" あなた " という存在を " 育んできた環境 " を垣間見れて・・・ 本当に良かった [第14週・3部]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回も第14週・「離れられないもの」の特集記事の3部ということになる。ちなみに、第14週・2部の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
それで今回の記事は、第14週・68話を集中的に取り上げた記事だ。この68話は、次週の第15週・「百音と未知」の伏線となるエピソードがふんだんに散りばめられているため、丹念に隅々まで観たい放送回だろう。
そして、この放送回でも『映像力学』的なギミックが、ふんだんに散りばめられているため、今回の特集記事でもその視点からの分析や考察、演者の表情や所作、シーン設定などから複合的に解釈・考察を展開する。
またお約束にはなるが、『DTDA』という手法 ( 詳しくはこちら ) も用いて、そこから浮き彫りになった登場人物や俳優の心情などを探りつつ、この作品の世界観の深層に迫っていきたいと思う。
○考えるより、まずは行動・・・ 決死の覚悟で起こした行動が " その境界線 " を乗り越え、" 新しい世界の扉 " を切り開く
『汐見湯』のコミュニティースペースで、青年医師・菅波光太朗(演・坂口健太郎氏)と語り合っていた、主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)。そこに故郷・亀島から、彼女の父・耕治(演・内野聖陽氏)と祖父・龍己(演・藤竜也氏)が上京して来た。
なぜ二人が上京して来たかというと、祖父・龍己の生産した牡蠣が品評会で金賞を受賞し、そのレセプションに出席するためだった。その夜は、龍己が手塩にかけて育て上げた牡蠣を使った " 牡蠣パーティー " が催され、その宴には・・・ なんと菅波の姿もあった!!!
百音の父・耕治は、どうやら菅波のことを " 娘の彼氏と思われる存在 " と認識し、気に入らない様子で・・・ 「この男を・・・ オレの目でしっかりと見定めてやる」といった無言のプレッシャーを加える。結局、菅波は帰ろうにも、帰れなくなってしまっていたようだ。
百音の祖父・龍己のご自慢の牡蠣を、男気を振りまきながら「美味いから食ってみろ!」とばかりに、菅波に差し出す父・耕治。
菅波は過去に「牡蠣を3回食べて、3回ともあたった」という経験から、非常に苦手としていた。しかし耕治の、
[ まさか・・・ オレの差し出した牡蠣を " 食わない " で帰るつもりか? ]
という威嚇満載の雰囲気で(?!・笑)で菅波を牽制し、彼の退路を完全に断ってしまっていた。
もう後がない・・・
と宣言し、「もう・・・ これは玉砕も致し方なし」といった、悲壮感が漂う菅波の面持ちを見て、
と必死に止めに入る百音だったが・・・ 目配せをする菅波の " その表情 " は、これまでに目にしたことがない形相で、さすがに彼女も驚きを隠せない。
一呼吸を置きつつ、百音と父・耕治が見つめる中・・・ 決死の形相で、牡蠣を口元に運ぶ菅波。
決死の覚悟で牡蠣を喉に流し込んで・・・ 恐る恐る飲み込んだ菅波。
と、想像以上の牡蠣の美味さに驚く菅波と、その感想にご満悦の祖父・龍己。
さて前回の記事でも、このシーンにどのような意味合いが込められているかということを考察したわけだが、今回もそれを深堀したい。
まず、菅波は過去に牡蠣を食した際に、「3回食べて、3回ともあたった」ということだった。本人が本人がアレルギーではないと語っているため、運悪く食中毒に遭ってしまったというところだろうか。
とは言っても、食べる度に食中毒に遭っているということは、菅波の中で「牡蠣を食べる」という行為そのものが、既に精神的トラウマになっている可能性は高い。
そして菅波は、より客観的に科学的に、そして合理的に自身の行動を決めていくという人物像だ。そして " リスクは最大限回避する " という人物像でもある。この後に、当直勤務が控えているという状況下なら・・・ 絶対に牡蠣を食べることは避けるはずだ。そして、運よく百音からの助け舟も出た。
しかし、この直前のシーンの " この光景 " が・・・ 菅波の潜在意識に訴えかけてくるわけだ。
引き戸を境界線(黄色の線)として、菅波が一人取り残されて " 孤立 " している・・・ この瞬間以降から、彼は完全に " 外様のポジション " に置かれたわけだ。
