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"モネ" が抱える "心の傷" とその再生を見届けることで・・・ 人生における哲学を学ぶ。


今日から始まるこのエッセイは、連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』を観たことがキッカケで書こうと思った。しばらくはこのシリーズの連載が、このnoteで展開されていくことになると思う。よろしければ、お付き合い頂ければ幸いだ(ちなみにこの記事は、著者のBLOGであるameba・2022年3月26日を再編集したものである)。


さて、Perfumeさんの主題歌がキッカケで、注目し始めた若き実力派女優の清原果耶氏。 今ではその透明感と凛とした佇まいの虜になっている。

そういったこともあって、最近では清原氏出演の映画やTVを漁って観まくっていたのだが・・・・・・ やはりとうとう彼女の代表作を避けては通れなくなってしまった。そう・・・・・ NHKの放送60周年を記念して作られた、連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』だ。



放送終了から4か月が経過しており、題材としてはフレッシュなものではないが・・・・・ 書きたいという衝動が止められない(苦笑)。


○『おかえりモネ』とのファースト・コンタクト


実は、『おかえりモネ』は少しだけリアルタイムで観たことがあった。最終週の第24週のしかも最終話のおそらく2~3回前の放送だ。しかもたまたま観たという。しかし、そのシーンはかなりインパクトが強かった。全く観たことがなかったので設定もわからない状態だったが・・・・・・ 演じる清原氏が海に向かって、おそらく妹役と思われる女の子に、

『みーちゃんが何度も何度も、自分を許せなくなるなら、そのたんびに私が言う。みーちゃんは悪くない』




この清原氏の演技で、一瞬にしてその世界に引き込まれてしまって・・・・・ 物語の事情もよく分からないのに、思わず目頭が熱くなっていた。
こんな素晴らしいドラマなら最初から観ておけば良かった(笑顔)。したがって、その後、最終回だけを全編通して観た。最終回だけだったが、素晴らしいドラマということが伝わってくる。

今回、この作品を最初から観ることに躊躇しなかったわけではない。なんてったって総放映数が120話。時間に換算すると合計30時間という超大作。時間が・・・・・ とはいっても。やはり " 女優・清原果耶 " を語るのであればこの作品は最初からしっかりと観ておかないと・・・・・ ということでようやく観始めた。



○まず、前半戦の「登米・気仙沼編」を観てみる


とりあえず視聴が前半戦の「登米・気仙沼編」の終盤に差し掛かったところで、少し思ったことを書きたい。

端的に言えば、冒頭の第1週の2~3話ぐらいから既に感動の嵐で・・・・ 号泣の連続。そして、「日本のTVドラマで・・・・・ ここまで高いクオリティの作品が作れるのか。このような高いレベルの日本のTVドラマを、著者は過去に観たことがない」というぐらいの圧倒な質感で、完全に脱帽という感慨が率直な感想だろうか。

元来、筆者は映画やTVドラマは好きな方なので、これまでも結構いろいろと観てきた方だと思う。しかし・・・・・・ ここまで丁寧に時間をかけて、丹念に人間の心模様を浮き彫りにして描いた作品を、過去のTVドラマでは観たことがない。最近観たドラマの中では、『透明なゆりかご (G-NHK・2018年) 』も非常に素晴らしかったのだが、時間を丁寧に贅沢に使って物語を紡ぐという意味で、どうしても『おかえりモネ』の方が勝ってしまう。

そして筆者がこれまで観てきたTVドラマの中では " 現時点での最高峰の作品である " と断言できるぐらい・・・・・  本当に素晴らしい作品だと思った。

こういってはなんだが、そもそも筆者はこれまで過去の " 連続テレビ小説 " をまともに観たことがなかった(苦笑)。忙しい朝の時間に・・・・・ しかも話数も多く、ストーリー展開も早くて1話でも見逃すと話についていけなくなる予感あったわけで。そして1話・15分という短い時間の中で、果たして作品に対して感情移入ができるのだろうか・・・・・ といったようなことが、これまでに視聴してこなかった一つの理由だと思う。

