彼女の心へと突き刺さっていく


やるせない気持ちがどんどん増幅して最高潮になった時、妹・未知は突然立ちあがり、ハンガーにかかった " 東京で購入した白いジャンパースカート " を手に取って・・・ 思いっきり百音に投げつける。


*やるせない気持ちがどんどん増幅して最高潮になった時、妹・未知は突然立ちあがり、ハンガーにかかった " 東京で購入した白いジャンパースカート " を手に取って・・・ 思いっきり百音に投げつける [第15週・75話より]


さてここでは、妹・未知の個人的なやるせない気持ちを、姉・百音にぶつけるということもあるのだろうが、


[ " 全てを奪っていく東京 " という存在に対する、" 地方の憤り " のメタファー ]


ということも、代弁している演出のようにも感じられる。初見の際にその印象を強く感じて・・・ いくつもの意味合いを何層にも込めた映像に、筆者は涙が止まらなくなった。

さて、百音としては、「" 東京の色 " に染まって故郷・亀島から気持ちが離れて、" あの日 " のことを過去のものにして、妹・未知や亮を置き去りにしよう」と考えていたかというと、彼女としてはそのような気持ちはさらさら持っていないように感じる。しかし、妹・未知の目からすると・・・ どうしても、そのように見えてしまうのだろう。過去の放送回では、菅波のこのような指摘が非常に興味深い。


『百音 : 先生・・・ 私、海で育って、山で仕事して、全部 " 水 " でつながってるって実感して・・・ 自然てやっぱり、すごいんだな~って、思ったんです。』

『百音 : 気象の仕事に魅力、感じたのも、そういう " 自然のバランスを取る大きな力 " みたいなものに引かれたからで・・・ 』

『百音 : なのに、私は今、" 自然は怖いもの " だとか " 水は命を奪う。危ないから近づくな " って、毎日たくさんの人に伝えようとしてる。何でそうなっちゃったのか・・・ 自分でもショックで・・・

『菅波 : まあ・・・ それが " 東京に来る " っていうことですよ。人間は、環境に順応するものです。毎日、触れていなければ忘れるし、距離が離れれば、気持ちも離れる。人に対してだって・・・ そうでしょ。』

第11週・55話「相手を知れば怖くない」より


*故郷・亀島や登米での自然と慣れ親しんだ経験が、" 自然の偉大さや気象予報の魅力 " を多くの人々に伝えたいと思ったキッカケだったと語る百音。しかし上京してからは、" 自然の怖さ " しか目につかなくなってきたとも吐露する。それに対して菅波は、『それが " 東京に来る " っていうことですよ』と語り、「人間は自覚が無くても、生活する環境に順応していくものだ」と指摘する [第11週・55話「相手を知れば怖くない」より]


[ 東京という街で生き抜くためには、その環境に順応した " 最適な立ち振る舞い " がある。それが " 故郷の視点 " から見ると、故郷を忘れて気持ちが離れてしまっているように・・・ どうしても見えてしまう ]


故郷・亀島から気持ち離れたわけではなくても・・・ 百音が東京生活を謳歌すればするほどに、" 故郷からの視点 " では、どうしてもそのように見えてしまう。今作では " 地方から上京した人々が日々抱えているジレンマ " のようなものも、映し出しているのではなかろうか。



○演者と制作者が一丸となって・・・ " 地方の憤り " のメタファーを模索する


やるせない気持ちが最高潮に達して、" 東京で購入した白いジャンパースカート " を思いっきり百音に投げつけてしまう妹・未知。


*やるせない気持ちが最高潮に達して、" 東京で購入した白いジャンパースカート " を思いっきり百音に投げつけてしまう妹・未知。全120話の中でも、 " 作品のメッセージ性 " を強烈に印象付けた屈指の名シーンだ。しかし・・・ このシーンの当初の演出プランは、「畳の上に置いてあった服を、妹・未知が百音に投げつける」というものだった [第15週・75話より]


全120話の中でも、 " 作品のメッセージ性 " を強烈に印象付けた屈指の名シーンであり、筆者が2年前から " 『おかえりモネ』と人生哲学シリーズ " を書き始めるキッカケになったシーンでもある。しかし・・・ ファンの方々は既にご存じとは思うが、当初の演出プランでこのシーンは、「畳の上に置いてあった服を、妹・未知が百音に投げつける」というものだった。

それで妹・未知を演じる蒔田彩珠氏が語るには、当初の演出プランでは、リハーサルで上手く感情を作れなかったそうだ。そこで「ハンガーに掛かった服を百音に投げつける」という演出プランを提案したのが、清原果耶氏だった。


※妹・未知が、百音に洋服を投げつけるシーンついての話の展開で

『蒔田彩珠 : 洋服を投げるシーンっていうのは、「どうスムーズに " この気持ち " をぶつけるか」っていうのが、凄く難しくって。で、独りでこう悩んでたら、果耶ちゃんがそれに気づいてくれて。監督も呼んで、" どこに洋服を置いたら一番投げやすいか " っていうのを相談してくれたり。そこは凄い・・・ 逆に " 姉妹の仲 " が深まったというか。そういうシーンでした。』

『鈴木奈穂子アナウンサー : あの演出の情報では、元々、" ハンガーかけてあった服 " じゃなくって、" 畳に置いてあった服 " を投げる予定だったって聞いてるんですけど。』

『蒔田彩珠 : そうですね。』

『鈴木奈穂子アナウンサー : じゃ、そのあたりをこう「う~ん、どうしたら・・・」 』

『蒔田彩珠 : 「これ出来るかな? 」と思ってたら、このちょっとモヤってしてるのを果耶ちゃんが察してくれて。「そっちに(ハンガーに)、かけた方がいいんじゃない? 」っていう風にしてくれたね。』

『清原果耶 : そうだったね。』

『博多大吉 : そしたら思いのほか、全部バサッと被さって。』

『清原果耶 : まさか、あんなにかかるとは思ってなくて。「やっちゃった・・・ 」って思いました。私も。』

『博多大吉 : 「こんなに?」っていう。』

『清原果耶 : 「あっ、どうしょう・・・」って。ちょっと思ったね。』

『あさイチ』・2021年10月19日放送より


*妹・未知を演じる蒔田彩珠氏は、「ハンガーに掛かった " 東京で購入した白いジャンパースカート " を百音に投げつける」という演出プランは、清原果耶氏が提案したと語る [『あさイチ』・2021年10月19日放送より ]


