見出し画像

傑作ができました。ぜひ観に来てください。今日から12月30日まで北千住にて上演いたします。当日券もあります。お願いします。観に来てください。

『斗起夫』。本番初日の朝です。

ここ1週間は ふだんの3分の2くらいの睡眠時間しかとれていない。寝不足なんだけれど、コーヒーを多量に摂取しているせいか、まもなく本番を迎えようと、進行していくリハーサルなどを目の当たりにして高揚しているのか、はたまたプレッシャーを感じているのか……そのせいで眠気はほとんど感じない。

昨夜のゲネプロ。本当に素晴らしかった。自分が書いたり演出したりしたものを「素晴らしい」とか言うのはどうなんだろう、と思われるかもしれない。けど、出演者やスタッフの力があって、『斗起夫』という作品ができあがっている。この作品はもはや僕だけのものじゃない。だから、本当に素晴らしかった、と言ってしまってもいいじゃないか、なにせ本当に素晴らしかったのだから。

ゲネプロが終わったあと、スタッフと、俳優と、お話をした。

「ありがとうございます、自分がつくりたいと想像していたもの(あるいは、それ以上のもの)をつくることができました。これだけのクオリティのものが完成すれば、僕は、誰にどんな感想をいただいても「悔い」みたいなものを感じたりすることはないでしょう。これだけのものが完成すれば、僕は……」

そこで口を噤んだ。もう死んでもいい、と言おうとしたのだ。なんか、表現として適切じゃない気がして言わなかった。でも、もう死んでもいい、と思った。劇中にこんなセリフがある。

“死は、一生に一度しか訪れません。だから人は、一生に一度の死を前に、かならず傑作をつくりだします。それは決まっていることなんです。(後略)”

『斗起夫』上演台本

すべてのセリフは無意識のなかから生まれる。「書こう」と意識して書いたセリフほどつまらないものはない。僕は、ぺぺぺの会で劇作するようになってから一貫して「無意識で書くこと」を追究してきた。過去のnote記事にはその過程と紆余曲折がきっと記されている。で、今回、やっと無意識で書いたものを物語としていちおうパッケージングすることができるようになった。『斗起夫』は記念すべきその第1作目ということです。

第1作目にして、「傑作」なんて大きく出たな!

という感じだが、『斗起夫』を書いている最中は、自分はこれ以上のものを書くことはおそらくできないだろう、と思いながら書き進めていた。だから、すべてを書ききろう。書かなければならないことは、誰に遠慮することもなくすべて書ききろうと思った。

で、引用したセリフのことだ。あのセリフが無意識のうちから生まれてきたとき、僕は静かに誓ったのだ。ひとりきりの作業場で、確かに掌を胸に当てて、もう死んでもいい、と思えるくらいの傑作をつくろう、と。

傑作ができました。ぜひ観に来てください。今日から12月30日まで北千住にて上演いたします。当日券もあります。お願いします。観に来てください。


今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。