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誰に拍手されなくても自分で自分に送る拍手が、手のひらが赤くなるほど誰かに送る拍手が、自分自身を生かす活力になるのかもしれない。【火花(又吉直樹著)】

誰が何と言おうと私はこの作品が大好きです。

「火花」(又吉直樹著)を読みました。

▼あらすじ
主人公で売れない芸人の徳永は、熱海花火大会での余興の漫才ステージで輝くような漫才の才能を放つ神谷という芸人に出会う。
そこから師弟関係を結び、お互いに受け入れがたい違いを感じながらも、漫才師としての魅力に惹かれあっていく。
漫才師として、笑いの哲学に真っ直ぐに向き合い、生き抜いた二人の生き様が描かれている。

人それぞれ哲学があって、生き方がある。それはひとつになることはない、その必要もない、と思います。
じゃあなんで人と関わることとやめられないのって言ったら、それは他人と影響し合うことで学びを得られるから。気づきを得られるから。自分がより幸せになっていくから。
だから他人を愛したり、応援したり、信じたり、がやめられないんだと、私は思うのです。
笑いのためには人を傷つけるような表現も厭わない神谷と、たとえ自分が面白いと思ってもその発言の先にいる人に配慮する徳永。
笑いに対する哲学は違えど、徳永は笑いのためには手段を選ばない神谷を尊敬し、そしてその乱暴さ、非常識さ、愚かさすら愛してしまいます。
人生はいつ何時も面白いわけじゃない。笑えない日もある。何が面白いのか分からなくもなる。笑いのために取り返しのつかないことをすることもある。
そんな日でも、愛しているから「それ面白くないですよ」と怒れる、その関係性がどこまでも眩しく危うく尊い、と感じる。人と人とが腹の底から向き合って共に生きていく様に対してそう感じさせるのが、この本の魅力なんじゃないかと思いました。

そして、この本の描く「喜び」というものが、とても繊細で、とても美しい。
徳永は、小さなブレイクはあったものの、それが長続きしない、つまり芸人として大成できない人生に焦りを感じていました。

僕達はきちんと恐怖を感じていた。親が年を重ねることを、恋人が年を重ねることを、全てが間に合わなくなることを、心底恐れていた。自らの意志で夢を終わらせることを、本気で恐れていた。全員が他人のように感じる夜が何度もあった。月末に僅かなお金を持ち寄って酒を呑み、不安を和らげ、純粋な気持ちで一切の苦痛を忘却の彼方に押しやるネタをそれぞれが考え練り実行した。これで世界が変わるんじゃないかと、自分を鼓舞し無理やり興奮していた。いつか自分の本当の出番が来ると誰もが信じてきた。

火花(又吉直樹著)

結局徳永のお笑いコンビ、スパークスは相方に子供が生まれるの機に解散することになるのですが、ここで果たしてテレビに出ることだけが漫才師のゴールなのか、評価してくれる人が多いことだけが喜びなのか、と疑問に思うのです。
どの世界にも、スポットライトを浴びる人とそうでない人がいます。
どんな状況でも継続する人もいるし、色んな理由でしない人もいる。
期間はどうであれ、世間で言う結果はどうであれ、私は命をかけて取り組んだ経験を持っている、ということこそがその人をその人たらしめていく、大きく前進する何にも変え難い最強のエネルギーになると、陳腐ですが心底思うのです。
継続し、取り組んできたことが実を結ぶ瞬間というものは、この上ない喜びですが、
徳永のように自分の大切な人の人生の転換を尊んで「辞める」と決断することも、自分が大成する瞬間だって、人生に二度とない瞬間だって、私は思うのです。

誰かには届いていたのだ。少なくとも誰かにとって、僕達は漫才師だったのだ。

火花(又吉直樹著)

神谷も作中で同じようなことを言っていたかと思いますが、漫才師とはもちろん職業でもありますが生き様そのもののことなのだと、この本に思い知らされた感覚があります。
漫才師である自分を生き抜いた、そしてこれからも生きていこうとしている二人は、私にとっては腹の底から人生を生き抜こうとしているように見え、それが私にはこの上なく眩しいのです。
派手な演出の中で輝いて、抜きん出る力も素晴らしいものです、結果を残せる力というのは素晴らしい。
でもそれと同時に、地味で映えなくて時に誰かに鼻で笑われるようなことがあっても、自分の生き様を、素晴らしいと思ってくれる人がいたら、その喜びだけでこの先ずっと生きていけるような気さえしてくる。
そしてそんな他人の生き様に、手が平が真っ赤になるまで拍手しているその瞬間、この先ももっと生きていきたいと不思議と思えるのが人間なのかなあという気もしてくるのです。

スポンサー名を読み上げる時よりも、少しだけ明るい声の場内アナウンスが、「ちえちゃん、いつもありがとう。結婚しよう」とメッセージを告げた。誰もが息を飲んだ。
次の瞬間、夜空に打ち上げられた花火は御世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった。その余りにも露骨な企業と個人の資金力の差を目の当たりにして、思わず僕は笑ってしまった。馬鹿にした訳ではない。支払った代価に「想い」が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。しかし、次の瞬間、僕達の耳に聞こえてきたのは、今までとは比較にならないほどの万雷の拍手と歓声だった。それは、花火の音を凌駕する程のものだった。群衆が二人を祝福するため、恥をかかせないために力を結集させたのだ。神谷さんも僕も冷えた手の平が真っ赤になるまで、激しく拍手した。
「これが、人間やで」と神谷さんはつぶやいた。

火花(又吉直樹著)

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