もう一つの理由としては " 連続テレビ小説 "から伝わってくる独特のテイストだ。これは先入観かもしれないが、筆者の中での " 連続テレビ小説 " のイメージは明るく爽やか、そしてバイタリティーあふれるヒロインが、さまざまな問題や課題に直面しても破天荒あるいは画期的な方法で、仲間と協力してテンポ良くどんどんと解決していくサクセスストーリー・・・・・ といったイメージだ。正直に言えば、筆者自身はそのようなドラマを求めてはいなかったわけで。ちなみに筆者自身の好みは、抑制的で内省的なテイストのドラマに心惹かれる傾向だろうと思う。

しかしこの『おかえりモネ』は・・・・・・ 筆者の先入観である " 連続テレビ小説 " の予想イメージを翻し、良い意味で完全に裏切られた。あまりのギャップに本当に驚いた。

まずは1話・15分というフォーマットが、決して短い時間に感じさせないというところだ。この作品は基本的にはアバンタイトルが挿入されるので、オープニングも含めるとドラマ本編は実質12~13分という感じだ。しかしそれでもまったく時間が短く感じられない。しかもストーリー自体がかなりゆっくりと、そしてじっくりと丁寧に丹念に進んでいくのにも関わらず、時間が足りなくなって、" 放送枠にしっかりと収まっていない " といった雰囲気も微塵も感じさせない作りなのだ。

各話には短い時間しか与えられていないのに・・・・・ ゆっくりと、じっくりと贅沢に時間をかけて、丁寧に丹念にドラマを紡いでいく。現代の日本のTVドラマで・・・・ このような制作手法をとっていることが奇跡とさえ思えてくる。

まぁ、これは1話・15分と言えども、ストーリー展開は1週間分の75分単位で構成され、その " 1週間・75分単位 " で一つの起承転結の流れが提示されているというところが、各話を短く感じさせない要因なのかもしれないが。


また興味深かったのが、アバンタイトルやオープニングさえも、かなり丹念に計算して作られているというところだ。というのも、オレはレンタルDVDを借りてこの作品を観ている。そうなると本来であれば、各話ごとのアバンタイトルやオープニングは飛ばして観た方が効率的だ。しかしそのように飛ばして観てしまうと・・・・・ そこはかとない物足りなさを感じてしまうというのが不思議な感覚で、かなり意外に感じたわけだ。

要するにアバンタイトルやオープニング、本編、エンディングのすべてが完全に調和されて作られているからこそ、すべてを通して視聴しないと物足りなささえ感じてしまうのだろう。これはNHKがこれまで作り上げてきた " 連続テレビ小説 " というフォーマットのノウハウが効いている証拠なのかもしれない。

そしてもう一つ意外だったのは・・・・・ この『おかえりモネ』という作品には、筆者がこれまで " 連続テレビ小説 " というものの典型的イメージとして抱いてきた  " 明るく爽やか、そしてバイタリティーあふれるヒロイン " というものが登場してこないというところだ。

清原果耶氏演じる主人公の永浦百音 (モネ) は・・・・・ 心の傷や闇を抱えているということで、これまでの " 連続テレビ小説 " のヒロインと比べて圧倒的に暗い印象なのだ。もちろん明るいシーンもあるのだが、笑顔であってもどことなく表情が虚ろというか曇っているというか。笑顔の背後にそこはかとない悲しみが潜んでいるというキャラクターだ。

しかもストーリー自体が扱う内容もかなり重く、暗い。しかし、それをゆっくりと、じっくりと丁寧に丹念に描くことで、むしろ物語のリアリズムを浮き彫りにし、主人公や登場人物にシンパシーを感じながらその心模様に引きずり込まれるが如く、視聴者が感情移入できるといった作品になっている理由なのではなかろうか。