では、もしも当初のプランだった、「畳の上に置いてあった服を、妹・未知が百音に投げつける」という演出のままで映像化したことを想像すると・・・ その演出であるならば、筆者としてもここまで思い入れが強いシーンにはならなかったと思う。そして筆者の目には、 " 思慮の浅い姉妹のケンカ " という意味合いにしか映らなかっただろうと感じるのだ。この蒔田氏が語る「モヤっとしていた」というのは、


[ 単に、畳の上に置いてあった服を投げつけるだけでは " 思慮の浅い姉妹のケンカ " といった、 " 表面的なモノ " しか視聴者には伝わらないのではなかろうか? ]


[ 妹・未知が長年に渡って募らせていた " 鬱積した重層的な思い " を、思いっきり姉・百音に " 赤裸々にぶつける " ということを、象徴的に表現するためには・・・ このままの段取りと所作で、果たして表現しきれるのだろうか? ]


といった、上記の感情を伴った " 迷い " のようなものだったのではなかろうか。しかし芝居の中で流れる空気感や、共演者の心理を感じ取る能力が非常に高いと思われる清原氏は、蒔田氏の " 迷い " のような感情を敏感に察知する。さらに、頭脳明晰で機転の利く清原氏は、


[ いくら百音に対して " 積年の思いと嫉妬心 " を抱いていたとしても・・・ 妹・未知は姉を慕っている側面もある。百音と面と向かった状態で、服を思いっきり投げつけることなんて、果たして出来るのだろうか? 演じる蒔田氏にそのような感情が、芝居中に沸き起こってくるのだろうか? ]


[ " 白いジャンパースカート " をハンガーに掛ければ、「妹・未知の目には、まるでスカイツリーのように映っている」という意味合いの映像となり、" 未知の鬱積していた憤りの感情 " も、演じる蒔田氏の心の中に生まれやすいのではなかろうか? ]


[ " 白いジャンパースカート " が、「まるでスカイツリーのように、姉・百音の背後でそびえ立っている」という光景が妹・未知の目に飛び込んだら・・・ " 未知の鬱積していた憤りの感情 " は爆発して、その感情をスムーズに、姉・百音へとぶつける演技を引き出しやすくなるのではなかろうか? ]


と考えて、演出プランの変更を蒔田氏や演出家側に提案した可能性が非常に高い。さらにこの清原氏の機転が、「 " 全てを奪っていく東京 " という存在に対する、" 地方の憤り " のメタファー」という意味合いも結果として付与できたことで、このシーンにより切なさや深みが増幅されたと筆者には感じられるわけだ。

また " このカットを撮る (入れる) " という判断をした、カメラマンや演出家の機転にも、拍手を送りたい。


*妹・未知が立ちあがって投げつける直前に、" 白いジャンパースカート " を仰角で撮影したカットが入ってくる [第15週・75話より]


当初の演出プランの「畳の上に置いてあった洋服を、妹・未知が百音に投げつける」であれば、" 畳の上の洋服を俯瞰で撮影したカットを入れる " という編集は、あざと過ぎて視聴者が興ざめする可能性が高い。したがって当初は、" 白いジャンパースカート " を撮影する予定が無かったことも考えられる。

しかし演出プランの変更で、「" 白いジャンパースカート " を撮影したカットが必要ではないか?」と咄嗟に思いついた・・・ このカメラマンや演出家の機転も、結果として妹・未知が長年に渡り募らせていた " 鬱積した重層的な思い " をより一層、際立たせることに繋がったわけだ。

そして " 白いジャンパースカート " に、仰角でゆっくりとズーミングしていくカットは、


[ " 白いジャンパースカート " が、まるで堂々と君臨するスカイツリーのように映り、同時に " 地方を支配し、成果物を奪っていく東京の象徴 " のように・・・ 妹・未知の心へと突き刺さっていく ]


* " 白いジャンパースカート " に、仰角でゆっくりとズーミングしていくカットは、「 " 白いジャンパースカート " が、まるで堂々と君臨するスカイツリーのように映り、同時に " 地方を支配し、成果物を奪っていく東京の象徴 " のように・・・ 妹・未知の心へと突き刺さっていく」ということを、映像で表現しようと試みているようにも感じられる [左: 第15週・75話 右: 東京スカイツリー]


ということを、映像で表現しようと試みているようにも感じられる。この直後の妹・未知のカットが、非常に興味深い。


*妹・未知が立ちあがって投げつける直前に、" 白いジャンパースカート " をズームインするカット。その直後の妹・未知の視線は百音から外れ、背後の " 白いジャンパースカート " へと移動しているところが、非常に興味深い [第15週・75話より]


妹・未知の視線は百音から外れ、背後の " 白いジャンパースカート " の方へと移動している。それと同時に、


[ りょーちんさんに『可愛いね』と服を褒められて、あれほど嬉しかったのに・・・ それも " 東京のモノ " だった。そして " 東京の色 " に染まっていく、お姉ちゃんにも惹かれていくりょーちんさん。結局は・・・ " 東京という存在 " が、何でもかんでも奪っていくじゃないか!! ]


といった、やるせない気持ちとフラストレーションが最高潮に達した瞬間に、妹・未知は " 東京で購入した白いジャンパースカート " を手に取って・・・ 思わず百音に投げつけてしまうのだ。


*この東京生活を謳歌し " 東京の色 " に染まっていく百音に、東京を象徴する " 白いジャンパースカート " を投げつけるという行為自体に・・・ 妹・未知からの " 痛烈な皮肉のメッセージ " が込められており、また百音にしてみれば、非常に残酷なメッセージだったのではなかろうか [第15週・75話より]


この東京生活を謳歌し " 東京の色 " に染まっていく百音に、東京を象徴する " 白いジャンパースカート " を投げつけるという行為自体に・・・ 妹・未知からの " 痛烈な皮肉のメッセージ " が込められており、また百音にしてみれば、 " 非常に残酷なメッセージを突き付けられた " というところではなかろうか。

