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人が生き返るとき②

私なりではありますが、リハビリの意味を体感した出来事があります

私が学生の頃、臨床実習という学生が病院に行って実際に患者さんを診るという授業で脳卒中(片麻痺)の患者さんを診させていただいた時のお話です

その方は60代の男性で一般病棟に移ってきたのが最初の出会いでした
体の半分は動かないし、表情も常に一緒で何を考えているのか分からない
怒っているのかも、悲しんでいるのかも、平常心で普通なのかも分からない

喋れるかどうかも分からないが、看護師さんの話している意味は分かる様だ
誰と会話をしていてもしゃべったところは一度も見ていない

そんなところで私の仕事ができた
その患者さんの毎日のバイタル測定(血圧を測るなど)だ

私は学生だけど患者さんに触れる以上真剣だ
私に言われるままに腕を出して協力はしてくれる
(学生を毛嫌いする人もいる中で)
とてもありがたいが、やっぱりしゃべることはない
本当は学生だからって怒ってるのかなとか勝手に考えてしまい毎回バイタルだけでもとても緊張した

その患者さんは黙って大きいな目でじーと私を見ている

全く読めない・・・
でも嫌な感じも全くない

ただただ不思議な感覚だった



そんな日課が続く中いつも通り患者さんの所へ向かうと
大きな目をギラつかせながら急に私に話し掛けてくれた

『毎日あなたが一生懸命やってくれたから私も頑張ろうと思ったんだ』と

ビックリした
喋られたのか!と思ったのと、単純に驚いたから


それと『そんなことで?』と思った


その患者さんは続けて、これからの話をたくさんしてくれました

体が全然動かなくて諦めていたんだとか
○○切符で乗ってあちこちに行くのが好きだったんだとか
今はもう手に入らないのでその切符をコレクションしているとか
体が治ったら本当はまた色々なところに行きたいんだとか

そして、だからリハビリを頑張ろうと思ったんだ
と、若すぎる私には耐えきれないようなパワーで心の底からの言葉を私なんかに話してくださいました

とにかく衝撃的でした

リハビリとは?と、その真髄を見せつけられた感覚


その方は自身の言葉通り人が変わったように意欲的にリハビリを頑張っていました
全然立てないけど片足中に装具を撒いて立つ練習を繰り返す

本当に違う人の様に見えました


はじめは自分の状況を受け入れられなくて無表情だったのかもしれないし、あえて怒りや悲しみを隠すために無表情だったのかもしれません

リハビリも本当に立っているのか、ただ立たされているのか区別も出来な程でしたが、人としての魂はシャキッと真っすぐでとても格好の良いものでした

とにかく人間力を見せつけられた

目指すべき大人の姿


結果的には違う病院へ転院されてしまいその後どうなったかは分からないのですが、一生を左右するくらいの衝撃を与えてくださったあの方には大変感謝しかありません

何かをきっかけに人はがらりと変貌してしまう
人にはやり直せる力がある

『自分がどうしたいか次第』だと
目の前でそれを見せてくださった

多分そもそも人間力のある聡明な方だったんだと思います
柔軟であり実直、素直でいて経験も豊富な賢者
あの短時間で自分を受け入れ、自分と向かい合った

あの方は何を見て、何を見極めたのか
そして自分自身の心の奥底にどんな答えを見つけ出したのか・・・

自分自身の力で自身の壁を突破した大人の過程を間近で見られるなんてそんな幸運ありませんよ

ましてや20歳そこらで人を通して経験できたことは幸運であり
今なお私の支えであり、守っていきたいものであります




リハビリって凄く大きすぎる枠
一人の人が出来る範囲には限りがあるし、
そのひとによって信念や得意もある
だからそれを活かせばいい

みんな違うから全体の枠で見ればそれがいいんだよ
多種多様でそれが良いんだと思うんだよな

だからその一部として私の考えるリハビリもあっても良いじゃないか?
少なくとも間違ってはいないだろう





自身の心と向かい合うと決め
深く己に立ち向かえたなら

心の向かう方向を示すとき

人にはそれを成し遂げる力が既にある

自分の理想に向かってまずは出来ることから積み上げていこう

望んでいた宝が手に入るかもしれないし
新たな宝探しの旅が始まるかもしれない


何でも始まりは自分で決めること

それが人生の作り方であり、その中に本当に欲しているものが見つかるはず



まだ見ぬ未来に『成りたい自分』をイメージする
イメージしながらとことん自分の可能性を信じ広げていく

本当に得たいものは最後にならないと分からないかもしれないけど

積み上げていかないとそれにすら到達は出来ない

だからそれを具体的(ミクロ)に考えられるのが私の考える「リハビリ」なんだと思っています




「心の有りよう」を作るのも
「体の有りよう」を作るのも
「頭の有りよう」を作るのも
その他も
全部ひっくるめてリハビリという考え方なんだと今は思っています

だから色んな分野を知っておく必要があるし、いろんなカード(スキル、知識)を出せる自分でいないといけない

色んな角度から見られるようにしておかないと物事の本質、
自分が本当にやりたいことって見えてこないんだと思います

そのヒントが過去の記憶だったり、今の感情の揺れ動きだったり、体の反応だったり
思い返してみればこれに繋がっていたんだなとか

本当に色々なんです


とにかく人の力を信じてそれを体現(表現)出来るように日々精進して参ります



読んでいただき誠にありがとうございました

どうぞよろしくお願いいたします