ぽんかん

1日1日は長いのに、1年はとても早い不思議。 過ごしてく中で忘れたくないことを綴ります…

ぽんかん

1日1日は長いのに、1年はとても早い不思議。 過ごしてく中で忘れたくないことを綴ります。 のんびりコーヒー淹れたり、飲食店でばたばた走り回るお仕事してます。

最近の記事

『心地よいアイロニー』

「優しいひとだね、いいひとだねって褒め言葉には、どうしたって皮肉が込められてるとしか思えないんだよね」 ガヤガヤと声が行き交う店内でそう語る彼女は、まさにそう、優しい人だ。職場でも請け負わなくて良い仕事まで背負ってあげてるのをよく見るし、人の悪口や陰口も言わず、いつも誰かをサポートしたり不満を聞いてあげる聞き手になってあげたり、誰から見ても良い人で、優しい人。ただ友達である私の前ではたまに毒を吐く。 「優しいね、良い人だね、なんてとりあえずの褒め言葉でしかないし、何よりそう言

    • 夜に爪を切る

      「できれば、帰ってきてお父さんの顔を見ておいた方がいいよ」 梅雨入りの報せを各々のニュースが謳う時期だった。母からそんな連絡が届いたのは。 ちょうど2023年を迎える直前、父は医師からステージ4の癌宣告を受けた。帰省していた私に、「俺癌になったわ!」なんて明るい口調で、ふざけたように語る姿は昨日のことのように思い出せる。 それから1年半の間。何度か帰って見ても、今までと変わらぬ様子で仕事に励み、趣味のゴルフにも没頭し、禁忌なはずの酒まで浴びるように飲む姿は、私を完璧に油断さ

      • 薄濁った色の虚栄心

        君は、この先男関係ずっと苦労をするよ、絶対。 飲んでいたハイボールが刺さるような痛みと共に身体中をめぐる、そんな錯覚さえ覚えた。瞬間的に怯えた目をした私の気持ちを察したのか、おじさんは小さく笑う。おじさんの手元の緑茶ハイの緑が妙に濁って見えて、まずそうだな、なんて思考の働かない頭で考えてみた。 きっと。という言葉だったらまだ救いがあった。おじさんは、絶対、といった。絶対、なんて私はなかなか言えた試しがない。だってその言葉を言ってしまうと逃げられないから。余程の自信と、それ

        • 人の痛みに無頓着すぎる怪物

          こういう人になりたい、なんて強い憧れは幼い頃からあったとしても、こんな人には絶対にならないようにしよう、という最低の基準ができたのは社会人になってからだった。 性善説とまで言ったら大袈裟かもしれないけれど、自分の周囲には本当に悪い人というのは存在しない、とまで思っていた純朴な私を作ったのは、恵まれて育った環境だったのだと思う。 年を重ねて、本当の意味で大人になったなあと意識できたのは、それこそ一定数確かに存在する、ズレた人の存在を知った時だ。 平気で嘘をつく人がいる。息を

        『心地よいアイロニー』

          日々を愛しむということ

          約9年間で6回。 これは、私が実家を出て上京してから引っ越しをした回数だ。 契約更新までの2年ともったのはたった1回だけ。あとは2年未満、酷い時は半年で引っ越したこともある。 引っ越し貧乏という言葉がまさに当てはまる状況をこの10年近く繰り返してきた。 転居にご立派な理由や事情があるわけではなく、一番多かったのは恋人との同棲&同棲解消。 直近もそれで引っ越したせいか、いい歳して親からは「結婚決めるまで同棲禁止」なんて指令が下った。 衣食住の中では際立って住に重きを置く性

          日々を愛しむということ

          勿体ぶらずにノスタルジックに浸っておけ

          5時間近く座り続けたら、いくら新幹線のふかふかの椅子でもお尻が痛い。 珍しく眠れなかった実家からの帰り道。 GW最終日。 母に手を振って、父からのLINEの文章を眺めて、新幹線に乗る瞬間の寂しさは、東京に帰ってきて普段使っている電車に乗り込むともう、氷の溶けて薄くなったアイスコーヒーのようにぼんやりとしたものになった。 特別だった約1週間を尻目に、じわじわと自分の日常にまた、体が溶け込んでいく。 1年間のうち、私が実家の敷居を跨ぐことができるのは約3回。 それもいまは幸福

          勿体ぶらずにノスタルジックに浸っておけ

          可能性に賭けずにはいられない

          はじめてステージに立った時、見上げるお客さんたちの視線に触れた時、あ、ここだ、ここが居場所だ、なんて確信に似た気持ちを覚えた。 キャパシティ100人もいかないようなぼろっちい小さいライブハウスのステージの上で、遠慮なしに光る照明に照り付けられた私は、抑えきれない震えとブワッと粟立った鳥肌を意識しながら、笑う。超引き攣った笑顔だったよ、と後に友人から言われたその笑顔は、後にも先にもこの場所以外で感じることのないであろう感動と期待に対しての怖いくらいの歓喜のそれだ。 毎日毎日

          可能性に賭けずにはいられない

          変化なんてうやむやにしてしまえ

          乾杯、と掲げたジョッキを控え目にぶつけ合う。コロナ禍でしばらく飲み会なんてものも自粛していたせいか、口に運んだビールは以前よりもずっと美味しく感じる。 ビールを心から美味しく思えたのはいつからだろうか。 20歳になって、はじめて合法で飲んだお酒はカシスオレンジだかカルーアミルクだか、甘ったるくて今や胸焼けがするようなものだったと記憶している。だけど当時、カシオレを飲む女は可愛こぶってると言われる謎の風潮があり、それを早々に察した私は自然と他のお酒にシフトチェンジした。それで