そしてこの放送回を見るたびに、胸を掻き毟られるほどの切ない気持ちになるのは、このような理由が大きいのではないかと考えている。



○姉妹であれど・・・ お互いに傷つき、そして傷つけ合ってきた


一方、" 白いジャンパースカート " を投げつけた後の妹・未知は、


* " 白いジャンパースカート " を投げつけた後の妹・未知は、「ああ・・・ やってしまった・・・」とようやく我に返って自分の行動に驚きつつ、姉・百音を傷つけてしまったことを、後悔しているような表情を浮かべていた [第15週・75話より]


[ ああ・・・ やってしまった・・・ ]


とようやく我に返って自分の行動に驚きつつ、姉・百音を傷つけてしまったことを、後悔しているような表情を浮かべていた。妹・未知のやるせない気持ちとフラストレーションを、思い切りぶつけられた百音は、一瞬何が起こったのが分らない表情だったが・・・


*一方、妹・未知から " 白いジャンパースカート " を投げつけられた百音は、一瞬何が起こったのが分らないといった表情を浮かべる [第15週・75話より]


次第にその事態を把握する。しかし百音は、服を投げつけたのが " 自分の妹 " であることが未だに信じられず、「嘘でしょう・・・」と況やばかりの表情で、未知に視線を向ける。


*百音は、服を投げつけたのが " 自分の妹 " であることが未だに信じられず、「嘘でしょう・・・」と況やばかりの表情で、未知に視線を向ける [第15週・75話より]


[ みーちゃんが長年に渡って募らせていた " 鬱積した思いとその憤り " を・・・ とうとう私にぶつけてきたのか・・・ ]

[ 私は無自覚だったが・・・ りょーちんから求められても " 気づかないフリ " をして誤魔化していたのか。そして " そのズルさ " に、みーちゃんは・・・ ずっと前から気づいていた ]


といった驚きと同時に、「もしかすると・・・ " パンドラの箱 " が空いてしまったのかもしれない」といったような、これから襲ってくる災いを想像して恐れおののいているという表情にも感じられる。

一方の妹・未知は、相当落ち込んでいるような表情を浮かべており、その表情を目にした百音の心はますます混乱を極めて・・・ 思わず一筋の涙を流す。


*百音に服を投げつけた妹・未知は、相当落ち込んでいるような表情を浮かべる。その表情を目にした百音の心はますます混乱を極めて・・・ 思わず一筋の涙を流す [第15週・75話より]


しかし次の瞬間には・・・ 妹・未知から視線を外して、顔を背ける百音。


*服を投げつけたのが、未知であることを把握した瞬間に・・・ 妹から視線を外して、顔を背ける百音 [第15週・75話より]


さてこの時の百音の行動を、皆さんはどのように捉えましたか? 筆者には、


[ 百音には、未だ妹・未知の " 鬱積した思いとその憤り " を受け止める度量が無く・・・ 再び逃げ出した ]


という行動とその意味合いに映ったわけだ。このことは、この3年後となった第19週・94話「島へ」において、百音自身がこのように語っているところが象徴的だろう。


※百音が「故郷・亀島に帰って来たい」と、妹・未知に相談する展開で

『未知 : 何で・・・ 私に聞くの? 「戻って来ていいか」なんて。』

『百音 : それは・・・ この家、ずっと守ってきたのは、みーちゃんだから。

『未知 : 私が「嫌だ」って言ったら、戻ってくんのやめんの? そんなこと、聞かれても困るか。』

『百音 : やめる。みーちゃんが、嫌だって言うなら戻んない。 " それ " は当然だと思う。』

『未知 : 何で。』

『百音 : 私は " ここ " から逃げたから。

第19週・94話「島へ」より


*百音は妹・未知に対して、「故郷・亀島に帰って来たい」と相談する [第19週・94話「島へ」より]


この時に百音は、故郷・亀島から離れた理由が " あの日 " から否応なく背負ってしまった、「何も出来なかったという後ろめたさや、故郷の復興を背負うといった " 息苦しさ " から逃げることだった」ということを、ようやく認める。そして、


『未知 : 違う。居られなくしたの・・・ 私だよ。』

『百音 : 違う。』

『未知 : でも・・・ 私、ひどいこと、いっぱい言った。』

『百音 : 違う。みーちゃんは悪くない。" あの時 ( 妹・未知が「お姉ちゃん、津波見てないもんね」と言った時) " ・・・ 本当はもっと受け止めてあげたかった。でも、出来なかった。" 自分のこと " で精いっぱいで。』

『百音 : もう一度、やり直させてほしい。』

『未知 : お姉ちゃん・・・ 』

第19週・94話「島へ」より


*未知が『お姉ちゃん、津波見てないもんね』と言った時に、本当は " 妹の傷ついた心 " を受け止めてあげたかったが・・・ 当時はその度量が無いため受け止められずに、背を向けてその場から逃げてしまう百音。 " 姉妹間の確執とその溝 " は、この日から始まったのだ。したがって、妹・未知からどんなにひどい言葉を浴びせらた過去があったとしても、『みーちゃんは悪くない』と " この時に逃げてしまったこと " を百音は詫びる。 [第19週・94話「島へ」での回想より]


と " 津波で受けた心の傷 " によって、妹・未知が苦しんでいることに百音も気づいていたにも関わらず・・・ 当時の彼女自身も、精神的な余裕と度量も無く、受け止めきれずに妹に背を向けて逃げてしまっていた。そう、" 姉妹間の確執とその溝 " は・・・ この日から始まっていたわけだ。

そして、この75話での妹・未知の『逃げたいんだよ。本当は。でも逃げらんないじゃん! 』という言葉は、単に百音が故郷・亀島から去ったことだけを指すのではなく、


[ 私が " 津波で受けた心の傷 " で苦しんでいる時も・・・ お姉ちゃんは受け止めてくれずに、逃げたじゃないか!! ]


といった意味合いも含んでいるのではなかろうか。このシーンでは百音を下手側に配置して、上手方向へと顔を向いたカットとなっている。『映像力学』的な視点で捉えると ( 詳しい理論はこちら ) 、登場人物が上手方向に向いている場合には " 過去を振り返っている " ということを映像で表現しているため、「妹・未知の言葉によって、百音の脳裏には " 姉妹間の確執の始まりのエピソード " が蘇っている」ということを、暗示しているとも考えられるわけだ。要するに、


[ この瞬間に百音の目に映ったものは、妹・未知の姿と同時に・・・ 津波で受けた妹の心を傷を受け止めきれずに、背を向けて逃げた " 百音自身の姿 " だった・・・ ]


