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「密輸はやめよう」カシュガルの大通りにはためく横断幕に書かれたスローガンを、「中国ータリバン」関連ニュースで想い出す (エッセイ)

昨日のニュース(↓)で、遠い記憶がよみがえりました。

中国の王毅(ワン・イー)国務委員兼外相は25日、アフガニスタンのイスラム主義組織、タリバン暫定政権のバラダル副首相代行とカタールの首都ドーハで会談した。王氏は「力の及ぶ範囲で人道支援物資を提供する」と話した。テロ組織との決別も求めた。
中国外務省が26日発表した。王氏はアフガン情勢について「人道、経済、テロ、統治の四重の課題に直面している」と指摘した。中国がタリバンの代わりに米国を中心とする西側諸国にタリバンへの制裁解除を促していると強調した。
王氏はウイグル独立派組織の「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」に言及した。「タリバンがこうしたテロ組織と徹底的に一線を画し、断固とした打撃を与えてくれると期待している」と伝えた。
中国は国境を接するアフガンが内戦に陥ったり、過激派組織の温床となったりしてイスラム過激派が中国・新疆ウイグル自治区に流入する事態を警戒している。バラダル師は「いかなる勢力もアフガンの領土を利用して中国に危害を加えることを断じて許さない」と応じたという。

(2021年10月26日 22:00 日経電子版)

中国は新疆ウイグル自治区を介してアフガニスタンと国境を接している。

35年前、「カキモノ」がらみで臨時収入があり、GWと勤め先の有給休暇をからめて旅に出ることにした。
それまでの旅で一番印象に残っていたのは、ソ連領中央アジア・キルギス共和国側から登った(といってもハイキング程度)天山テンシャン山脈北山麓の、どこまでも続く《天然お花畑》の美しさだった。

それ以来、
(いつか、天山テンシャン山脈の南側に行ってみたい)
そう思っていた。
当時のことゆえ、(ソ連領中央アジアの旅と同じく)グループツアーに入り、10日あまりの「ウイグルの旅」に出かけた。

西安経由でウイグル自治区に入り、トルファン、ウルムチを経て、タクラマカン砂漠の北縁を西にたどり、たどり着いたのが、西はずれの街、カシュガルだった。
(下図はWikipedia記載の「タクラマカン砂漠の水系」;図中「Kashi」と表記されているのがカシュガル)

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当時、大都市のウルムチやトルファンでは漢族の姿も見かけたが、カシュガルはほぼ100%、ウイグル人の街だった。

カシュガルでの自由時間に、椅子がひとつしかない、小さな床屋に入った。
言葉はまったく通じず、手真似だけで意思疎通して、散髪を頼んだ。
バケツに入ったあまり清潔とはいえなそうな水を頭髪に付けて、手動のバリカンで刈ってもらった。

カシュガルの街を離れる時、大通りの上に大きな横断幕が張られていた。
改良アラビア文字で書かれており、現地ガイドに尋ねると、
「あれは、『密輸をやめよう』と書いてあります。ここは、アフガニスタンとの国境も近く、勝手に交易する人もいるので……」

共産党支配漢族地域でやたらと見かけた、精神主義的だったり、国家主義的だったりのスローガンとは異なる、きわめて直接的な警告だった。

あくまでも当時の旅人の眼から見て、ということだが、ウイグルでは、時間がゆっくりと流れていた。

その帰路、夜行列車で漢族の領域に入ると、なんだか空気が変わり、開放政策とも関連しているのだろう、物売りが増え、喧嘩もあちこちで見られるようになった。

改めてGoogle Mapで確認すると、カシュガル市はアフガン国境からかなり離れている。

カシュガル国境

なのに、あのスローガンはどうして? あるいは、現地ガイドが「タジキスタン」や「キルギス」と言い間違えたのだろうか?

Wikipediaで「カシュガル市」を調べてみて、謎が解けた。

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上図のピンク色がカシュガル市だが、それを含むカシュガル地区(Prefecture;黄色部分)は南西に伸びており、アフガン国境も含まれている。
つまり、治政の範囲内なのだ。

ウイグルにおける人権抑圧は国際的な論議を巻き起こしている。
漢族の大量入植で、自治区の人口は今やウイグル人より多くなっているそうだ。時間の流れも変わったに違いない。

あの床屋は、どうなっただろうか。

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