元来、菅波は人とのコミュニケーションが苦手だ。したがって、このシーンでは " 菅波の居場所の無さ " を表現しているわけなのだが、それと同時に、これから菅波が永浦家、特に父・耕治との関係性を構築していくにあたって、
[ " 百音の助け舟 " を頼りにしているようではダメだ。" 自分一人の力 " で、乗り越えねばならない " 境界線 " がある ]
ということを暗示しているシーンでもあるのだろう。したがって、百音の『先生・・・ 今日この後、当直ですよね。行かないと』という助け舟に乗って、牡蠣を食べず帰ったならば、" その境界線 " は乗り越えられず、今後の百音の父・耕治との関係性が「上手くいくはずがない」と、菅波は考えたのではなかろうか。だからこそ " 彼の哲学 " に反し、無理をしてでも牡蠣を食べるという行動に出たわけだ。
また元来の菅波は、物事を順序立てて筋道を通し、ロジカルに行動するという人物像だろう。「熟慮を重ねて、成功率を最大限まで高めてから初めて行動に移す」といったようなタイプと言ってもいいと思う。
その一方、百音は「考えるより、まずは行動・・・」という、菅波とは全く逆の気質を持った人物像なのだが・・・ 彼女のその行動力に、彼はある意味、" 尊敬と羨望の眼差し " を持っていたわけだ。そして菅波の中で " 牡蠣を食べる " という行為自体が、
[ 考えるより、まずは行動・・・ ]
ということの象徴でもあり、それを彼は " 初めて実行に移した瞬間 " ということにもなっているのではなかろうか。
そして菅波が " 決死の覚悟 " で起こした行動が・・・ " その境界線 " を乗り越えて、新しい世界の扉を切り開き、" 新しい境地へ " と誘うことに繋がるわけだ。
○一見、豪傑そうに見えるが・・・ " 繊細で優しい彼 " に大切に育てられてきた彼女。
牡蠣を食べ切った菅波の姿を見て、慌てる百音。
百音は、菅波が過去に高確率で牡蠣にあたっていたことを説明する。その話を聞いた耕治は、態度が一変する。
祖父・龍己に失礼の無いよう、菅波は必死にフォローするも、続けて百音が、
と語ったことで父・耕治は、菅波がこの後に出勤を控えていたことを知り、菅波の身体を気遣う素振りを見せる。
さて、このシーンでは一見、豪傑のように見える父・耕治が、実は非常に繊細で、優しい一面を持っているということを、菅波に知らしめることも狙っている。菅波が過去に高確率で牡蠣にあたった経験があり、この後に当直勤務が控えている知った瞬間から、
『ちょ・・・ 大丈夫か? 』
『仕事? おいおいおい、無理すんなよ・・・ 本当に』
と、菅波の身体のことを相当気遣っていたわけだ。
「繊細で優しい父・耕治を筆頭に・・・ 永浦家という温かい家庭環境で " 大切に育てられた百音 " ということが菅波に伝わっていく」といった機能を持たせた、シーン設定にもなっているのだろうと思う。
○客観的に見れば「二人は交際している」と捉えられても致し方が無いということを・・・ 彼女は既に知っている。
一方、牡蠣を無事に食べ切り、佳境を乗り切ったという安心感から・・・ 菅波は思わず、このような言葉を発してしまう。
この『お父さん』という言葉を発してしまったがために・・・ 父・耕治の " 感情の火 " を再燃させる結果になってしまう。
なかなか事態の収拾がつかず、困惑する百音。そこに百音のルームメイトで、幼馴染でもある野村明日美(スーちゃん 演・恒松祐里氏)が帰宅する。昔なじみの龍己と耕治の姿に、懐かしさを覚える彼女。
特に、耕治と菅波が並んで座っていることに、
とはしゃぐことで、さらに火に油を注いでしまう。
明日美の能天気さが " 事態の混沌 " をさらに助長し(?!) 、呆れかえる百音だった。
さてこの時点で、百音は菅波の対して恋愛感情を抱いているのか、否か・・・ 筆者も彼女の " この微妙な心の動き " に対して、非常に関心が高い。それで百音を演じた清原氏は、このように振り返っている。
そうなると、この第14週・68話時点では、菅波の対して " 恋愛感情を百音は自覚していない " ということになるのだが・・・ 「全くのゼロか?」というと、それも不自然すぎる。そのことは、このセリフにも滲み出ている。
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