ということを、映像で表現しているのではなかろうか。


*妹・未知の『逃げたいんだよ。本当は。でも逃げらんないじゃん! 』という言葉は、「私が " 津波で受けた心の傷 " で苦しんでいる時も・・・ お姉ちゃんは受け止めてくれずに、逃げたじゃないか!!」という意味合いを含んでいるようにも思える。そして上手方向を向く百音の目に映るものは、妹・未知の姿と同時に・・・ 津波で受けた妹の心を傷を受け止めきれずに、背を向けて逃げた " 百音自身の姿 " だった。百音が『ごめん』と謝るのは、そのような意味合いもあるのではなかろうか。青色の矢印は上手方向を指し示す [第15週・75話より]


また、百音の脳裏には " 逃げた自分の姿 " が蘇っている瞬間に、さらに追い打ちをかけるように妹・未知は、" 過去を振り返っている上手方向の百音の背中へ " と向かって、服を投げつける。


*百音の脳裏には " 逃げた自分の姿 " が蘇っている瞬間に、さらに追い打ちをかけるように妹・未知は、上手方向に向いている " 過去を振り返っている百音の背中へ " と向かって服を投げつける。このシーンは妹・未知からの " 辛辣なメッセージ " が込められており、また百音にしてみれば、 " 非常に残酷なメッセージを突き付けられた " ということにもなるのだろう。青色の矢印は上手方向を指し示す [第15週・75話より]


このような意味からも、このシーンは妹・未知からの " 辛辣なメッセージ " が込められており、また百音にしてみれば、 " 非常に残酷なメッセージを突き付けられた " ということにもなるのではなかろうか。

さて、この第15週と翌週の第16週での妹・未知の様々な言動は、放映当時は『さすがに・・・ やり過ぎではないか?』との意見も多く見られ、また議論を巻き起こしたとも言われている。しかし筆者としては初見の際でも、彼女の行動が決して " やり過ぎ " には感じられなかった。むしろ、演じた蒔田氏と同様の感慨を覚えたのが印象的だった。


※第15・16週での妹・未知の様々な行動に対して、「やり過ぎでは?」という議論が巻き起こったという話の展開で

『鈴木奈穂子アナウンサー : やっぱり、反響が大きかったじゃないんですか? 「やり過ぎじゃない?」みたいな・・・ 声もあったんじゃないかなと。』

『蒔田彩珠 : そうですね・・・ でも一年間、未知として生きてきたから、私的には「もっと言ってやれ!!」って思うんですけど。

『博多大吉 : 「本当はこんなもんじゃないだろう!! 」みたいな。』

『蒔田彩珠 : (未知の心情を代弁すると "これらの言動 " でも) まだ抑えて言っていると思いますね。

○『あさイチ』・2021年10月19日放送より


*第15・16週での妹・未知の様々な行動に対して、「やり過ぎでは?」という議論が巻き起こったことについて、『一年間、未知として生きてきたから、私的には「もっと言ってやれ!!」って思うんですけど』と語った蒔田氏 [『あさイチ』・2021年10月19日放送より ]


この75話のシーンも含めて、第15・16週での妹・未知の様々な行動は、決して " やり過ぎ " とは思えず・・・ 筆者は百音よりも、むしろ妹・未知の心情に思わず感情移入してしまう。もっと言えば、これらの状況が生まれたのも、「百音が決して悪いわけでもない」というところが・・・ さらに観る者の感情を掻き乱していくのだろう。

さて、この75話で服を投げつけられても・・・ 百音自身に " 妹・未知の鬱積した思いとその憤り " を正面から受け止める度量があれば、 " 姉妹間の確執とその溝 " は、比較的に早期に解決していたのかもしれない。しかし今の百音には、未だ受け止める度量も無く・・・ この時点でも未知とは向き合わずに、「再び逃げてしまった」ということを、" 妹から顔を背ける所作 " で表現していると考えられる。


*服を投げつけられた後、百音は妹・未知から視線を外して顔を背ける。未だ百音には、受け止める度量が無く・・・ この時点でも未知とは向き合わずに、「再び逃げてしまった」ということを、" 妹から顔を背ける所作 " で表現しているのではなかろうか [第15週・75話より]


そして " 姉妹間の確執とその溝 " が埋まるためには・・・ この時点から、さらに3年という歳月を要することになってしまう。したがって、このカットでの " 百音の妹・未知から顔を背ける所作 " が、姉妹間の確執が今後も続くことも表現しているのだろう。

さて少し話は戻るのだが、妹・未知が語った " このセリフ " を、皆さんはどのように感じられましたか?


『未知 : なのに、何で・・・ 何でいつまでも、しんどい思いしなきゃなんないの。ちょっと良くなると、また何かあって傷つけられる。

第15週・75話より


*亮の気持ちを代弁し、『何でいつまでも、しんどい思いしなきゃなんないの。ちょっと良くなると、また何かあって傷つけられる』と、やり場のない怒りを百音にぶつける妹・未知 [第15週・75話より]


このセリフは亮の気持ちを代弁しつつも、妹・未知自身の心情も語られていたように思う。その一方で、百音の方も " あの日 " 以来、心に傷を負って立ち止まった状態が続いていたわけだ。

しかし、故郷・亀島を離れて2年が経過し、菅波という存在に出会ったこともあって、ようやく未来へと歩みを進めようとしていた矢先に・・・ 今度は妹・未知によって、再び心を傷つけられたとも言えるのだ。


[ 私だって・・・ 今までたくさん傷ついてきた。 " その言葉 " を・・・ みーちゃんに、そっくりそのまま投げ返したい・・・」


*妹・未知から顔を背けた時の百音の心の奥底には、「言い返したい」という衝動が一旦は沸き起こるものの・・・ それをグッと抑えているような表情にも見える [第15週・75話より]


妹・未知から顔を背けた時の百音の心の奥底には、「言い返したい」という衝動が一旦は沸き起こるものの・・・ それをグッと抑えているような表情にも筆者は感じられる。そう " あの日 " 以来、姉妹であれど・・・ お互いに傷つき、そして傷つけ合ってきた。それが " 姉・百音と妹・未知との間の確執とその溝 " の根本的な問題なのだ。


[ どんなに傷つけられたとしても・・・ 私はこの子の " お姉ちゃん " なのだから・・・ ]


