父の " 熱いエネルギー " は、彼を媒介して・・・ やがて娘へと届く[第14週・5部]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回も第14週・「離れられないもの」の特集記事の5部ということになる。ちなみに、第14週・4部の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
それで今回は第14週・70話のみを取り上げた記事で、次の15週・「百音と未知」という、この作品でも非常に重要な週へと繋がる放送回だ。したがって『映像力学』的なギミックも当然ながら、登場人物の関係性やその心情も隅々まで丹念に観たい放送回だろう。この記事では、その部分にも集中的にフォーカスを当てていきたい。
また毎度のお約束だが、『DTDA』という手法 ( 詳しくはこちら )を用いつつ、 そこから浮き彫りになってくる、登場人物や俳優の心情なども探って、この作品の世界観の深層に迫っていきたいと思う。
○彼女と彼の視線の " 差異 " が・・・ 雄弁に物語るもの
まず、ストーリーとその展開から始めたい。主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)の父・耕治(演・内野聖陽氏)が上京していたが、故郷・亀島へと帰る最終日に、青年医師・菅波光太朗(演・坂口健太郎氏)に「挨拶がしたい」と言い出す。
しかし、菅波が大学病院での勤務中である可能性が高かっため、『迷惑だよ』とたしなめる百音。しかし父・耕治は、
と聞く耳を持たない。結局、仮眠中のところを起こされ、急いで『汐見湯』のコミュニティースペースに駆けつけた菅波。彼は、未だ頭がぼーっとした状態のようだった。その菅波に対して、威圧感満載でプレッシャーを加える父・耕治。それを見守っていた、井上菜津(演・マイコ氏)や野村明日美(スーちゃん 演・恒松祐里氏)も、気が気でない様子だ。
父・耕治の威圧感に気圧された菅波は、目を伏せ気味にしながら『あの、なにか・・・ 』と答えるのがやっとだった。それに対して父・耕治は、菅波を一直線に見据える。
重い沈黙の空気が漂う中で・・・ 次の瞬間に父・耕治は菅波に対して勢いよく、いきなり無言で深々とお辞儀をした。
とあっけにとられる二人。間髪入れずに、
と絶叫する父・耕治。
さてこのシーンでは、百音と菅波の表情が非常に興味深い。このカットの直前まで父・耕治は、菅波に対して、威圧感満載でプレッシャーを加え続けていたわけだ。
したがって、「何を言われるのだろう。もしかすると、交際 (交際に発展すること) を・・・ 反対されるかもしれない」といった思いが、百音と菅波の双方の脳裏を過ったかもしれないわけだ。特に菅波の『あの、なにか・・・ 』という言葉の背後には、
[ 彼女との交際を反対されたなら・・・ どのように対応しようか・・・ ]
といった思いが滲み出ているように感じられる。しかし、父・耕治の思ってもみなかった行動に、二人はなおさら驚きを隠せない。そして、百音と菅波の " その反応 " にも、差異があるところが非常に興味深い。まず、百音の方は、驚きの表情で父・耕治を見つめ続ける。
これに対して菅波の方は・・・ 一瞬、百音の方向に視線を向けるのだ。
この時の菅波の心情を、皆さんはどのように想像しますか? 筆者は、
① [ 彼女は僕の存在のことを・・・ 父親に対して " どのようなニュアンス " で説明しているのだろうか? ]
② [ ようやく彼女との距離が縮まったのに・・・ 父親が僕のことを " 彼氏扱い " することで、その関係性が気まずくなって、再び距離が生まれてしまうのではないのだろうか? ]
③ [ " 確定的なもの " が何も無い中で、僕との交際が " 既成事実化 " してしまうと・・・ 彼女の気持ちが傷付いてしまわないだろうか? ]
