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求められて・・・ ひたすら抑えていた " 女性としての妖艶さ " が零れ落ちる [第15週・4部 (75話前編)]

割引あり

若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。

今回は第15週・「百音と未知」の特集記事の4部ということになる。ちなみにこの前の特集記事となる、第15週・3部の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。

さて、とうとう第15週・75話に辿りついた。以前からも書いているように、この企画を始めるキッカケが、この75話を目にしたことだったと言っても過言ではない。この75話を初めて観た時の、筆者の心の中に生まれた衝撃や切なさ、理不尽さ、やり場のない憤り、etc・・・ いや、そんな薄っぺらい言葉では言い足りない。

もっと・・・ 言葉では言い表せないような感情が止めどなく溢れ出し、深い感銘に襲われたのだ。そして「この75話の記事を書くこと」が、まずは2年間に渡ってここまで書き続けて来られた、そのモチベーションだった。

さすがに、この放送話は軽々には扱えない・・・ 75話は特別ということで、過去の記事ではやってこなかった " 1話分を前編と後編 " に分けて書きたいと思う。したがって今回は、「75話・前編の記事」ということになる。

それで75話は、第14週・69話と同様にかなり特殊な放送回であり、回想と電話でのやり取りのカットバックを除けば、ワンシーンで展開される。しかも就寝中のシーンであり、登場人物は寝具の上で " 半身を起こした状態 " での演技となるため、配置の移動や大きな所作を伴った感情表現の演技は難しくなる。またカメラワークやカット割りも、かなり限定された " 制約のある撮影環境 " となるため、今回の記事では『映像力学』的な分析・考察は少ない。

その一方で、この放送回で肝になるのが演者の " 表情の演技 " だろう。したがって今回の記事では、筆者の提唱する『ドラマツルギー・タイムデリバティブ・アプローチ ( Dramaturgie Time Derivative Approach : DTDA) 』という手法での分析・考察が中心となる。

この手法はストーリー展開の中で、気になるシーンや重要に感じられるシーンを " 1コマずつ " 動かして鑑賞したり、重要なカットでは完全に静止させて鑑賞するというものだ。特に登場人物や演者の心情を読み解きたい場合には、1コマを完全制止させて、その表情と対峙しつつ「今この瞬間に・・・ 彼女や彼は何を考えているのか? 何を感じているのか? 」ということの想像を巡らせる。すると・・・ ノーマルスピード鑑賞では感じ取れなかったことが、鮮明に浮かんでくる感覚だ。また登場人物や演者と " 一体化した感覚 " となり、その心情に強いシンパシーが感じられるようになっていくわけだ。

今回は『DTDA』という手法を多用して、" その表情 " から登場人物や演者の心情を読み解き、" 物語の深層 " に迫っていきたいと思う。




○「もう過去のこと」と「まだ過去のことには出来ない」という " 二つの狭間 " の中で。


東京に住む、主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)の前に突然現れた、故郷・亀島の幼馴染・及川亮 (りょーちん 演・永瀬廉氏)。


*『汐見湯』へと帰り着く直前で・・・ " 思わぬ人物 " が百音の対面から歩いてくる。彼女の目の前に現れたのは、なんと故郷・亀島の幼馴染・及川亮だった [第15週・73話より]


彼が去って、日付が変わった2016年11月27日(日)の深夜に、母・亜哉子(演・鈴木京香氏)から百音に電話がかかってくる。


*第15週・75話・アバンタイトルより


亮は前日26日(土)の朝に、銚子漁港に停泊している船へと戻ったはずなのだが、母・亜哉子の話によると戻って来ていない様子だ。どうやら彼自らの意思で船を降り、漁師を辞めようと考えているらしいという話に、動揺する百音と妹・未知(みーちゃん 演・蒔田彩珠氏)。亮がその考えに至った経緯を、母・亜哉子は百音たちに話して聞かせる。

それは4日前の22日(火)に、及川新次(演・浅野忠信氏)と息子・亮、そして新次の妻で、東日本大震災で行方不明となっている美波の母親・横山フミエ(演・草村礼子氏)などが永浦家に集まって、" 美波の死亡届提出 " についての話し合いが持たれたそうだ。