感情をグッと抑え込もうとしつつも、涙が溢れ出る百音の表情には・・・ 胸を掻き毟られるような切ない思いに襲われて、何度観ても号泣してしまう。さて筆者は、「 " 切なさ " は、理不尽さと表裏一体の関係にある」と考えている。要するに、


[ 理不尽さと切なさが、ドラマティックさを引き出す " 最大のエッセンス " になる ]


と筆者は信じて疑わない。そして、「誰が悪いわけでもなく・・・ 震災をキッカケに、百音と未知という姉妹がすれ違っていく " 理不尽さと切なさ "」というものが今作をよりドラマティックにし、観る者を虜にしていく要素の一つであることを、第15週・75話の姉妹のコンフリクトのシーンを観るたびに心の底から思い知らされるわけなのだ。


*姉妹なのに・・・ お互いに傷つけ合う百音と未知。「誰が悪いわけでもなく・・・ 震災をキッカケに、百音と未知という姉妹がすれ違っていく " 理不尽さと切なさ "」というものが今作をよりドラマティックにし、観る者を虜にしていく要素の一つなのではなかろうか [第15週・75話より]



○彼女たちや彼らの " 成長のドキュメンタリー " を見守っている感覚が・・・ 独特の没入感と魅力へと繋がっていく


さてこの75話を筆頭に、『おかえりモネ』という作品に対して、筆者が強く心惹かれた理由の一つが、ドキュメンタリーを見ているかのような、圧倒的な " リアリズム " の空気感だった。この作品との共通性を強く感じるのが、同じく清原果耶氏主演の『透明なゆりかご(2018年)』だ。この作品の制作記者会見で、清原氏がこのように語っていることが非常に興味深い。


『清原果耶 : さっき柴田 (演出の柴田岳志氏) さんに、「清原果耶・成長プロジェクト」みたいなことを仰って頂いた時に、あっ、本当になんか・・・ スタッフさんだったり、キャストの皆さんにたくさん育てて頂いているんだなって思って。感謝でいっぱいです。』

○『透明なゆりかご(2018年)』・制作記者会見より


*制作記者会見では主演の清原果耶氏を筆頭に、共演の水川あさみ氏や瀬戸康史氏、制作統括の須崎岳氏や演出の柴田岳志氏も顔を揃えた [『透明なゆりかご(2018年)』・制作記者会見より ]


この作品では、主人公となる青田アオイを演じる清原氏の周辺には、瀬戸康史氏や水川あさみ氏、原田美枝子氏などの経験豊富で、実力派の俳優陣を配置して固めている。

これは経験豊富な共演者が、各シーンでの芝居の空気感を完璧なまでに作り上げることに徹する。そして " その空気感 " に清原氏がインスパイアされることで、" 彼女自身の心の中に生まれた感情の機微 " をそのまま引き出し、ダイレクトに演技に反映させることを狙ったキャスティングのようにも思えてくるのだ。このことを清原氏は、『スタッフさんだったり、キャストの皆さんにたくさん育てて頂いているんだな』という言葉で語ったのではなかろうか。要するに、


[ 清原氏の目に映るもの = アオイの目に映ったもの ]

[ 清原氏の心の中に生まれた感情 = アオイの心の中にも生まれた感情 ]


といったことを映像化するというような、言わば " ドキュメンタリー的な要素 " を取り入れたドラマ作品のようにも感じられるわけだ。したがって、この作品で清原氏に求められたのは、演技のテクニックやスキルではなく、「清原氏自身の心の中に生まれた感情をより素直に、よりダイレクトに " アオイ " という人物に反映させ、いかに乗せていくのか」ということだったのではなかろうか。そしてこのことを、演出を担当した柴田氏が『清原果耶・成長プロジェクト』という言葉で表現したのだろう。さらに清原氏は、撮影現場の様子をこのように語っている。


『清原果耶 : 撮影が始まって、実際に現場に入ると私以外にもキャストの方がたくさんいて。監督だったり、現場のスタッフさんがたくさんいらっしゃったりして。凄く・・・ 温かく私が演じる " アオイ " を迎え入れて下さったのが、凄く私の中で心の支えになっていて。

○『透明なゆりかご(2018年)』・制作記者会見より


要するに、清原氏自身の演技に取り組む際の感情の機微が、素直に且つスムーズに引き出せるように、撮影スタッフや共演者が " 撮影現場の空気感 " を構築することに徹していたことが伝わってくる。このような " 撮影現場の空気感 " が、この作品の随所に映像として記録されているわけだ。そして、特にそのことを体現しているのが、『透明なゆりかご』の第2話であると筆者は考えている。

例えば、我が子を遺棄した女子高生の無責任な言動に、憤りを覚えるアオイ。その " 嘆きと怒りの言葉 " を、教育係の望月紗也子(演・水川あさみ氏)にぶつける。アオイは共感してもらえると思っていたが・・・ " 冷静な言葉 " で窘められる。


『紗也子 : でも産んだのはあの子で、あなたはただの看護助手。

『アオイ : ・・・ 』

『透明なゆりかご』・第2話「母性ってなに」より


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*紗也子は " この感情 " を共感してくれると思っていたアオイ。しかし、『でも産んだのはあの子で、あなたはただの看護助手』という、思ってもみなかった言葉が返ってくる [『透明なゆりかご』・第2話「母性ってなに」より]


このシーンでの水川氏は、


[ 私の演技によって、果耶ちゃん自身が役を通り越して、「なんで共感してくれないの?!」と心の底からムカついてほしい。そのムカつきを・・・ 私に向けてほしい ]


といった " 冷静な戦略を持った演技 " のように思える。したがって、清原氏自身が抱いた感情をダイレクトに引き出すために、水川氏はあえて " 技巧的な演技 " に徹しているようにも、筆者には感じられるのだ。もっと言えば水川氏は、共演者の感情を巧みに引き出すためには、俯瞰的な視点も加味した " 芝居感のある演技 " が必要であると、その百戦錬磨の経験から考えていたのではなかろうか。

この水川氏の演技によって、清原氏の " この目 " にリアリティーが付与されて、まるでドキュメンタリーを見ているかのように視聴者を錯覚させる。そして主人公・アオイという存在に、より感情移入をさせられるのではなかろうか。


