見出し画像

青空を泳ぐ洗濯物


風景美を意識して日常を過ごしたことない私だけど、あ、これなんかいいなと思う瞬間がある。
もし自分がカメラマンなら写真に収めたいと、画家なら絵に残したいと思うような、なによりも圧倒して視覚を刺激する一瞬。

実家のリビングの、フカフカの絨毯に寝そべって、よく晴れた青空をベランダに続く大きな窓から見上げる。時刻は12時。
母が午前中に干した洗濯物が、ゆらゆらと揺れるその間から、垣間見える雲ひとつない青色。
容赦なく照り続く太陽の光が、洗濯物の白に反射して眩しい。

時間がゆっくり流れているかのように感じるその一瞬。なにをしている時間でもないけれど、幸せだなあと思う。

何気なく視界に収めていたそんな風景は、私が実家にいた18年間、これといった意味もなく存在していたもので、当時はたいして気にも留めていなかったのだけれど。
不思議なもので、久々に帰省してそれを見た時、「あ、これよこれ」なんて探していたものが見つかったようにスッとした気持ちが駆け抜ける。

一人暮らしの自分の家でも、彼氏と同棲し始めてからの二人暮らしの家でも、洗濯物と青空と太陽が窓から見える、なんてシチュエーション数え切れないくらいあったはずなのに、同じものであるはずなのに、どうして実家で見るそれはこうも心をくすぐるのだろうか。

面倒臭がりの私の干すシャツとは違ってよくシワの延びたシャツ。母の丁寧な性格を物語るように、綺麗にハンガーの向きまで揃えられた洗濯物。
その先の太陽や青空まで、鮮やかな色をしている、気がする。

幸せだなあ、と思わせてくれるその風景。
いつか私も自分に子供ができたとき、こんな瞬間を与えられたらいいなと思う。

フカフカの絨毯の上で寝転んで、窓の外を眺める子供の姿を見て、次はその風景を「幸せ」と名付けたい。

そう思いながら、普段よりは少し丁寧に、母を真似てシャツのシワを伸ばしながら洗濯物を干す。午後12時。
まだまだズボラな私が目分量で入れすぎた柔軟剤の香りが、青空に吸い込まれるように漂っていた。

#未来に残したい風景

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?