*第15週・75話・アバンタイトルより


義母・フミエとしては、「年齢が80歳を越えて、自分の生い先も長くは無い。未だに娘・美波は行方不明ではあるが・・・ 自分が生きているうちにケジメをつける意味で、しっかりと葬式を営んでおきたい」との意向だった。


『フミエ : ごめんなさい。勝手なこと、言ってるって分ってるんだけど・・・ 』

『新次 : 美波が死んだって、俺が決めんですか。』

第15週・75話より


*義母・フミエから " 妻・美波の死亡届の提出 " の意向を聞かされて、『美波が死んだって、俺が決めんですか』と強く反発を示す新次。息子・亮は父の心の動揺に、不安な表情を隠せない [第15週・75話より]


義母・フミエからの " 妻・美波の死亡届提出 " の意向に、強く反発を示す新次。息子・亮は、父の心の動揺に不安な表情を隠せない。そして周りの人々は、新次をなだめる。義母・フミエはこのように語る。


『フミエ : 自分が向こう (あの世) に行くならね。ちゃんと・・・ 向こうで、美波と会いたいと思って。』

第15週・75話より


そして、新次に " 現実 " というものを突き付けるが如く・・・ 義母・フミエはこのように語りかけた。


『フミエ : 新次さんには、大事にしてもらって。美波は、幸せだったと思う。』

『新次 : いや・・・ そんなの・・・ 分んないでしょう。本人に聞いてみなきゃ。』

『フミエ : 私が聞くから。』

『新次 : いや・・・ 』

『フミエ : 向こうで、美波に聞くから。』

第15週・75話より


*義母・フミエは自身の死後に、「 " あの世 " で娘・美波と会って、幸せだった日々を振り返る」と新次に語る。しかし新次は『いや・・・ 』と語り、抵抗感を隠せない。息子・亮は " 父の心の動揺 " に、気が気ではない様子だ [第15週・75話より]


さて、家族などの大切な人との別れというものは、様々な形があるのだろうが・・・ 行方不明で " 亡骸が無い " ということは、" 宙に浮いた状況である " という感覚を与えて、「気持ちの整理をつけたくも、つけることが出来ない」といったメンタリティーとなるのだろう。しかし同様の状況に置かれていても、親族のフミエと新次では捉え方や考え方が全く違う。


○フミエ
『向こうで美波に聞くから』
       ↓
美波は死亡しているものと捉え、" もう過去のこと " だと考えようとしている


○新次
『そんなの・・・ 分んないでしょう。本人に聞いてみなきゃ』
       ↓
もう一度、美波と直接会いたい・・・ " まだ過去のことには出来ない " と考えている


もちろん、義母・フミエの気持ちも分らないではないが、特に新次のように「愛妻ともう一度会いたい」と思っている人に、" 死亡届 " を書かせるということは非常に酷な話だ。

さて、現実の東日本大震災において、娘が行方不明となっている母親が語った心境が、非常に象徴的だ。


『行方不明者の母 : あまり前に進まないようにしてるの。前に進むと、思い出が遠くなっちゃうから。

『記者 : 前に進まないように? 』

『行方不明者の母 : 前に進んでって周りに言われてるけどね、なかなか進めない家族もいるんですよ。未来を一緒に生きる人がいなくなったんだもの。

○『クローズアップ現代』・「娘のもとへ 潜り続けて ~行方不明者家族の10年~」2021年3月4日放送より


○『クローズアップ現代』・「娘のもとへ 潜り続けて ~行方不明者家族の10年~」2021年3月4日放送より


[ 前に進みたくない。ここで・・・ 帰りを待ちたい ]

[ " 未来を一緒に生きる人 " が、もう進めなくなったのなら・・・ 前に進まないことが " 同じ時間軸 " で一緒に生きることになる ]


おそらく、新次にとっての " 5年間 " は、このような心境でようやく生き長らえてきた。そして今現在も・・・ そのような心境が続いているのだろう。

さて、皆さんは『喪の作業 (仕事) 』という言葉を聞いたことがあるだろうか? これはフロイト ( Sigmund Freud )が提唱した概念で、「大切なものを失い、そこから回復していく心理的な過程」を表している。したがって、" 大切な人との死別とその心理的な回復 " も含まれていることは言うまでもない。