*このカットでの " この目 " からは、清原氏は役を通り越して「なんで共感してくれないの?!」という、心の底からのムカつきが感じられる。清原氏とアオイの感情が、完全にシンクロした瞬間だろう。これは、共演の水川氏の " 百戦錬磨の演技 " によって引き出されたと言っても過言ではない [『透明なゆりかご』・第2話「母性ってなに」より]


また、我が子を遺棄した女子高生役を演じる、蒔田彩珠氏とのコンフリクトのシーンも象徴的だろう。

我が子を遺棄したことが発覚し、両親を伴って産婦人科医院まで引き取りに来た女子高生。しかし我が子を見た瞬間に狼狽し、引き取りを完全に拒否する。アオイの嘆きと怒りが最高潮に達して、女子高生を鋭い目で睨みつける。


『女子高生 : 何見てんのよ、あんたには関係ないでしょ。』

『アオイ : 私はこの子のお世話を・・・ 』

『女子高生 : だから何? 仕事で世話したぐらいで、善人ぶらないでよ! 』

『透明なゆりかご』・第2話「母性ってなに」より


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*新生児を遺棄した女子高生に、『だから何? 仕事で世話したぐらいで、善人ぶらないでよ! 』と悪態をつかれるアオイ。言い返したかったが・・・ 何も言えなかった [『透明なゆりかご』・第2話「母性ってなに」より ]


7歳で子役デビューした蒔田氏も、この時点で百戦錬磨だ。当然、このシーンでの自分の役回りと " その機能 " を十分に把握し、これまで磨いてきたテクニックやスキルを存分に披露して・・・ 清原氏自身を本気でムカつかせようとしていることが、ひしひしと伝わってくる。


[ 私の演技によって " 主役の女の子 " を、ムカつかせることが、このシーンでの自分の役回りと " その機能 " だ。それを職人のように・・・ 淡々と完遂するだけだ ]


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*このカットでの " この目 " も、清原氏は役を通り越してムカついているように感じる。子役上がりの蒔田氏は、この時点で百戦錬磨だ。当然、このシーンでの自分の役回りと " その機能 " を十分に把握し、これまで磨いてきたテクニックやスキルを存分に披露して・・・ 清原氏自身を本気でムカつかせようとしていることが、ひしひしと伝わってくる。この瞬間も、清原氏とアオイの感情が、完全にシンクロしたと言えるだろう [『透明なゆりかご』・第2話「母性ってなに」より ]


このように『透明なゆりかご』での清原氏の演技は・・・ 演技というよりかは、撮影スタッフや共演者よって作られた " 撮影現場の空気感 " から湧き起ってくる感情に、彼女自身が素直に従っていたように筆者には感じられるわけだ。


『清原果耶 : 監督が一生懸命・・・" アオイの感情 " だったり、 " アオイの目線 " を「どう伝えるか?」だったり、周りのキャストの皆さんから受け取るものを、アオイが表現していったりっていうのを、凄く考えて演出をつけて下さるので、やり甲斐があって、凄く充実した時間を過ごせています。』

○『透明なゆりかご(2018年)』・制作記者会見より


*清原氏は、「周りのキャストの皆さんの芝居によって生まれてくる " アオイの感情や目線 " を、どのように表現するか?」ということと向き合ったと語る [『透明なゆりかご(2018年)』・制作記者会見より ]


さて話を戻すと、『おかえりモネ』という作品にも、ドキュメンタリー感を強く感じるわけだが、出演者自身もこのように感じているところが非常に興味深い。


『清原果耶 : 「あっ、今日終わるんだ」って思うと、凄く・・・ やっぱり寂しくなってきて。それはなんか、この「おかえりモネ」っていう作品で、出会った撮影スタッフの皆さんだったり、気仙沼の方々だったり、「おかえりモネ」っていう脚本だったり・・・ いろんなものに出会って、いろんなものに刺激を受けて、" 作られていた身体 " だったので、それを今日いったんここに・・・ 「モネを気仙沼に置いて帰るんだ」と思うと凄く・・・ 寂しくなって。でも、ちゃんと・・・ 安達さんとも「モネをちゃんと気仙沼に置いてきます! 」っていう約束を、この間のスタジオ撮了の時にお約束したので。今日無事に、こうやって皆で。撮影を終えることが出来て嬉しかったです。 』

○『おかえりモネ』完全版・Disc12 最終週・清原果耶クランクアップでのコメントより


『清原果耶 : モネ・・・ この回(第120話)で終わりますけど、ずっと生きてるし、「誰かの中に " モネの欠片 " が居続けてくれたらいいな」とか思ったり。』

『坂口健太郎 : このまま・・・ 本当にこの先も(モネたちが)ずっと生きていきそうな気がするよね。

『坂口健太郎 : 最終話観終わって「終わった・・・」って感覚よりは、「まだ、もっともっと彼らは生きていくんだろうなぁ」っていう感覚に近かったというか。

○『おかえりモネ』完全版・Disc12 最終週・清原果耶&坂口健太郎オーディオコメンタリーより


このように清原氏や坂口氏自身が、「モネ達は、きっとまだ気仙沼で・・・ 現実世界で今もまだ生きていて、日々の生活を営んでいる」といった、ドキュメンタリー感というものを感じていたわけだ。だからこそ視聴者の我々も、「百音や妹・未知、菅波たちの成長のドキュメンタリーを見守ってきた」という感覚が強いのではなかろうか。このように、『透明なゆりかご』と『おかえりモネ』の最大の魅力が、現実世界を目撃しているような " ドキュメンタリー感 " だったのではなかろうか。

その一方で、この2作品の主演だった清原氏の演技に対するアプローチは、作品それぞれに差異があるところが、これまた非常に興味深い。

先ほども述べたように『透明なゆりかご』では、撮影スタッフや共演者よって作られた " 撮影現場の空気感 " から湧き起ってくる感情に乗っかり、清原氏自身が素直に従って表現していたように思う。

一方、『おかえりモネ』では、むしろ清原氏が座長のように " 撮影現場の空気感を作る側 " に回っているようにも感じられるのだ。そしてやはり75話での撮影エピソードが、それを象徴しているだろう。


※妹・未知が、百音に洋服を投げつけるシーンついての話の展開で

『蒔田彩珠 : 洋服を投げるシーンっていうのは、「どうスムーズに " この気持ち " をぶつけるか」っていうのが、凄く難しくって。で、独りでこう悩んでたら、果耶ちゃんがそれに気づいてくれて。監督も呼んで、" どこに洋服を置いたら一番投げやすいか " っていうのを相談してくれたり。