          変化なんてうやむやにしてしまえ

          青空を泳ぐ洗濯物

          風景美を意識して日常を過ごしたことない私だけど、あ、これなんかいいなと思う瞬間がある。 もし自分がカメラマンなら写真に収めたいと、画家なら絵に残したいと思うような、なによりも圧倒して視覚を刺激する一瞬。 実家のリビングの、フカフカの絨毯に寝そべって、よく晴れた青空をベランダに続く大きな窓から見上げる。時刻は12時。 母が午前中に干した洗濯物が、ゆらゆらと揺れるその間から、垣間見える雲ひとつない青色。 容赦なく照り続く太陽の光が、洗濯物の白に反射して眩しい。 時間がゆっくり

          青空を泳ぐ洗濯物

          頑張る理由が欲しかっただけなのかもしれない

          仕事をしていて、思わぬ壁にぶつかる瞬間というのがある。 自分が思い描いていた理想のようなものに辿り着くためのロードマップが何一つうまくいかない。 私は何か行動をする前に、大成功した時を考えてやる気を出すタイプだから、現実とその想像が離れれば離れるほど焦ってしまう。軌道修正しようと頑張るのだけど、あ、これもうだめだ、と底が見えてしまった時、とんでもない絶望感に襲われる。 大成功を考えるということは、自然と大失敗パターンも考えてしまっているもので。こうだけはなりたくない、これ

          頑張る理由が欲しかっただけなのかもしれない

          他人に気を遣う分だけ、自分にも気を遣えたら良いのに

          「あなたが思っているほど、他人はあなたのことを気にしていないのよ」 「気を遣いすぎ。楽に生きなよ」 私が特段仲のいい人にだけ本音をぶちまけると、大体こんな言葉が返ってくる。 っていっても、私が本音をぶちまけた機会なんて数えるほどしかないし、ぶちまけた人なんて30年近く生きてきて片手で収まる程度の人数に過ぎない。その1人に母親が入るあたり、え、私生き辛い生き方しすぎてない?と思うのだけど。 最近よく言うHSP(ハイリーセンシティブパーソン)なんて言葉に自分が当てはまるんじゃ

          他人に気を遣う分だけ、自分にも気を遣えたら良いのに

          嫌いな奴って大抵嫌われてることに気づいてないから厄介

          目の前のリンゴが美味しいよって話をしてるのに、いやいや私があの時食べたブドウが美味しかったのよ、と返してくる同僚の女がいる。 私は今ここにあるリンゴの話をしてんだよ馬鹿野郎、という気持ちを抑えてそれはどんなブドウだったの?なんて愛想笑いで聞いてみたりはするくらいは、私は大人でいれてはいる。一応。 彼女は話のすり替えが大好きで、どうやら自分が話題の中心でないと気が済まないようだ。自分に興味のない話、入れない話が続いてしまうとヘソを曲げてしまう。それどころか、人が良いと評価し

          嫌いな奴って大抵嫌われてることに気づいてないから厄介

          ショートショート 『早死にクズィ』

           もう時効だろうから。  なんて前置きとともに彼女が並べた言葉が、瞬間的にはじけて、深くに眠っていた傷を掘り起こすように痛みつける。衝撃的というのはこういう時使う言葉なんだろう、と場違いにもそんなことを考えて。唖然としてしまって止まった空気を壊すように、笑ってみせた。苦笑だ。自虐だ、と思いながらも大きく笑う。ほんと最低だなーなんて他人事のように言って、捨てられた、理解しきれなかった言葉を拾う。  付き合っていたはずの彼には、ずっと彼女がいたらしい。  つまるところ、私の方が

          ショートショート 『早死にクズィ』

          麻婆豆腐のルーツはお婆ちゃんではないらしい

          xyzという名前のお酒がある。 ラムベースのカクテルで、レモンの酸味とオレンジの甘さのバランスが取れた、飲みやすいすっきりとした味わいらしい。 私は20歳の頃、働いてたカフェバーでこのお酒を知った。 「不思議な名前ですね」と店長に言えば、 「xyzってアルファベットの最後の3文字でしょう?だから、これ以上はない、これ以上のものは作れないって意味なの」と教えてくれて、当時の私はその名前の所以にやけに感心したものだ。 このカクテルの発案者は、この名前を思いついた時どんな気持ち

          麻婆豆腐のルーツはお婆ちゃんではないらしい

          生温くなって不味い、あの日のハイネケンが飲みたい

          「あなたは一体何をしたいの?何を目指してるの?」 意気揚々と自分の夢を語れた10代の頃はなんとも思わなかったこの質問。実は今は聞かれたくないことナンバーワンだったりする。 あ、私なーんも特別な人間じゃなかったんだ。 そう、気づいてしまう瞬間があると思う。 自分よりずっと秀でた人を見てしまった時。 続けてきたことがいつまでも報われないで、何度も何度も誕生日を迎えた、とき。 20代前半のときの私の周りには、夢を持った人がたくさんいた。 中でもバンドマンの知り合いがとても多く

          生温くなって不味い、あの日のハイネケンが飲みたい

          「あの人、なんかプーさんの尻に似てますよね」

          そんな強烈なパワーワードを真顔で吐く後輩がいる。 それは限界が来た私が、とある人物が腹立たしくてたまらない、という話をしていたときに出てきた言葉だ。 当初は確実に苛々と悶々としていたはずなのに、この後輩のひとことに意識をもっていかれてしまい、今となっては正直何に腹を立てていたのか忘れてしまった。(きっとその程度のくだらないことだったのでしょう) プーさんの尻に似てる、ってそのワードだけでも十分に笑えるのだけれど、画像を見てみると、本当にそっくりで。その抜群の例えのセンスに「

          「あの人、なんかプーさんの尻に似てますよね」