変化なんてうやむやにしてしまえ


乾杯、と掲げたジョッキを控え目にぶつけ合う。コロナ禍でしばらく飲み会なんてものも自粛していたせいか、口に運んだビールは以前よりもずっと美味しく感じる。
ビールを心から美味しく思えたのはいつからだろうか。

20歳になって、はじめて合法で飲んだお酒はカシスオレンジだかカルーアミルクだか、甘ったるくて今や胸焼けがするようなものだったと記憶している。だけど当時、カシオレを飲む女は可愛こぶってると言われる謎の風潮があり、それを早々に察した私は自然と他のお酒にシフトチェンジした。それでもサワーやら果実酒やら、飲みやすいものに手を出す中、ビールを頼むようになったのは目上の人と飲む機会が増えた、社会に出たタイミングだったように思う。
一杯目はとりあえず生で、という流れに逆らわないまま倣うように生ビールを頼む。ビールを臆することなく飲む女は、そこそこ目上の方々に好かれる。私は比較的早い段階でそれを知ったから、飲み会の1杯目はたいして好きでもないビール、が常となった。

はじめてビールってうまいじゃん、というか、ビール飲みたいかもしれない、と思えたのは、はちゃめちゃに忙しいお仕事を終えて、くったくたに疲れた後、「なに飲む?」と聞かれた時だった。即答で気づいたらビール!と答えていて、いつもは少し億劫に口をつけるキンキンに冷えたグラスが、やけに輝いて見え、黄色い液体の上に乗ったきめ細やかな泡がキラキラと光って見えた。がっつくように飲み込んだそのとき、のどごしの良さ、というのを初めて味わって、言葉にできない感動。
いつのまにか美味しく感じていた、という人が多い中、私はビールがおいしくなった瞬間をはっきりと覚えている。

日頃周りにいる友達も、仕事も、環境も、少しずつ少しずつ自分と同じようなペースで変わっていくから、人は変化に気づき辛かったりする。
旧友に会ってみたり、久々に実家に帰って家族の顔や故郷の街を見たときに急に変化を感じてノスタルジックを覚えるものだ。
昨年28歳になった私は目に見える外見に現れる変化(老化とはまだ言わないでおく)をきっかけに、変わった自分を意識するようになった。

美味しく感じるようになったビールをはじめとして、例えば仕事に対する意識だとか、対人関係への気遣いの変化、お金の使い所、将来を見据えた上での立ち振る舞い方の変化。
20歳やそこらの頃に比べると、随分と夢のないアラサーになったものだと思う。
社会で生きる中で、平凡で安定な日々を生きることの大切さをいやってほど学ばされてきた。たどり着いた今を不満に思うことは、過去の自分を否定するようだからしないでおくけれど、たまに、毎日を過ごす中で思ってしまう。恋しくなることがある。
間違えだらけで、刺激だらけで、感情を日々揺さぶられてこれでもかってほど泣いて、笑った、試行錯誤の日々が。

リスクだらけの刺激のある毎日なんて、若さゆえできることだ、と言い切る人が多いからこそ、捻くれ者の私はそんなことはないと思い込んでいる。
とんでもなく良い音楽を聞いた瞬間、素敵な人に出会った瞬間、うまいものを食べた瞬間、自分だけのお気に入りを見つけた瞬間、ふとした瞬間に呼び起こされる、胸が熱いくらいに温まるあの感覚は、ずっと変わらないままここにある。

変化した自分と、変わらないでいれる自分を、両方慈しんで生きていきたい。
自己肯定感高めて。大丈夫。
刺激的な毎日も、安定で平凡な日々も、全部楽しんでいける。

なんたって私は、ビールが美味しくなったその瞬間をまだ、覚えているんだから。

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