見出し画像

潰れたガストを見てセンチメンタルになる


緊急事態宣言がやっとのことであけて、先日、実に3年ぶりくらいに実家に帰った。
ガヤガヤと賑わう東京の街並みとは対照的な、静かで人通りの少ない故郷の道のコンクリートの地面は、なんだかすこーしだけ都会より柔らかく感じたり。
空気がうめえ!なんて、たいして分かりもしない空気の味を語ってみたり。
21時にはもう真っ暗な道中で、その暗さに大袈裟に驚いて騒いでみたり。
「東京に染まった」「都会っ子ぶる」私を、母は笑ってみていたが、心中何を考えていただろうか。

私が帰省する3日前に、母は誕生日を迎えた。
情けないことに母の誕生日がすっかりスケジュール帳から抜け落ちて忘れきっていたので、兄から「今日おかん誕生日だよね?」なんて確認のLINEがきてハッとして。同時に思い出せたことにホッとして。
お誕生日おめでとう!という月並みなメッセージと、ありがちなスタンプを送って。何歳になったんだっけ?なんて考ることもせず、母の顔を面と向かって拝める機会となって。

「なんか年取ったね」なんて第一声かましてしまった私は今考えるとだいぶ無神経。
「そりゃもう、還暦すぎてるからね」って母の返事に、ふと考え込んでしまう。還暦って60だよね? あれ、母さんもう60歳を過ぎてるの!?58.9くらいかと思ってた!って声に出して言ってしまえば、「若くみてくれてありがとう」なんて苦笑とともに冗談めいた声が返ってくる。

いやいや、お世辞とかではなく、私の中の母は完璧に59で止まっていたのだ。
先日63になったという。え、4年間どこいった??なんて、本気で動揺した。
まだ子供の頃の60歳のイメージなんて、だいぶおばあちゃんだったはずだ。そのイメージに、母の年齢が追いついてしまった。

帰省中は、目につくものすべてが私の知るものとは変わって見えた。変わらないものを探そうとするんだけど、そう、変わらないものを探そうとするくらいには全て変わってしまっていた。
ノスタルジックとはこういうことか、と。
帰省2日目の朝。数年誰も使うことのなかった懐かしいベッドの上で、理由のつけられない涙が流れたことは、私しか知らない。

「私、実家に帰ろうか?」

思わず出た言葉に、母は笑いながら首を振った。私が東京で幸せなら、それが一番だと。

帰省を終えて東京に戻ってきて、もう2週間が経とうとしているけれど、胸のつっかえがとれない。なにか硬くて凸凹したものが体の中心にいる。
私はどう転んでもこの大都会が好きで、楽しくて、まだやってみたいことも行ってみたいこともあって、一緒にいたい友人や恋人もいる。
ただ、会えないうちに、見ないうちに、故郷には変わるものって沢山あって。それを見えていないフリするほど子供じゃないし、客観視できるほど大人にもなれないのだ。

ただ思うのは、数年後の私が、「もしも叶うなら」と思い返した時に、あの頃に戻ってああしたい、こうしたい、なんて後悔に苛まれないように今、生きたいと思う。
どこで何が変わってしまっても、今のこの大切なものを噛み締めて揺れる気持ちだけは変わらないように。


#もしも叶うなら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?