といった " 三つの心模様 " が入り混じったことが、彼が " 百音の表情を窺う所作 " に表れているではないかと考えている。まず①の心情に関しては、百音が大学病院に菅波を呼びに行った際に、既に " そのニュアンス " は伝わってはいるだろう。要するに、
[ 父が帰郷する前に、先生にご挨拶がしたいと言ってますので・・・ 『汐見湯』まで来てもらえますか? ]
といった、当然ながら " 父親が二人が交際していると捉えている " といったニュアンスではなく、あくまでも「父が " 私の東京の友人に対して、帰省の前に挨拶がしたい " と言っている」といったニュアンスで、百音が菅波に伝えていたことは想像に難くない。しかし、父・耕治の『娘をお前に託す!!』といわんやばかりの行動に対して、
[ やはり・・・ 彼女の父親は " 二人が交際している " という認識だからこそ、" この行動 " に至っているのではなかろうか? ]
といった菅波の戸惑いの心情が、「彼女の真意」を窺うような反応として咄嗟に出たという感じではなかろうか。とは言え・・・ 彼が百音の表情を窺うのは、やはり②と③の心情の方が、大きな要素を占めているのではないかと考えている。
二人の関係性を客観的な視点から見ると「 " 交際している " と捉えられても致し方が無い」ということを、百音も菅波も重々認識している。その一方で、この段階では " 確定的なもの " は何も無いわけで・・・ 。
この微妙な距離感の関係性の中で、父・耕治が菅波のことを " 彼氏扱い " してしまったことで、
[ ようやく彼女との距離が縮まったのに・・・ 気まずくなって、再び距離が生まれてしまうのではないのだろうか? ]
といった困惑と、
[ " 確定的なもの " が何も無い中で、僕との交際が " 既成事実化 " してしまうと・・・ 彼女の気持ちが傷付いてしまわないだろうか? ]
といった不安感が、 " 百音の表情を窺う所作 " に表れていたのではなかろうか。この「百音を傷付けてはしまわないだろうか?」という菅波の心遣いは、後の放送回の " このセリフ " からも垣間見れる。
父・耕治の " 早とちり " によって「お互いの関係性に再び距離が出来てしまわないだろうか? 」、「百音が傷付いてはいないだろうか?」 " その心情 " を推察するために、菅波は百音に視線を向け、思わずその表情を探ってしまった・・・ といったことが窺えるカットのように思える。
○ " 確定的なもの " は何も無いものの・・・ " 東京での心の拠り所 " が彼になった瞬間
" 確定的なもの " が何も無い、微妙な関係性ということもあって、父・耕治の思ってもみなかった行動に、百音と菅波は困惑を隠せない。
この展開の中で、菅波のこのセリフが重要な機能を果たす。
この菅波のセリフの後に、二人は視線を合わせて見つめ合うわけだ。
ということは、百音と菅波にとって、「二人っきりで、一度だけ蕎麦屋に行った」ということだけが、今現在の " 確定的なもの " の心の拠り所であること意味しているのだろう。しかし菅波の発した『まだ・・・』という言葉の背後には、「百音とのこれからの未来」といった彼なりの想像が、既に膨らんでいっていることを窺わせる。したがって、菅波はこのような言葉を続けるのだろう。
この言葉を聞いている時の百音の表情が、これまた非常に印象的だ。
菅波の『お父さんから、どういう風に見えてるかは分りませんが・・・』の言葉の直後は、百音の視線は定まらず宙をさまよっている様子だ。この時の百音は、
[ この後に・・・ 先生は何を言い出すんだろう? ]
といったような、ドギマギした心情が窺える表情だ。しかし、菅波の次に続く発語にタメが出来た瞬間に、百音は彼のいる上手方向へと視線を送るのだ。
[ 先生は、この後に大切な・・・ " 決定的な言葉 " を言おうとしているのかもしれない・・・ ]
といったような " 菅波の心意気 " を察知し、思わずハッとしたような様子で、彼の表情に視線を向けているのが印象的だろう。一方、菅波の方も百音の方向に視線を送りつつ、
