noteと演劇:大切なプラットフォーム
傑作をつくろうとしていた。2022年。
僕は焦っていた。自分では焦っているつもりなんて、ちっともなかったんだけど、昔いっしょにお仕事させてもらっていた人が、僕の傑作を観たあと感想を述べた。
「生き急いでる印象を受けた」
「そうかなぁ……」おれは生き急いでんのかなぁ……終演後のメール。招待客にお礼とともに、傑作に込めた思いを文章にして、送信した。
「今後とも焦らず、確かな仕事をなされることを祈念いたします」
なるほど。やっぱり僕は焦っていたんだな……
傑作をつくって僕の焦りは解消されたのかというと決してそんなことはない。あのときの僕が焦っていると言われるなら、今の僕はもっともっと焦っている。焦りが創作の原動力になっている。
『斗起夫』のゲネプロのことを、たまに思いだす。
本番ではなくて、なぜかゲネプロのことを思いだす。本当に素晴らしかった。自分が書いたり演出したりしたものを「素晴らしい」とか言うのはどうなんだろう、と思われるかもしれない。けど、出演者やスタッフの力があって、『斗起夫 -2031年、東京、都市についての物語-』という作品が、やっと仕上がった。この作品はもはや僕だけのものじゃない。だから、本当に素晴らしかった、と言ってしまってもいいじゃないか、なにせ本当に素晴らしかったのだから。
ゲネプロが終わったあと、スタッフと、俳優と、お話をした。
「ありがとうございます、自分がつくりたいと想像していたもの(あるいは、それ以上のもの)をつくることができました。これだけのクオリティのものが完成すれば、僕は、誰にどんな感想をいただいても「悔い」みたいなものを感じたりすることはないでしょう。これだけのものが完成すれば、僕は……」
そこで口を噤んだ。もう死んでもいい、と言おうとしたのだ。なんか、表現として適切じゃない気がして言わなかった。でも、もう死んでもいい、と思ったのはほんと。劇中にこんなセリフがある。
『斗起夫 -2031年、東京、都市についての物語-』を書いている最中に何度か思った。これを書き終えたら、僕にはもう、書けることはほとんど残されていないんじゃないか、と。
実際、公演が終わってから数日間はノイローゼ気味だった。正月どころじゃなかった。けれど、年始に2023年の目標をとりあえず立てて、そこから徐々に持ち直していった。
「もっと徹底的にやる」をフレーズに、自分の手もとにないものを手にしようとねだるのではなくて、今自分の手もとにあるもの(手札)を育てていこうと決心した。
noteは僕にとってたいせつなプラットフォームであり、重要な手札だった。
1月29日から毎日更新を再開して、今日まで途切れなく続いている。不調だからnoteを書く意欲を削がれるのか、noteを書かないから不調になるのか、どちらが先かはわからないけれど両者が関係しているということはよくわかる。だから、自分の調子のためにも、これからも途切れなく更新していきたい。
noteの良いところは、いろいろな題材を扱いながら、いろいろな書きかたをミニサイズで、お気軽に試すことができる点だと思う。
僕の場合は、毎回1000〜2000字くらいのnoteを毎日量産している。そうするうちに、表現の幅が、ぐんぐんと広がっているのを実感できるようになってきた。これはとてもいい兆候。
僕には基本的な方針がある。文章は自分のために書くべきだ。誰かのために書くものではない。そんな恩着せがましいことを僕はやりたいとは思わない。
自分のために書いた文章が、願わくば誰かのためにもなるかもしれない、それくらいの希望をこめて書くくらいがちょうどいい、という方針だ。
だから、僕は書き物をnoteに投稿したり、演劇にして上演したりしている。つまり、僕にとって、noteも演劇も書き物を公開するためのたいせつな「プラットフォーム」なのだ。
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