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人材採用エピソードと組織のその後 2 どうしてそんな話ばかりするのだろう?

一連の採用面談を終えた時、私は疲労困憊していた。
これほど精神的に疲れたことは、それまでなかった
建物から外に出た後、その《高み》を振り仰いだ。
自分がこの職に就いたとしても、とても長続きするとは思えない
それは、次第に確信に変わっていった。
歩道の公衆電話ボックスに入り、北九州に住む婚約者に電話した。
「この仕事には向いていない ── 進学しようと思う」
100円玉が次々と機械に呑み込まれていった。
「好きにすればいいよ」
彼女は言った。


国家公務員の志望者が激減しているのだそうだ。
各マスメディアが報道しているし、国会でも議論があった。
このnoteにも、優れた分析記事が掲載されている。

・官僚のたび重なる不祥事の影響?
・長時間労働が原因?
・政治主導が問題?
など、原因について、多くは「?」付きで報道されている。
この問題に対する国会での野党の追及と総理の答弁も、真因は推測なので、ちぐはぐな印象を受ける。

これらの記事に触れた時、かつて、私自身が経験した、国家公務員の採用面接(といっても、正式な面接試験の前の省庁見学の時のことだが)の記憶がよみがえってきた。
なるほど……そりゃ、そうかもな

採用に関わる姿勢から、組織の将来の盛衰が予見できる ── これは企業だけでなく、官庁も同じだろう。


私は工学部4年の夏(だったと思う)に、上級職試験(当時の名称)中のあるカテゴリーで受験し、(たぶん)二次試験の小論文が点数底上げに寄与して合格した。
大学院も受験していたが、卒業と同時に結婚する約束が1件あり(もちろん1件だけだ)、この時点では就職を考えていた。
しかし、公務員試験の合否通知(秋だったと思う)を待っている間に、学科に来た学部卒求人の目ぼしい所は埋まっていった。

合格通知には、その受験カテゴリーでの合格順位と、中央省庁から税関まで、様々な部署での採用枠が細かく示されていた。

何はともあれ、非公式面接を兼ねた、省庁の訪問見学に出かけた。
窓口として問い合わせたのは、合格通知に書かれていた連絡先だったのか、先輩筋だったのか、今ではよく覚えていない。
とにかく、アポを取ってその人を訪ねると、10人ぐらいの名前が並んだリストを渡された。
その省の某局某課の誰それ、関連する庁の某部の誰それ、という具合である。
「今日は、この順番に回って、面談をしてもらうよ」
彼は話し始めた。
「君がここで働き始めたとする。大企業に勤める同級生よりも給料は安い。しかし、定年が近づくころには、かなりいいポストに天下りできる収入も退職金もそれなりにある。それを楽しみに、30年ぐらい、仕事を続けることになる」
そういう世界があることは、一応知っていた。しかし、いきなりその生々しい部分から入っていくのは驚きだった。
彼は、先ほどのリストを指さし、
天下り先の紹介など、一切は、ここに書かれたグループで面倒を見る。ここに就職したら、君も、このグループの一員ということになる
それから10分ほど、彼と雑談をした。彼は自分の仕事については大まかに語ったのみで、あとはとにかく、仕事は忙しい、国会開催中は徹夜することもある、と激務ぶりを淡々と話してくれた。
「まあ、家族と一緒に夕食を取れるのは、土日を入れても、月に3回ぐらいだな」
とも言った。
あまりに淡々と話すので、徹夜の件も、夕食の回数も、誇張ではなく、本当にそうなのだろう、と想像できた。月に3回、という半端な数字に、妙な真実味があった

ひとしきり話した後、彼は「グループ」リストの次の人に電話をし、私を送り出した。
「**局**課の##さんは、ひとつ上の階だ。じゃあ」
そして、私は頭を下げ、次の「仲間」のもとへと移動した。

その日会った人たちのうち、ひとりを除いて、後はほとんど同じ対応、おなじ内容の話だった。
収入は一流企業にかなわない、でも将来は天下りが待っている、仕事は忙しく、特に国会開催中は土日も出勤するし、徹夜もある、というようなことだ。

