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母を語れば [2/3] (エッセイ)

母の日に書いた忘備録(↓)への追加記事です。

高校受験の時、特進クラスを新設する高校からのオファーに対して、
「自分のことは自分で決めなさい」
と母から判断を一任され、
《1万円とリスクを取るか、否か》
で悩んだ話を書きました。

この、
《自分のことは自分で決める》
に加え、それに付随した、
《判断結果により節約できた金は、判断を行った人間が成果として受け取る》
は、なんとなく、ではありますが、母がらみで《暗黙ルール化》されたようなところがありました。

2歳上の姉は、
「成人式の晴れ着は要らないからその費用を現金で欲しい」
と交渉し、母から(私は正確な金額は知らないものの、推定)20万円せしめました。
このあたり、おそらく父にはほとんど相談せず、母が独断で決め、自分が稼いだ金から出していたはずです。
姉はその金で(親には内緒で)横浜港からナホトカまで船に乗り、シベリア横断鉄道でモスクワまで行くツアーにひとりで参加しました(ソ連の時代です)。

後年、懸賞論文の賞金100万円を修正申告すれば税金が戻ることを母が発見して手続きし、実際に20万円以上戻って来た時(↓)には、その《ルール》に従い、
「これはお母さんの《成果》です」
と私から彼女にその金を渡そうとしました(受け取ってもらえなかったけれど)。

高校に入ると、母は私をほぼ一人前扱いしてくれるようになります。
私服で通学し、仕事がある母の手作り弁当を断って毎日昼は校外の喫茶店やスナックで食べていました。
休日は部活で鈴鹿の山に登り、夏休みや春休みには寝袋を持って周遊券を使った旅に出ました。1週間ほどの旅の間、まったく連絡しなくても、ほとんど心配されることはありませんでした。
たまに友人と酒を呑んで帰宅しても、
「あんまり吞み過ぎんようにな」
と言われる程度でしたね。
それどころか、自宅で麻雀やバンドの練習をしていると、夏はビールを出してくれた(↓)。
母自身はほとんど飲めませんでしたが、父が酒飲みだったので、《免疫》があったのでしょうか。

母は父とは異なり、
《論理的に話せば理解する》
人間だったので、自分の《判断》を伝える時には、父より母に説明するようにしていました。

おそらく、その最大の《舞台》が、私が結婚することを両親に伝える時でした。
私はその時、大学4年で、下記(↓)のような事情でキャリア官僚になる道を放棄し、大学院修士課程に進学することを決めていました。
両親は2人ともまだ働いており、さらに2年間の学生生活を経済的に応援してくれることは了解済みでした。

私が卒業と同時(=院入学直前)に入籍する、と告げると、父は、
「稼ぎもないのに結婚なんて、もってのほか」
とまず拒否反応を示し、相手が何度か実家にも来たことのある女性だとわかると、
「大学院を卒業するまで2年間待て。学生の本分は勉強だろう」
とわずかに軟化しました。彼女個人に対しては好意的だったようです。

・私は稼ぎが無いが、育英会の奨学金が貸与され、また、彼女が働いて稼ぐので心配はない。
・その2年の間、2人がそれぞれ部屋を借りて住むよりも、2人で暮らした方が生活費がかからず経済的合理性があり、精神的にもHappyである。

そのように説明しましたが、彼の頭に巣くっている《常識》と《世間体》を打破するのは、きわめて困難でした。
母も、この件に関しては、就職してから結婚するのが《スジ》、と考えている気配でした。

なお、いつかどこかで書きたいと考えていますが、この、
「学生の本分は勉強であり、結婚などとんでもない」
というバカげた常識のために理系に進学した日本人の結婚・出産は遅れる傾向にあり、その結果、
この国で《理系の遺伝子》が残りにくくなっていることは、《技術立国》を標榜する日本にとって最大の問題
だと、私は考えています。

父の説得は諦め、母と話すことにしました。
「どうしても2年待て、というのなら待っても良い。ただ、僕は東京、彼女は北九州に住んでいるので、おそらくその2年間に、それぞれ別の相手と付き合い始める可能性がかなり高いのではないか、と思う」
母「そりゃ、……そうかもしれんねえ」
「だから、2年後に就職した後、僕が結婚相手として連れてくる女性は、別の人である可能性が高い」
母「そう……なるかもしれんね」
「その時に、今の彼女よりもいい相手を連れてくる確率と、そうでない相手を連れてくる確率と比較すると、どちらの可能性が高いと思う?」
母「そりゃあ……あのコはいいコだと思うよ」
「だとすると、2年後、あるいはもっと後で僕が連れてくる結婚相手は、あのコほどじゃない可能性が高いよね」
母「そう……かもね」

ここで、話の方向を変えます。

「僕が大学院に進学することでは、既に了解をもらい、経済的支援も約束してもらっていますよね」
母「そうだね」
「結婚することで、お母さんたちはその経済的支援が必要なくなる。僕と彼女は東京と九州に別れて生活する無駄がなくなる。たまの休みに新幹線で6時間もかけて会いに行く金と時間の無駄もなくなる。高い電話代(当時は百円玉が次々と吸い込まれていった!)を使う必要もなくなる。そして、何より、一緒に暮らしたい二人が一緒に暮らす ── 全員にとって、いいことばかりじゃないですか。反対する理由はないと思うんだけど」
母「……」

親の了解、といっても、成人どうしなので、最悪、勝手に籍を入れるつもりでした。
母も、私が《自分のことは自分で決める》を実践しており、かつ、実際に《反対する合理的理由が存在しない》ことを認識し、この結婚を了解しました。
父の説得は母に任せ、卒論実験で忙しい東京に帰りました。

もうひとつ、
・結婚式/披露宴を行うか否か
の問題がありましたが、それは既に書いています(↓)。

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