この過程は様々な学説があるが、最も代表的なものは精神科医のボウルビィ ( John Bowlby )が提唱した、心理的過程を4段階に分類したものだろうか。


1. 麻痺・無感覚 (激しくショックに打ちひしがれている)
2. 否認・抗議 (対象の喪失を認めず、喪失対象が存在するが如く振る舞う)
3. 絶望・失意(激しい失意、抑うつの状態)
4. 離脱・再建(喪失を受け止めて、立ち直る兆しが生まれる)


それで、今回の新次の反応は『2. 否認・抗議』という状態であることが考えられる。5年が経過しても4段階中のまだ2段階目であり、そのような人に「周辺や家族のことも考えて、喪失の事実を受け入れろ」というのは・・・ 非常に残酷なもので、新次としては到底受け入れられないもの当然だ。

そしてこのような状態の中で、良かれと思って「喪失の事実を受け入れろ」と周辺の人々から圧力を加えたとしても、新次が『3. 絶望・失意』の状態へと陥っていくことは、心理学の素養があればこの時点でも想像できることなのだ。

結局、結論は出ず・・・ 新次は「少し考えさせてくれ」と言って、持ち帰った。息子・亮は " 父の心の動揺 " を心配するものの、新次が『こっちは別に大丈夫だから、お前は仕事、行け』と送り出したそうだ。しかしこの一件がキッカケとなって、新次を紙一重で踏みとどまらせた " タガ " が・・・ 外れてしまう。



○ " 未来を一緒に生きる人 " が、もう進めなくなったのなら・・・ 前に進まないことが " 同じ時間軸 " で一緒に生きること


昨日26日(土)のお昼頃、 新次はこれまで必死に我慢してきた酒に手を出して・・・ 復興住宅の自宅で暴れ出し、警察官が出動する騒ぎを起こす。百音の父・耕治(演・内野聖陽氏)と母・亜哉子も駆けつけるが・・・ もう手を付けられる状態ではなかった。


『新次 : 飲んだよ! 飲んで悪いか、この野郎。ああ? 飲まねえで、やってられっか、この野郎! 何が「向こうで聞く」だよ。何が「向こうで聞く」だよ! 向こうって、どこだよ! この野郎! 』

『新次 : この俺がだぞ。この俺がよ、あのハンコに・・・ あのハンコ押したら、俺がこの手で、美波をな・・・ ! 』

第15週・75話より


*新次は、愛妻・美波の死亡届に印鑑を押すという行為は、「美波を " この手で殺す " ことを同義だ!! 」と永浦夫婦に訴える。百音の母・亜哉子は、これまで見たことが無いような新次の狼狽に、驚きを困惑を隠せない [第15週・75話より]


さて " 美波の死亡届提出 " の件は、一見すると義母・フミエの意向が強く働いているようにも感じられるが・・・ それはあくまでも " 建前 " だったようにも感じられる。

ここで新次が吐露しているように、死亡届を提出するということは、" 愛妻・美波の死 " というものを、彼自らの手で確定させることでもあり、それがどれほど残酷なことかも、義母・フミエは重々分っていた。

それでも死亡届の提出を迫った背後には、新次の息子・亮のことも考えると・・・ 5年間に渡った " 新次の無気力状態 " に一区切りをつけさせて、一歩前に進ませるためのキッカケを作りたかった。フミエも含めて話し合いに参加した一同は、そういった思惑もあって " 美波の死亡届提出 " を秘密裏に画策していたようにも感じられる。しかしその反動は・・・ 想像よりも大きなものになってしまったというところだろうか。

さて、東日本大震災で行方不明者の家族を取り上げた特集番組で、担当アナウンサーがこのように結論付けていることが象徴的だ。


『武田真一アナウンサー : あの日から少しずつ姿を変えてきた町の片隅で、10年間大切な人のもとにとどまり続けている・・・。その場にとどまることも、愛を示す尊いこと、懸命に生きることだと教えられました。