『鈴木奈穂子アナウンサー : あの演出の情報では、元々、" ハンガーかけてあった服 " じゃなくって、" 畳に置いてあった服 " を投げる予定だったって聞いてるんですけど。』

『蒔田彩珠 : 「これ出来るかな? 」と思ってたら、このちょっとモヤってしてるのを果耶ちゃんが察してくれて。「そっちに(ハンガーに)、かけた方がいいんじゃない? 」っていう風にしてくれたね。』

『あさイチ』・2021年10月19日放送より


そうなのだ!! 『透明なゆりかご』の収録時には、清原氏の感情を素直に且つスムーズに引き出すために、共演者の蒔田氏が " 撮影現場の空気感を作る一員 " に徹していたわけだ。

それから3年が経過して『おかえりモネ』での収録時、特に75話では打って変わって、共演者の蒔田氏の感情を素直に且つスムーズに引き出すために、今度は清原氏が「撮影現場の空気感を作る一員に徹する」という、まるで " 役回りとその機能の逆転現象が起こっていた " ということになるのだろう。

この2作品は脚本は安達奈緒子氏で制作統括には須崎岳氏と、共通のコア・スタッフが手掛けていることも、蒔田と清原氏の " 役回りとその機能の逆転現象 " をより鮮明に際立たせているように感じられる。


*『透明なゆりかご』と『おかえりモネ』は、共通のコア・スタッフが手掛けていることも、蒔田と清原氏の " 役回りとその機能の逆転現象 " をより鮮明に際立たせているようにも感じられる。特に『透明なゆりかご』・第2話を過去に観ている方々にとっては、清原氏と蒔田の " 役回りとその機能の逆転現象 " をより一層、感慨深いものがあったのではなかろうか。さらに清原氏に注目してきたファンからすれば、この逆転現象が " 俳優・清原果耶の3年間の成長の軌跡 " を、このワンシーンで完璧に体現しているようでもあり、まるでドキュメンタリーを目の当たりにしているような感覚が、さらに感慨深さを増幅しているように感じさせるのではなかろうか [上 : 『透明なゆりかご』第2話 下 : 『おかえりモネ』第15週・75話 より]


したがって『おかえりモネ』第15週・75話の放映当時に、一部では「百音と妹・未知とのコンフリクトのシーンが感慨深かった」という感想も見受けられた。おそらくこのような感想を抱いた方々は、『透明なゆりかご』・第2話を過去に観ており、清原氏と蒔田の " 役回りとその機能の逆転現象 " は、よりしみじみと深い感動に襲われたのではなかろうか。

さらに清原氏に注目してきたファンからすれば、この逆転現象が " 俳優・清原果耶の3年間の成長の軌跡 " を、このワンシーンで完璧に体現しているようでもあり、まるでドキュメンタリーを目の当たりにしているような感覚が、さらに感慨深さを増幅しているようにも思える。

また、『おかえりモネ』第15週・75話での清原氏の「撮影現場の空気感を作る一員に徹する」という立ち振る舞いの変化は、共演者である坂口健太郎氏の " 撮影現場での取り組む姿勢 " にも、大きく影響を受けていたことを窺わせる。


※坂口健太郎氏との共演した感想を聞かれて

『清原果耶 : 凄く、現場の空気を調和して下さる方で。坂口さんが。私が・・・ やっぱりモネについて悩むと毎回話聞いて、「じゃ、菅波がこうしたら、モネって進みやすいかな」とか。" 一緒に歩んでくれる感じ " が凄く優しいなと思いましたし、「ありがたいな。助かるな」と思ってました。』

『博多大吉 : 要所要所は、二人で話し合いながら・・・ 二人のシーンっていうか? 』

『清原果耶 : そうですね。結構、そういう風に作ってましたね。』

○『あさイチ』・2021年10月19日放送より


*清原氏は坂口健太郎氏との共演した感想を聞かれて、『現場の空気を調和して下さる方』と語る。そして坂口氏から、「相手の演者の感情作りと、その感情をスムーズに引き出すための立ち振る舞い」というものを学んだことも窺わせる [『あさイチ』・2021年10月19日放送より ]


このように「撮影現場の空気感を作る一員」といった、坂口氏の取り組む姿勢が、清原氏にも相当影響を与えたことは想像に難くない。そして、そのことが75話の " 百音と未知のコンフリクト・シーン " として結実するわけだ。


※75話の妹・未知とのコンフリクトのシーンついての話の展開で

『清原果耶 : 未知とぶつかるシーンって、正直とても多くて。その度になんか・・・ 未知に対して「申し訳ないな」とか「ほんとごめん」って、思い続けてはいるので。このシーンも・・・ まあ、" 相も変わらず " って言うのは変ですけど、なんか真っ直ぐ・・・ " 正直なシーン " だったかなと思いますね。

○『あさイチ』・2021年10月19日放送より


*姉として「ごめん」という思いが募る中で・・・ 75話のコンフリクト・シーンでは " 妹・未知 = 蒔田氏の爆発する感情 " が、素直に引き出せた『正直なシーン』と語る清原氏 [『あさイチ』・2021年10月19日放送より ]


ということは、ここまでの全75話分の百音と妹・未知のエピソードやストーリー展開は、この第15週・75話での「未知が百音に " 白いジャンパースカート " を投げつけるシーンへ」というベクトルに向かって、" 演じる蒔田氏の感情を誘導する " ということに、制作陣や清原氏がかなりの労力を割いていたとも言えるのだろう。


*この東京生活を謳歌し " 東京の色 " に染まっていく百音に、東京を象徴する " 白いジャンパースカート " を投げつけるという行為自体に・・・ 妹・未知からの " 痛烈な皮肉のメッセージ " が込められており、また百音にしてみれば、非常に残酷なメッセージだったのではなかろうか。ここに至るために・・・ " 百音と未知のエピソード " は、ここまでの75話分を贅沢に使って紡がれてきた [第15週・75話より]


そして、蒔田氏の方はと言えば、" 『透明なゆりかご』の清原氏 " のように、彼女自身が感じた " やるせない気持ちとフラストレーション " を、素直に且つダイレクトに表現した・・・ これぞまさしく『おかえりモネ』の有する " ドキュメンタリー感 " を完璧に体現する、その真骨頂のシーンだと筆者は思えてならないのだ。


