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ショートショート 『早死にクズィ』

 もう時効だろうから。
 なんて前置きとともに彼女が並べた言葉が、瞬間的にはじけて、深くに眠っていた傷を掘り起こすように痛みつける。衝撃的というのはこういう時使う言葉なんだろう、と場違いにもそんなことを考えて。唖然としてしまって止まった空気を壊すように、笑ってみせた。苦笑だ。自虐だ、と思いながらも大きく笑う。ほんと最低だなーなんて他人事のように言って、捨てられた、理解しきれなかった言葉を拾う。

 付き合っていたはずの彼には、ずっと彼女がいたらしい。
 つまるところ、私の方が浮気相手だったと。
 漫画やドラマでありがちな話は、紙面の中だと画面の中だと自然と場面として流れていくのに、現実になって自分に降りかかるとなるとこんなにも。こんなにも、感情を揺さぶって、思考を停滞させて、衝撃的なものになるのか。

「あいつほんと最低だよ。別れてよかったよ」

 目の前の彼女が紡ぐ言葉に肯定しながら笑顔を作る。時効。時効だから。こんな感情に、こんな衝撃に、時効なんてないのだろう。きっと何年後に聞いても変わらず、いやむしろもしかしたら大きくなって古傷を痛めつけるのかもしれない。
 沸々と生まれる、体の中を巡る気持ちがなんなのか言葉にできない。怒りでもあったし、悲しさでも悔しさでもあったんだろう。
 私は彼のついた嘘の中で踊らされて、勝手に溺れていたのだ。
「溺死、か」
「ん?」 
「んーんなんでもない」
 手元のビールを飲みながら、水の中で死んでいく自分を想像する。甘さと苦さが交差する、心地のいい水の中だった。
 目を瞑る。あどけない笑顔、いつもつけている香水の香り。思い出す姿を、頭の中で塗りつぶす。忘れるわけじゃなくて、思い出さないようにするために。
 水の中沈んでいる私の、微かに繰り返す呼吸を、そっと止めてあげるために。

「いま、ほんとに死んだなって」
 きっと、安らかな死に方ではないけれど、だけど確かに止まった呼吸を実感する。
「え、なにが?」
 支離滅裂な発言をする私を、彼女は訝しげに見て首をかしげた。手元のグラスの中で、ブルームーンに浸かったオレンジが揺れる。揺れては、グラスに張り付いた水滴を水面に放つ。
 呼吸をしているようだな、とおもった。

「私の、惨めで幼い、クズでどうしようもない」
 恋が、死んだなって。
「……御愁傷様」

 ぐ、と飲み干したビールが、炭酸が、苦さが、体の中を巡っていく。
 早死に、だったな、と。そんなことを考えて。
 自重気味に笑った。

#ショートショート

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