○『クローズアップ現代』・「娘のもとへ 潜り続けて ~行方不明者家族の10年~」2021年3月4日放送より


そして、新次がこのセリフを語るカットでは、


『新次 : この俺がだぞ。この俺がよ、あのハンコに・・・ あのハンコ押したら、俺がこの手で、美波をな・・・ ! 』

第15週・75話より


*新次は復興住宅の自宅で暴れ、『あのハンコ押したら、俺がこの手で、美波をな・・・ ! 』と耕治に訴えかける。登場人物が上手方向を向いている場合には、" 過去を振り返っている " ということを映像で表現していることになるため、「前に進まないことが・・・ " 同じ時間軸 " で一緒に生きること」といった、新次の思いと決意が表現されている。青色の矢印は上手方向を指し示す [第15週・75話より]


と上手方向に向きながら、耕治にこのように訴えかける。『映像力学』の視点で捉えれば( 詳しい理論はこちら )、登場人物が上手方向を向いている場合には、" 過去を振り返っている " ということを映像で表現していることになるため、


[ 前に進まないことが・・・ " 同じ時間軸 " で一緒に生きること ]


といった新次の思いと決意が・・・ 痛いほど伝わってくるわけなのだ。

さて、先ほどの章でも取り上げた『喪の作業』だが、これを最後まで完了させるためには、どのようなアプローチが必要なのか? 基本的には「能動的に喪失感と向き合うこと」が重要だと言われており、それをウォーデン(J.W.Worden) か体系化した『Wordenの悲嘆セラピー』が提唱されている。


*喪失の現実を受け入れる
*悲嘆の苦痛にむきあう
*故人のいない環境に適応する
*故人を情緒的に再配置する


それで現在の新次の状態であれば、まずは自身が能動的に『喪失の現実を受け入れる』というアプローチに取り組むことになる。具体的に言えば、「故人が亡くなった事実と直面する。感情を取り扱う前に、" 死が真実だ " と受け容れる事」となるのだが、ここに辿りついてクリアするためには、相当な時間が必要であるとも言われている。したがって、新次の現在のメンタリティーからすれば、能動的に取り組むところに辿りつくまで、まだまだ時間が必要であることも想像に難くない。

その一方で、行方不明となっている愛妻・美波の思いは・・・ どのようなものなのだろうか? 実は " コレ " で表現されているように、筆者は感じている。


*美波の死亡届に捺印を迫った一員の耕治は、責任を感じつつ " 新次の思いと混乱 " を一身に受け止める。それはまるで、愛妻・美波の代わりを務めているようにも見える。その時、レンズ・ゴーストの光が、上手側から下手側へと走る。『映像力学』的な視点で捉えると、画面の下手方向には " 未来 " が存在するため、「あなたが " 私の死亡届 " に捺印しても・・・ とうとう諦めて " あなたが私を見捨てた " なんて思わない。もう、あれから5年が経つのよ・・・ あなたも " 未来 " に向けて歩き出したら? 」と、美波が優しく新次を諭しているような映像になっているようにも感じられる。赤色の矢印は下手方向を指し示す [第15週・75話より]


" レンズ・ゴーストの光 " が、上手側から下手側へと走って・・・ 『映像力学』的な視点で捉えると、画面の下手方向には " 未来 " が存在するため、


[ あなたが " 私の死亡届 " に捺印しても・・・ とうとう諦めて " あなたが私を見捨てた " なんて思わない。もう、あれから5年が経つのよ・・・ あなたも " 未来 " に向けて歩き出したら? ]


と、愛妻・美波が優しく新次を諭しているような映像でもあり・・・さらに感涙を誘う。



○優しい姉が・・・ 睨みつけるような " 強い反発心の視線 " を妹に向ける時


当然ながら新次が暴れたことは、息子の亮の方にも警察から連絡が行った。その経緯と一部始終を聞いた百音の妹・未知は、


『未知 : やだ・・・ 』

第15週・75話より


*新次が暴れたことは、息子の亮の方にも警察から連絡が行ったこと聞かされる妹・未知。彼女は思わず、『やだ・・・ 』と心の悲鳴のような声を上げる [第15週・75話より]


と心の悲鳴のような声を上げる。結局、亮は自暴自棄になってしまったのか・・・ 船に戻ることはなかったそうだ。

さて、ぼんやりとストーリー展開と観ていると、突然に亮が『汐見湯』へと訪れた理由が、父・新次が再び酒を飲んで暴れたことで精神的に落ち込み、それを百音に慰めてもらうために来たように感じられてしまう。しかし、時系列をしっかり追えば、実はそうではないことが分る。