これに類似したテイストを感じさせるのが、名作・『北の国から(CX系) 』というところになるのだろうが、『おかえりモネ』の方がその品格は圧倒的に高いと思う。


さて、実際には『おかえりモネ』は、視聴率はあまり芳しくなかったようだ。確かに、重く暗いテーマの・・・・・ しかもセリフは少なく、囁くような会話のシーンが多用される。間接的な表現も多く、感情表現は抑制された演技が中心的で、ストーリー展開は非常にゆっくりと進みテンポがかなり遅い。このようなドラマを朝から観たいかと問われれば・・・・・(苦笑)。まぁ、これまでの " 連続テレビ小説 " を観るファン層というのは " 明るく健やか、そしてバイタリティーあふれる爽やかなものを求めている " ということが視聴率にも反映された感じだろう。したがって『おかえりモネ』というドラマは、放映当初から賛否が分かれていたようだ。

しかし" ドラマのクオリティ " という意味で捉えると、『おかえりモネ』という作品は " たとえTVドラマのフォーマットであったとしても・・・・ ここまで高いクオリティで描くことのできる作品が作れるのか " といった意味合いで世の中に驚きを与えただろうし、日本のTVドラマ史を考えても、やはり最高峰の中に入るのではないかと思う。


その証拠として、『おかえりモネ』は視聴率では苦戦したが、配信サービスの『NHKプラス』はサービス開始以来、歴代の" 連続テレビ小説 "の中で最高視聴率を記録し、有料配信サービスの『NHKオンデマンド』でも2021年度に配信した全番組の中で、最多視聴数を叩き出している。リアルタイム視聴率より配信サービスが好調だったことが、このドラマの立ち位置を表しているようにも思える。

また、その反響としてはSNS上では『#俺たちの菅波』のハッシュタグが定期的にトレンド入りするなど、社会現象的なうねりをも生み出したわけだ。


○このドラマが描く世界観


さて、まだ前半戦の " 登米・気仙沼編 " しか観ていないわけだが、このドラマの基本的なコンセプトは " 大切なものを理不尽に奪われ、あるいは失ってしまった人々の心の叫び " と " その心の傷を受けた人々の再生の過程、それを経ての人間的成長を描く  " といった感じだと思う。


さらに言えば、地方の一次産業の斜陽の問題とそこで格闘する人々と、その成果物を享受しながらもそれらの問題に関心を示さない都市部の人々との分断と対立も描かれている。このドラマのチーフディレクターである一木正恵氏がこのように語っているのが興味深い。

『もし朝ドラをやるならば、現代に横たわる大きな課題に目を背けたくないという思いは強くありました。それは気象災害と、今の圧倒的な「生きづらさ」です。』

○「おかえりモネ」公式HPより



この一木氏が語った " 現在の日本に漂う「生きづらさ」 " というものは、筆者自身も以前の記事に書いたように、このようなものだと感じている。



" 我々は常に勝ちを求められ、強さを求められ、困難に立ち向かうことを求められ、結果を求められる。負けること、弱さを受け入れること、困難から逃げること、頑張らないことは認められない "



現代の我々はこのような " そこはかとない強迫観念 " に縛られているように感じられる。もっと言えば、このような強迫観念はドラマ制作の分野でもあるのだろうと思うのだ。

" YouTube世代 " が多くを占める現代で、人間の心模様を丁寧に紡ぐようにセリフを少なく、行間に丁寧に時間をかけてシーンを展開すると・・・・ 「ストーリーが進まないムダな時間じゃないか!! 編集しろよ!!」 といった雰囲気が漂い、チャンネルを変えられてしまうのではないかという強迫観念と、そのジレンマに制作者サイドも陥っていると思う。  このドラマの脚本を手がけた安達奈緒子氏がインタビューでこのように語っていることが象徴的だ。

『 「ゆっくり」 「時間をかけて」 表現してよい場は、今あまり残されていないように思います。一見して魅力的だと感じてもらえないと切られてしまうし、長いと最後までつきあってもいただけない。』

