生温くなって不味い、あの日のハイネケンが飲みたい

「あなたは一体何をしたいの?何を目指してるの?」

意気揚々と自分の夢を語れた10代の頃はなんとも思わなかったこの質問。実は今は聞かれたくないことナンバーワンだったりする。

あ、私なーんも特別な人間じゃなかったんだ。
そう、気づいてしまう瞬間があると思う。
自分よりずっと秀でた人を見てしまった時。
続けてきたことがいつまでも報われないで、何度も何度も誕生日を迎えた、とき。

20代前半のときの私の周りには、夢を持った人がたくさんいた。
中でもバンドマンの知り合いがとても多く、当時は月に何度もライブハウスに足を運んだ。
見上げた先のステージに立つ、彼らの姿は脚色なしにキラキラとしていた。
打ち上げで酒を片手に熱く大きな夢を語る彼らが、私はとても好きだった。

ライブに行くたびに、Twitterで感想を書いた。
140文字に収めるのが難しくて、溢れ出す感情を抑えて縮めて、出来上がった文章は支離滅裂になってしまったり。そのくらい、うまく言葉にできないくらい、感動していた。

30も目前にして、私の心を動かしていたはずのバンドマンたちは、軒並みライブハウスから足を遠ざけて行った。
「活動休止」という名目を置いて、みんな就職やら結婚やら、現実の道を歩んでいく。
気づけば私も「あれ、ライブに行ったの何年前だっけ?」なんて。

本気で夢を追っていた人たちが、諦めていく姿を見る方もクるものがあるね。なんて語ってみるけれど、そんな私ももう何年もライブハウスになんて行ってなかったのに、彼らの夢を目指す軌跡なんて辿ってなかったのに、良く言えたものだ。

自分は簡単に状況に合わせて変わっていくくせに、変わらないものを探し続けている。変わらないでいてくれるものを、探し続けている。
自分が諦めてしまった未来を、夢を、無責任にも他人に託してしまっているんだろう。
売れてしまったバンドを、急に有名になったインフルエンサーや作品を、私は昔から知っていた、売れると思っていた、と豪語するように。

一丁前に人に夢だけ託し、気づけば何者にもなれていない自分を意識しては辟易する。想像の中の自分と、現実の違いに嫌気がさす。

あなたは一体何がしたいの?
そんなの自分にもわからない。
何を目指しているの?
目指していたものが、高望みだと気づいてしまったから。

先日、数年ぶりにまだ夢を追い続ける友人のライブに行った。
久しぶりのライブハウスにドキドキワクワクする気持ちはあった。懐かしさに胸も熱くなった。
だけど、うまく感動できなかった。
140文字も感想が書けなかった。

ステージで歌い続ける、輝き続ける彼らの姿は変わらないはずなのに。
それを見上げる私の方が、変わってしまったから。

気付きたくなかった。
彼らを見て、あの眩しい気持ちを思い出せなくなってしまった自分を、見たくなかった。

痛感して、苦しくなって、悔しくなって、ライブの後友達と飲み交わした、キンキンに冷えたビールはなんだかすごくおいしいし。

ライブハウスの熱気で生温ーくなってまずくてたまらない、あのビールがまた飲みたくなってしまった。

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