ひとりだけ、他とは違う人がいた。
彼は、オフィスのソファに寝そべって、ビッグコミックをながめていた。
僕があいさつすると、気怠そうに起き上がり、ボサボサの髪をかき上げた。
そして、自分の仕事について簡単に説明した後、ぽつりと言った。
「まあ、全体に貢献する、ということを喜びとして感じられるかどうかだなあ」
その日会ったうち、一緒に仕事をしてもいいかな、思ったのは、その人だけだった。


天下りグループ」をひとりひとり訪ね歩きながら、役所の廊下をたどる私の足取りは次第に重くなった。
( ── 一体自分は何をやっているんだろう
( ── とてつもなく《無駄》な時間をすごしているのじゃないだろうか

それにしても ── と不思議でならなかった。
この人たちは、どうしてこんなことばかり話すのだろう?

率直と言えば率直だった。
採用活動で、あまり根拠のないビジョンを見せて志望を促す企業に比べれば、はるかに誠実だった。
この日本という国を動かす、素晴らしく夢のある仕事なんだ、と目を輝かせて若者に語りかける、という方法もあったかもしれない。

おそらくは、率直に実態を語り、
それらを全て理解した上で、なお志望するならばそれでいいけど
と言外に滲ませた、ある種の善意だったのかもしれない。
あるいは、そうした「苦行」、あるいは「バラ色(?)の将来とセットになった苦行」に耐えられる(あるいはそれを歓びとする)若者だけを通過させる「ふるいがけ」のような作業だったのかもしれない。

ただし、そのプロセスを踏むことにより、ある特定の傾向を有する人間ばかりが集まり、多様性が失われるリスクはあるだろう。
しかも、例えば米国とは異なり、そうしたプロセスを経て入省した新卒が、「実質トップ」の次官を始め、やがて幹部職に就くことになる。
そして、そうした幹部を含め、全てのキャリア官僚が、いずれかの天下りグループに属していることになる。

さらに穿った見方をすれば、多様性が乏しくなるのは、リスクなどではまったくなく《グループ》を、長く強固に維持していく上で、むしろ、必要不可欠なことなのかもしれない。


高校一年の時、大学選択から特定の省庁への就職、そして特定ポストへの再就職まで、人生設計に描いていた同級生がいた。
彼のように明確な「将来ビジョン」を持っている人ならばいいだろう。
しかし、私のように、単なるひとつの就職先として国家公務員に関心を持っただけの人間には、魅力的な職業とはとても思えなかった。

あるいは彼らは、ふらりと現れた学生を、グループの一員として認めるかどうか、値定めをしていたのかもしれない。
かなり初期の段階で、あるいは面談以前に、
このクローズドメンバーに入れるには不適当
と烙印を押され、私は結局、排除される方向で会話が進んだのかもしれない。


いずれにしても、「官僚の天下り」が新聞等で話題になるたびに思うのは、この、
《グループで面倒を見る》
という点である。
この《グループ》というところに、コトの本質があるような気がしてならない。
この《グループ》は入省の時点で決まっており、退職時まで続く、強固なものに違いない。
だから「裏切る」ことなんてできないし、他のグループ、ましてや他の省庁に対しては、「職権を有する企業や公共団体」、そして「それらにある天下りポスト」といった利権を守らなくてはいけないのだ。
そして、それが、あらゆる場面で耳にする《省庁縦割り》のルーツなのだ。

おそらくは、天下りも、それが《個人》対応ならば、
「俺はいいよ」
「私は自分でなんとかする。その代わり、他人の世話もしない」
ということもあるだろう。
しかし、《グループ》ではそうはいかない


行政改革で複数の省庁が合併しても、この《グループ》が合体するのは難しいだろう。
環境省のように新しい行政府ができても、その中で有力な天下り先を利権として抱えるグループが育つには時間がかかるだろう。


世界規模での「少子化」は、その原因についていろいろ言われるが、大きな流れとして、
《人類が、種の幸福よりも個体の幸福を優先し始めた》
というのが、ざっくりとした真実と思う。

官僚志望の(あるいは、官僚を志望する可能性のあった)若者たちが、
《グループの幸福より、個人の幸福を優先し始めた》
としたら、昨今の志望者激減は、とても自然なことのように思うのであーる。


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