○「おかえりモネ」脚本・安達奈緒子が見た清原果耶の凄み「信じ切って書いていました」(シネマトゥデイ・2021年)


要するに、現代の日本という社会から余裕というものがなくなり、それとシンクロするように " 許容する心 " というものがどんどん失われてしまっているということを、我々は肌感覚で感じているのではなかろうか。この『おかえりモネ』はこういったことに対しても問題提起をしているドラマになっていると感じられるのだ。

ここで非常に興味深いのが、このドラマと同じく清原果耶氏が主演した、 『ファイトソング(2022年・RX系)』 とのテーマやコンセプトの類似性だ。この 『ファイトソング』 も " 理不尽に奪われ、あるいは失ってしまったことからの再生 " をテーマにしている。震災や " この禍 " 、現在進行形で東ヨーロッパでは理不尽に人々の命が失われ続けている。それらに対する救いというものをこのドラマは提示しているのではなかろうか。

また " 現在の日本に漂う「生きづらさ」 " から一旦逃げてもいいんだよということを、このドラマは提示しているようにも思えてくるのだ。

地上波で放映されるドラマは世相を反映すると言われているが・・・・  主演に清原氏をキャスティングしたことも含めて、『ファイトソング』は現代の世相と『おかえりモネ』の影響を相当受けているように思えてならない。


○清原果耶×安達奈緒子×高木正勝


さて『おかえりモネ』の脚本を書いたのは、『透明なゆりかご (G-NHK・2018年) 』でも脚本を担当した安達奈緒子氏。主演の清原氏とは二度目のタッグとなる。この『透明なゆりかご』も、非常に丹念に作られた素晴らしい作品だった。

安達氏が描く脚本の特徴は、セリフやストーリー展開に頼らず、俳優が語るセリフの行間とその表情や目線、そして身のこなしで人間の心のヒダやその機微を表現しようとする。こういったドラマは " 女優・清原果耶 " が最も得意とするところで、最適解的なキャスティングとも言えると思う。

また重く、暗いドラマが展開されるが、決して湿っぽい雰囲気はあまり感じられず、むしろそこはかとない爽やかな清涼感が感じられる。これも清原氏が有している清涼感が映像を通して伝わってきているのだろう。


そしてセリフが少なく、行間にじっくりと時間を使うシーンで、登場人物の心模様を的確に表現し、ドラマを効果的に盛り立てているのが、高木正勝氏が手掛ける劇伴の秀逸な響きだ。
例えばキーポイントなるシーンで多用されるものの一つに挙げられるのは、坂本美雨氏が歌う『天と手』という楽曲だ。




バッキングのオルガンの響きと坂本氏の歌声が溶け合い、コーラル調の雰囲気が讃美歌のような宗教音楽にも思えてくる。心の傷や闇を抱える主人公や登場人物の心を癒すかのようだ。特にセリフが少ないシーンでは高木氏の劇伴が非常に効果的に作用している。


さて、もし『おかえりモネ』の主演が清原氏でなかったとしたならば・・・・・・ このドラマは途中で空中分解したいたかもしれない。それぐらい演じる者を選ぶ作品だろうと感じられる。そういった意味でも、清原氏の演技は説得力のある素晴らしいものだ。そして清原氏がインタビューでこのように語っているのが非常に興味深い。

『私が言うのはおこがましいのですが、“安達さんらしい”と言いますか、物語に空間のある、役者に芝居をさせてくれる台本だったので、読んだときから演じるのがすごく楽しみでした。「透明なゆりかご」でご一緒していたこともあり、安達さんも私の芝居の癖を見て書いてくれた部分もあるのかなと勝手に想像しています。』