○母・美波の死亡届に関する話し合い   ・・・ 11月22日(火)

○亮が突然百音の前へと現れる      ・・・ 11月25日(金)の夜
○亮が『汐見湯』から立ち去る      ・・・ 11月26日(土)の朝
○父・新次が酒を飲んで復興住宅で暴れる ・・・ 11月26日(土)の午後


このように、亮が『汐見湯』から立ち去った後に、父・新次が暴れたことを知るという時系列になる。ということは、突然に亮が『汐見湯』へと訪れたのは、やはり、" 百音の変化 " にまつわる喪失感や孤独感が、その大きな理由だったわけだ。


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*百音のキャスターデビューを目にする亮。その見つめるモニター画面の向う側には、今までに見たこともないような " 大人びた百音 " が立っており、亮はふと寂しそうな表情を浮かべる。この時に彼は、「東京という街がモネを変えていく・・・ 東京という街に " 唯一の心の支え " が奪われていく・・・」といった喪失感や孤独感に襲われていく [第15週・72話より]


そして亮の抱えている喪失感や孤独感が、百音に関連していること、またこの訪問でも、その喪失感や孤独感が埋められなかったことを、妹・未知もそこはかとなく、潜在的に感じ取っていたのではなかろうか。

ただし、百音が思いを寄せる " 東京の医師の男 " と遭遇して、諦めがついた亮は、『汐見湯』を立ち去る際には失踪することは全く考えておらず、その時点では船へと戻ろうと思っていた・・・ そう、「父・新次が暴れた」との知らせを聞くまではだ。

それで喪失感や孤独感を拭えない中、今度は「父・新次が再び暴れた」との知らせを聞いた亮の心の中は・・・ さらに掻き乱される。したがって妹・未知は、 " その瞬間の亮の心情 " を慮って、


『未知 : やだ・・・ 』

第15週・75話より


という " 悲鳴のような声 " を思わず上げてしまったのだろう。このような経緯もあって母・亜哉子は、新次のトラブルを知った亮は自暴自棄となり、停泊中の船に戻らなかったのではないかと推察する。そして心配になって、何度も亮に電話をかけたが出ないとも語る。それを聞いた妹・未知は、


『未知 : 何で、もっと早く知らせてくれなかったの。』

第15週・75話より


と母・亜哉子を責める。新次が警察に保護されていたこともあって、永浦夫妻が亮が船に戻っていないことを知ったのも、夜になってからそうだ。そして亮との音信不通も続き、心配のあまり百音たちにも連絡してみたと、母・亜哉子は語った。

さて、妹・未知の『何で、もっと早く知らせてくれなかったの』という言葉の背後には、亮の失踪が緊急事態であること把握しつつ、同時に失踪の誘因となった " 理不尽でやり場のない怒り " を、彼の心情を代弁するが如く語っていたのだろう。そして、その " 理不尽でやり場のない怒り " を妹・未知は、思わず母・亜哉子に対してぶつけてしまったというところだろうか。

この妹・未知が " 母を責めた時 " の百音の表情が、これまた非常に印象的なのだ。


*亮の失踪を、百音たちに知らせることが遅くなってしまった母・亜哉子。妹・未知は『何で、もっと早く知らせてくれなかったの』と母を責める。「お母さんに怒りをぶつけても、何も解決しないのに・・・ なぜ、今このタイミングでお母さんを責めるの?」といったような、百音の妹・未知に対して睨みつけるような " 強い反発心の視線 " が非常に印象的だ [第15週・75話より]


[ お母さんに怒りをぶつけても、何も解決しないのに・・・ なぜ、今このタイミングでお母さんを責めるの? ]


といった、あの妹思いの百音が・・・ 睨みつけるような " 強い反発心の視線 " というものを、珍しく妹・未知に向けているようにも感じられる。

百音の人物像は、元来温和な性格という設定もあってか、今作の中で彼女がフラストレーションを顔に出したり、怒ったり、反発したり、険しい表情になるようなシーンが極めて少ない。そしてこれまでの放送回の中で、百音が怒ったり、反発心や不快感をあからさまに表情として出すのは、3話分ぐらいしか思いつかないのだ。

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