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麻婆豆腐のルーツはお婆ちゃんではないらしい


xyzという名前のお酒がある。
ラムベースのカクテルで、レモンの酸味とオレンジの甘さのバランスが取れた、飲みやすいすっきりとした味わいらしい。

私は20歳の頃、働いてたカフェバーでこのお酒を知った。
「不思議な名前ですね」と店長に言えば、
「xyzってアルファベットの最後の3文字でしょう?だから、これ以上はない、これ以上のものは作れないって意味なの」と教えてくれて、当時の私はその名前の所以にやけに感心したものだ。

このカクテルの発案者は、この名前を思いついた時どんな気持ちだったのだろう。

我が家には、「諭吉」という名のハムスターがいる。
もうすぐ1歳を迎えるキンクマハムスターだ。
「ハムスターを飼いたい」とふと思い立って、同居している恋人と一緒に、ペットショップを何店舗も回った末に出会えた可愛い可愛い男の子。
恐ろしくビビりなこの子は、店員さんに連れ帰る用の箱に入れられる際も逃げ回っていた。
帰り道、山手線に乗りながら、名前を考えた。なぜかその日はケンタッキーが食べたくて、ケンタッキーにテイクアウトしに寄ったのだけど、名前、「カーネルサンダース」はどう?なんて直感で言ったら恋人からすぐに却下を喰らった。
ありきたりな名前から、一風変わった名前まで案が出る中、ピンとするものがなかなか見つからない。

帰宅して、以前買っていた今は亡きハムスター(名を栗饅頭という)の小屋に、再び床材を敷いていく。栗まんじゅうは最後、たらふく餌を食って眠るように息を引き取った。
幸せな思い出がたくさんの小屋の中に、新たな住居人を放つ。小心者なそいつは、すぐに影に隠れて、けれど私たちを窺うような仕草を見せた。数日はそっとしといてやろう、とゲージの上にバスタオルをかけて、「これからよろしくな」なんて声をかけたその時、
ふと浮かんだのが「ゆきち」
諭吉という名前だった。

「こいつは諭吉にしよう」

私はぴったりの名前だ!と確信を得ていたのだけど、恋人はそうでもなかったみたいで、訝しげな表情をする。
けれど反論は受け付けなかった。私の中で、もうこいつは諭吉だった。

名前の由来は?なんて聞かれたら、「一万円冊の福沢諭吉のように、みんなに愛される存在になりますように」なんて後付けのように言えてしまうけれど、実際は直感だ。
名前なんてそんなもんなんじゃないかな、と思う。

諭吉はすくすくと育って、ビビりなところは変わらないけれど、餌をあげる私や恋人へは少なからず心を許してくれている。
特段食べ物への執着はすごい。
たまに貰い物のメロンなんかをお裾分けしてやるのだが、見たこともない食べ物にビビりながらも感動した様子でがっついていて、なんかわからないけどこういう生き方していこう、なんて見てる私が感心する瞬間もある。

「諭吉」は、良いことを諭すと書くが、本人は無意識ながらも私たちにとってそう言う存在になっているのだな、と。

私は、祖父から願いを込めてつけられた自分の名前がとても気に入っている。
由来を聞いて嬉しく思ったし、そう生きたいとも思った。
違う名前だったら今の自分のように育っていないような気もする。

きっと、私も無意識ながらも名付けられた名前に近づこうと生きている。

xyz。これ以上はない究極のカクテル。
私は実はいまだにこれを飲む機会に出会っていないけれど、きっと飲んだ際は名前の通り、究極の味を感じるのだろう。
あの日その名前の所以を聞いた時からそれは、決まっているのだ。

名前には、そういった力があると、私はずっと思っている。

#ペットとの暮らし

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