○「清原果耶、『おかえりモネ』脚本・安達奈緒子に全幅の信頼 "演じるのがすごく楽しい"(Real Sound)」より


さらに、清原氏は主演を預かる者として共演者に対しても求心力を持ち、率先して現場をまとめるといった " 主演の役割 " をしっかりと担っていることが映像からひしひしと伝わってくる。そして、その堂々とした " 肝の据わり方 " が・・・・・ 清原氏は撮影当時18歳だったが、覚悟を決めた心意気とそれから醸し出される圧倒的な存在感は、とても若干18歳の若手女優とは思えない。さらに清原氏は主人公が26歳に至るまで演じ切る。凄い。


さて安達氏の脚本は、伏線の張り方とその回収も非常に上手い。
かなり以前に張られた伏線が、視聴者が "忘れるか・忘れないか " のギリギリのタイミングのところできれいに回収する。さらに言えば、その伏線の回収で物語がよりドラマチックに動き、圧倒的な感動を呼ぶ。この辺は見事としか言いようがない。その一方では視聴者のリテラシーが相当試されるという側面もあると思う。

要するに " 視聴者に対して丁寧で、分りやすい説明的な要素はあえて入れない脚本 " と言っても過言ではないだろう。だからこそ、むしろ物語のリアリズムが浮き彫りなり、ドラマの説得力が増すのだ。そして、すべてを見落とさないように注意深く物語を捉えていくと、この上ないほどの感動が待っている。一瞬でも見落とせない・・・・・ まぁ、朝ドラとしてはなかなかハードルが高いか(苦笑)



いずれにしても、『清原果耶×安達奈緒子×高木正勝』・・・・・ 奇跡のような組み合わせだ(笑顔)。



○ " モネ " の心の傷の再生とその成長を "一緒に歩みを合わせながら" 見届ける


このドラマのテーマとしては、東日本大震災を経験したヒロインとそれを取り巻く人々の心の傷とその闇、自然に対する畏怖、それを経てからの再生。そしてヒロインの青春の日々と人間的成長の8年間を描くものだ。そして基本設定としてはこのような感じとなっている。

まず、清原果耶氏演じる主人公の永浦百音(愛称・モネ)は、気仙沼の離島の亀島(架空の島)で育った。小さい頃から音楽が好きで、中学時代には吹奏楽部の部長を務めるといった、明るく活発でバイタリティーあふれる女の子だった。


東日本大震災の当日は高校受験の合格発表を確認するために、父親と本土の仙台に出向いていたことから故郷から離れていた状態で被災した。したがってようやく島に戻ることが出来たのは、震災から数日たってのことだった。この出来事によって、「家族や仲間が・・・・ 故郷が・・・・ 一番大変だった時に自分は何もできなかった」という自責の念を抱え、仲間や家族、そしてたった一人の妹に対してさえ、後ろめたさを感じていたのだった。

この日以降、百音からは元来の明るさは消え、楽器の演奏も完全にやめてしまって無気力状態で高校生活を過ごす。その影響からか、大学受験もすべて失敗してしまう。

「故郷が一番大変だった時に自分は何もできなかった」という思いに耐えられなくなった百音は、亀島から離れることを決意し、祖父の知り合いを頼って山間の街である登米市米麻町(架空の町)の森林組合で働き出す、といった " 彼女の2014年・18歳の春 " からこのドラマの第1話が始まる。


冒頭の第1週目・2話目から、既に感動的で号泣必須なのだが・・・・・・ これについては次回の記事で書きたいと思う。


『視聴者の方々とドラマの中で生きる人たちが、「ゆっくり」 「時間をかけて」 関係性を構築することを許してくれるのが 「朝ドラ」 であり、やはりとても貴重な場だったと思っています。』

○「おかえりモネ」脚本・安達奈緒子が見た清原果耶の凄み「信じ切って書いていました」(シネマトゥデイ・2021年)



まだ観ていない方々・・・・・・ これから " モネ " の心の傷の再生とその成長を・・・・・ ゆっくりと時間をかけて、一緒に見届けませんか?(笑顔)


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