*やるせない気持ちとフラストレーションが最高潮にまで高まって、未知が百音に " 白いジャンパースカート " を投げつけた時、「蒔田氏の心の中に生まれた感情 = 妹・未知の心の中にも生まれた感情」と一致した瞬間でもあった。これは相手役である清原氏の " 撮影現場の空気感を作る一員 " という立ち振る舞いによって結実したわけだ [第15週・75話より]


さらに特筆すべきは、白いジャンパースカートを投げつけられた後の、清原氏の演技の急速なアプローチの変化だ。それまでは、" 蒔田氏の感情を誘導すること " に徹していた清原氏だったが、白いジャンパースカートを投げつけられると・・・ 百音が感じているであろう " 切なさと悲しみの世界 " に、清原氏自身の感情もシンクロして、一気に切り替わって没入していっているような表情に見える。


*妹・未知に、白いジャンパースカートを投げつけられると・・・ 百音が感じているであろう " 切なさと悲しみの世界 " に、清原氏自身の感情もシンクロして、一気に切り替わって没入しているような表情だ [第15週・75話より]


この急速な切り替えが・・・ 『透明なゆりかご』の時代では見られなかった、清原氏の " 俳優としての成長と進化 " を映像として提示されているようにも感じられる。それと同時に若い彼女から、「これこそが正に主演たる風格」というものも、ひしひしと伝わってくるわけなのだ。



○エピローグ(第15週・75話の総括)


何度も言うようだが、 " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事を書き始めたキッカケは、やはり第15週・75話の百音と妹・未知とのコンフリクトのシーンだった。その初見で感じた、「普通に考えれば妹・未知の言動は、わがままでやり過ぎの " 百音を傷つける存在 " なのにも関わらず・・・ 全くそのようには感じられなかった。それはなぜか?」という、筆者自身の感覚を論理的に解き明かしていくというのが動機だったわけだ。

そして、シリーズ記事を書き続ける中で分ってきたのが、『おかえりモネ』は勧善懲悪のような一目瞭然の " ウエルメイドな作品ではない " ということだった。

例えば、75話の百音と妹・未知とのコンフリクトのシーンを観て、一方的に未知が悪いと感じるのならば、「それは百音の視点から捉えているからだ」ということに気づいた。要するに、妹・未知の視点から捉えれば「自分本位で勝手気ままな姉・百音の方も悪い」とも言える。そうなのだ!! 第15週と翌週の第16週での妹・未知の様々な言動を、「やり過ぎ」や「わがまま」と捉えるならば、それは " 百音・菅波の視点 " で捉えていることに他ならない。

実は翌週の第16週では、「視点の差異から発生する、事象への捉え方や考え方の違い」というものが、登場人物たちによって語られていく。それは、地方と都市部の捉え方や考え方の違いや、地方に残って生きる人と都市部に出て生きていく人の捉え方や考え方の違い、当事者と非当事者との捉え方や考え方の違いといったようにだ。

今作の脚本を担当した安達奈緒子氏は、他の作品においても「見る視点が変われば、善悪も変わる」、「見る視点が変われば、正解も不正解も変わる」といったメッセージを込めている。例えば『透明なゆりかご』では、人工妊娠中絶手術(アウス : Auskratzung) に疑問を感じた主人公・アオイが、産婦人科医の由比院長(演・瀬戸康史氏)にこのような問いかけをする。


『アオイ : 先生・・・ 聞いてもいいですか? 先生はどうして中絶手術をするんですか。』

『由比院長 : うん・・・ 出来ればやりたくない仕事だよ。「うちではやれません」と断ることも出来る。でも断ったところで、その妊婦さんは別の病院で手術を受ける。病院に断られて、どうすることも出来なくて・・・ 自殺を選ぶ女性だっている。』

『由比院長 : だからね、僕はこう思うようにしている。「アウスは " いつか望んだ時 " 、またちゃんと妊娠できるようにするための手術だ。だから出来る限り丁寧に処置をする」 中絶も分娩も同じようなものだと僕は思う。どちらも " 新しい命を迎えるための仕事 " だよ。

『透明なゆりかご』・第6話「いつか望んだとき」より


*知人の人工妊娠中絶手術 (アウス) に立ち会ったことで、手術自体に疑問を感じるようになったアオイ。由比院長の " その疑問 " をぶつけると、『中絶も分娩も同じようなものだと僕は思う。どちらも " 新しい命を迎えるための仕事 " だよ』と思ってもみなかった答えが返ってくる [『透明なゆりかご』・第6話「いつか望んだとき」より ]


こういった産婦人科系のドラマの場合は " 人工妊娠中絶をする行為 " を否定的に描くことが多いと思う。しかし『透明なゆりかご』では、どちらか一方の肩を持つこともなく、両方ともに肯定も否定もしない。そして、


[ 捉え方は一つだけじゃない。問題があるならばみんなで考えて、各々の中にそれぞれの答えを出せばよい ]


と「捉え方は一つではない。答えも一つではない」というような両論併記的なメッセージを作品に込めているわけだ。

NHKの由緒ある「朝ドラ」。たった15分で1話をまとめなければならず、視聴者は出勤・通学前の最も慌ただしい時間に観るため、一目瞭然の " ウエルメイドな作品 " というものが「朝ドラ」の定番のフォーマットだったであろう。そのような中で、ストーリー展開は非常に遅く、両論併記的な一見分りにくいメッセージという・・・ 『おかえりモネ』のアプローチは、ある意味挑戦だったことには間違いない。

しかし映画のように、隅々まで注意を払いながら観る「朝ドラ」は・・・ 非常に新鮮であり、筆者をどんどん虜にしたわけだ。そういった意味合いでも、何度観ても新しい発見がある・・・ この第15週・75話は " その象徴 " であるようにも思えるのだ。


さて次回の記事も、このシリーズを書き始めるキッカケとなった、16週・「若き者たち」だ。百音と未知との姉妹間の亀裂が決定的なものとなる中で・・・ 失踪した亮を迎えに行く百音。そして彼女がいない『汐見湯』に菅波が訪れる。

次回も名場面が目白押しの、第16週の前半を集中的に取り上げた記事を展開したいと思う。乞うご期待!!

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