見出し画像

人の痛みに無頓着すぎる怪物

こういう人になりたい、なんて強い憧れは幼い頃からあったとしても、こんな人には絶対にならないようにしよう、という最低の基準ができたのは社会人になってからだった。

性善説とまで言ったら大袈裟かもしれないけれど、自分の周囲には本当に悪い人というのは存在しない、とまで思っていた純朴な私を作ったのは、恵まれて育った環境だったのだと思う。

年を重ねて、本当の意味で大人になったなあと意識できたのは、それこそ一定数確かに存在する、ズレた人の存在を知った時だ。
平気で嘘をつく人がいる。息を吐くように、素知らぬ顔して、罪悪感もなしに人を傷つける言葉を吐ける人だっている。利己の為に他人を裏切って貶めて、這いつくばる人を見下して嘲笑う人もいる。

今まで気づかなかったわけじゃない。
子供のコミュニティの中にもきっとそういう人はいたし、でもきっと、純朴な私は、そういたかった私は、気付きたくなくてそこに理由づけをしていたのだ。

理由もなく人を傷つける人がいるってことを、そんなことを平気でできる人がいるってことを、知りたくなかったから。

社会に出てみて、個々の自己顕示欲やお金が絡む世の中では、それが無視できなくなってしまった。
汚い人や悪い人は、その基準がズレた人はたくさんいて、そこに私がスッキリできる意味や理由なんて存在しないのだ。

無意識に人を傷つける言葉が吐ける人が多いなあ、なんてぼんやりと思い始めたのが最初で、いや違うなこれ、意識してるからこそ言ってるんだ、なんてことに気づいたとき、とんでもなく気持ち悪かったあの感覚を私は忘れない。

こんな人には絶対にならないようにしよう、と強く思う。
その基準だけは絶対にズレないように生きていこうと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?