[ これから僕が語ることは・・・ " お父さんにだけ " ではなく、" あなた " に対する宣言でもあります ]
といった心意気を、彼女に対しても伝えようとしているように感じられてならないのだ。そして他の人からすると、取るに足らないものであっても・・・ 菅波にとっては、" 今現在の二人にとっての確定的なもの " を噛みしめることで、当初のおどおどした態度から一変して、父・耕治を一直線に見据えつつ、力強く " 宣言 " が出来たわけだ。
この菅波の宣言によって・・・
といった、受動的な百音の恋愛感情を " 能動的へと促す刺激 " になったようにも感じるわけだ。
この菅波の『永浦さんに、もし何かあれば、僕に出来ることはするつもりです』という言葉に、グッとくるような表情を見せる百音。これまでの受動的な恋愛感情のモードから、能動的なモードへと切り替わった瞬間の表情にも感じられる。
更に、百音のこの表情の背後には・・・ " もう一つの意味合い " を噛みしめているようにも、筆者には感じられる。彼女のこれまでの「心の拠り所」は、このような存在だったように思う。
○故郷・亀島での心の拠り所 ・・・ 家族や幼馴染
○登米での心の拠り所 ・・・ 新田サヤカ
そして『永浦さんに " もし何か " あれば、僕に出来ることはするつもりです』と、父・耕治を真正面に見据えて、真摯に訴えかける菅波を目の前にすれば、
○東京での心の拠り所 ・・・ 菅波光太朗
といった " その確信 " が、百音の中にも生まれていくような瞬間だったのではなかろうか。
○ " 彼の横へと突き飛ばす " ということは、「 二人で " 新しい未来 " を切り拓いて行け!!」という思いを込めた・・・ 力強いエールだ
菅波の『永浦さんに、もし何かあれば、僕に出来ることはするつもりです』という、真摯な言葉を聞いた父・耕治の表情も、非常に印象的だ。
これまでこわばっていた表情とは打って変わって、柔和な表情を浮かべる父・耕治。菅波という人間の実直さに触れ、「彼になら、百音を任せられる」といった安堵した表情にも感じられる。そして父・耕治は、菅波へとゆっくりと近づき、彼の真剣な眼差しを見据え続ける。
まるで男同士が決闘するようでもあり、あるいは友情を確かめ合うような光景のようでもあり・・・ 百音はそこには入っていけずに、「ただ見守るしかない」といった様子だ。そして父・耕治は、このように語りかける。
そして菅波の真摯な『はい』という返答を受けて、二人の間に立っていた百音を " 上手方向の菅波の横へ " と突き飛ばした。
さて、父・耕治のこの行動も、非常に象徴的なものだろう。過去の記事でも指摘した通り、『汐見湯』のコミュニティースペースでのシーン設定では、引き戸(黄色の線)を境界線として「ここを境として、世界が二分化されている」ということを表現しているわけだ。
それで、このシーンを観てみると・・・
このように、父・耕治が立っている下手側が " 地方側(来訪者側)の世界 " で、菅波が立っている上手側が " 東京側(居住者)の世界 " ということを、演者の立ち位置で表現しているものと思われる(厳密に言えば、引き戸の境界線を越えた上手側が " 東京側(居住者)の世界 " という表現)。そして百音が、" 両者の中間 " に立っているということも象徴的だろう。
それで、二人の中間に立っていた百音を、父・耕治が上手方向の菅波の横へと突き飛ばすという行動は、
[ 故郷・亀島のことは心配するな。百音は " 東京側の世界 " で、自由に楽しくのびのびと生きろ。そして " 東京側の世界 " で・・・ 二人で " 新しい未来 " を切り拓いて行け!! ]
といった、「 " 娘離れ " を覚悟した、父親の心情とそのエール」のメタファーのような表現ようにも感じられるわけだ。
そして、父・耕治の行動は・・・ " この発言 " とも完全に一致する。
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