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藤井風『満ちてゆく』その道すがら

ずっと考えていた。

手を放す、軽くなる、満ちてゆく

藤井風『満ちてゆく』

ってどういうことなんだろうって。



だって、矛盾してる気がしたの。

「手を放す」のも「軽くなる」のも、満ちるどころかむしろ失ってるのでは?って。

だから、うつくしいこの曲にうっとり聴き入りながらも、どういうことなんだろうって、どこか掴めずにいた。


3月。

どうしたって別れの季節。

今年もちゃんと、わたしにも別れの季節はやってきた。

その中に、わたしにとって大きな別れがひとつ。

3年の付き合いになる友人から離れたのがこの3月だった。

3年の積み重ねの中で、簡単にいうと
「不健全な関係になってしまったから」
というのが理由だろうか。

もちろんわたしは今でも相手を大事に思っているし、相手も「また会おう」と連絡をくれた。

だがひとえに、わたしがあまりに未熟で幼かったのだ。

深い情は重い期待に変わっていたし、噛み合わない違和感にフタをする息苦しさがあったし、寂しさは執着に変わりつつあった。

だから(とつづけるには省略するものが多すぎるが)、事情を説明して、相手も自分も思い出も傷つけずに守るために、離れる決意をした。

どうか元気で、幸せでいてね。
それぞれの場所で、たのしく生きようね。
いろいろとありがとう。

そうお互いに挨拶をして、お別れをした。

「いったん」とはいえ、勇気を出して、縁を切った。

あの人は今までもこれからも、わたしにとって唯一無二で、特別で、とてもとても大事な人だ。


それで知った。

「満ちてゆく」とは、こういうことかと。


「手を放す」とは、投げ出すことじゃない。

それをありのまま、そのまま、そっと大事に置いておくことだ。

許すこと。
認めること。
その存在・事実そのままを愛することだ。


「軽くなる」とは、失うことじゃない。

解放し、解放されること。

手放して、自分から切り離すことだ。

自分の中にあっては、自分の目では見ることができない。

自分の外側にその存在を認めることでやっと、互いの姿・境界線をありありと見つめられるようになることだ。

重力も引力も忘れて、まじまじと慈しめるようになることだ。


「満ちてゆく」とは、足るを知ってゆくことだ。

「それで良かったと、これで良かったと、健やかに笑い合える」ようになってゆくことだ。

「無駄にしてた “愛” という言葉」の、その「本当の意味」を知ってゆくことだ。

月なら、まん丸になってゆくということだし、
海なら、いちばん深くなってゆくということだ。

満ちてゆき、やがてそれは、永遠になってゆくということなのかもしれない。


まあ、それがわかっていたのなら、本当に愛するということを知っていたのなら、わたしはあの人と縁を切るなんてことはしなかったのだろうけれど。

まだまだ青かった。

ちくしょう。


残酷なもので、すべては終わってみないと、わからない。

どれほど大きかったのか、
どれほど深かったのか、
どんな形でどんな色をしていたのか、
どれほど愛し愛されていたのか、
どれほど大切だったのか。

終わったあとの、寂しさで、名残惜しさで、恋しさで、後悔で、残り香で、後味でもってしか、わからない、少なくともわたしには。

別れてやっと見える・知る・出会えるものもある。

別れは、答え合わせだ。


星野源さんはこう歌っている。

ほら 終わりは
未来だ

星野源『光の跡』

別れは、出会いだ、未来だ。


あの人と「健やかに笑い合える日まで」、わたしはもっと日々を大切に生きてみたくなっている。

「全て差し出す」ことのできる人間になれるよう努めたい。

わたしはまだ、満ちてゆく道のその途中にいる。

月なら細〜い三日月といったところだろうか。


また出会えたら、
そのときは。

そう願ってしまうのは、まだまだ満ちてゆくその道すがらにあるからだ。


そう思えるようになった今日、ふと頬に感じた風には、たしかに新しい季節のぬくもりがあった。

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